アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

素人の質問で恐縮なんですけど、日米開戦、即ち真珠湾攻撃によって当時の軍部首脳は一体何を狙っていたのですか?

奇襲攻撃など成功したところで、日米の膨大な戦力差が埋まるわけではないので負けは目に見えていたとしか思えないのですが。

当時の軍部首脳の真の意図を教えて下さい。

A 回答 (12件中11~12件)

>>奇襲攻撃など成功したところで、日米の膨大な戦力差が埋まるわけではないので負けは目に見えていたとしか思えないのですが。



そうです。アメリカと日本の工業力の差を知っている軍人はいましたし、当然、負けるだろうと思っていました。山本五十六も、「半年は暴れ回ってみせる」と言ったわけですけど、逆にいえば、そこから先は、負けるだろうって考えていたってことですよね。
実際に、開戦から半年後のミッドウエー海戦で、日本は主力空母4隻を一気に沈められて、それまでの攻勢から守勢になってしまいました。

結局、自分たちの実力(戦力)と相手の戦力を比べて、相手が絶対に優位にあるとき、戦わずして相手に降伏してしまうか、それとも、自分たちの信念、正義を守るため、あるいはご先祖様に顔向けできないことはしないとして、最後は全滅するかもしれないけど、戦うか?という、気概・信念・生き方の問題だと思います。そして「侍精神」を持っているなら、「負けると分かっていても戦うべきときは戦う」という判断になると思います。
そして、日本は、その無謀ともいえる戦いを始めたわけですけど、その戦いによって、アジア・アフリカの植民地は解放され、有色人種への差別撤廃が達成できたわけです。
だから、日本は敗北したけど、戦争の目的の半分は達成したといえるのではないでしょうか?

論理的に考えて「日本がアメリカに勝てるはずがない」として、ハルノートを受け入れていたら、日本は欧米、ロシアに分割され、彼らの国の植民地になっていたことでしょうし、肌の色による人種差別は続いていたと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。僕もその通りだと思います。先の大戦の意義は決して全否定されるものではないと思います。

お礼日時:2013/10/05 18:29

mkfdhさん、こんにちわ。



真珠湾はアメリカ太平洋艦隊の根拠地でした。日本の連合艦隊司令長官山本五十六は長期戦になったら、アメリカの強力な生産能力によって戦力が増強されたら、日本は勝利することは出来ない。だから、真珠湾を狙ってアメリカ太平洋艦隊の主力である戦艦や空母を撃破し、一時期戦力を日本海軍よりも少なくし、その有利な間に太平洋上の拠点を占領し、米国との短期に講和へと持っていくというのが持論でしたから、これが当時の軍部首脳の真の意図でしょう。
近衛文麿に「半年や一年は存分に暴れて見せましょう。ただ、一年半というともう自信がありません。」といったことからも伺えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

簡潔明瞭な回答ありがとうございました。よく分かりました。ただ、緒戦に勝利し一時的に圧倒した時点で講和に持ち込もうという考え自体が甘すぎたように思えてなりませんでした。

お礼日時:2013/10/05 18:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!