A 回答 (4件)
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No.1
- 回答日時:
1.江戸時代には寺請制度というものがありました。
これはキリスト教の禁教令とともにできた制度であり、国民はすべてどの寺かを選んでその檀家になることを義務づけられたのです。こうすることによってキリスト教が入り込む余地をなくそうとしたのです。そのために寺の経済は安定したため、一向一揆のような反体制運動を起こすようなエネルギーを寺から供給されることがなくなってしまったという効果もあったので、これはかなり巧妙な制度だったと言えるでしょう。つまり寺は徳川政権のお先棒担ぎになり下がってしまったというわけです。2.勿論上から下まで賄賂は横行したことは事実です。しかしそれは世界的な視野で較べるとその程度は知れていると言えたと判断していいでしょう。江戸260年の間で最も目覚ましい出世をした柳沢吉保は50万石の大名になり、今も駒込駅の近くに残っている立派な庭園を残していますが、それは50万石の大名としては目を見張るような豪華なものではありません。田沼親子に至っては観光対象になるようなものは残っていないようです。
下級役人も結構賄賂は取っていたようですが、そのために政府の屋台骨がどこかの国のようにガタガタになるほどのことはなかったようですよ。江戸時代から現在に至るまで世界が羨むほど治安がいいのがそれを証明しています。江戸時代中期からほぼみんなが読み書きができ、教育が普及したことが倫理観を育んだのでしょう。
No.2
- 回答日時:
(1)江戸期に、寺はどのような政治的役割を担ったのですか?また、神社も同様ですか?
↑
治安の維持、という役割を担いました。
つまり、宗教を信じている、というだけで
悪いことを抑制する、という役割が果たせたのです。
これは仏教、神道共通の役割です。
檀家制度というのは、キリスト教阻止のために
徳川幕府が創設したものですが、それもこの一環です。
お陰で、寺には競争原理が働かなくなり、葬式専門
機関のようになってしまいました。
人別帳なども寺にありました。
寺の坊主はインテリ、ということで庶民の相談相手
になったりしていました。
寺社は町奉行の管轄外でしたので、弱者
などの保護という役割を果たしていた時もありました。
反面、悪事にも利用されていたと言われています。
(2)江戸期の政治家らの賄賂はどれほどのものだったのでしょうか?
↑
当時の感覚と現代人の感覚は異なります。
現代人の感覚では賄賂は悪いことですが、
当時の感覚では、頼み事をする謝礼として
ある程度の賄賂は当然だとされていました。
だから、庶民も武士も貴族も、賄賂は盛んに
行われていたようです。
No.3
- 回答日時:
>寺はどのような政治的役割を担ったのですか?
「政治的」とはどのような部分をお考えでしょうか?
現在の行政機関の機能としてであれば、戸籍の管理をしていました。
引っ越しをした場合には、現在の戸籍証明や住民登録とほぼ同じ性格の寺請けという業務を行っていました。
現在のパスポートに相当する道中手形の発行を受けるのには、戸籍の証明に相当する寺院の請書が必要でした。
寺社は幕府や大名の管轄下におかれており、立法、司法には一切関与できませんでした。
>神社も同様ですか?
神社と寺院が分離したのは。明治以降です。
但し、伊勢神宮や出雲大社などの古い神社は含まれないという例外はありました。
江戸時代の大半の神社は寺院を守護する役割を担っているものとして取り扱われました。
敷地も同一敷地内にありました。
この為に、僧侶が神官を兼ねているところも多数ありました。
現在でもこの形態が残っているところがあります。
>政治家らの
江戸時代は司法、行政、立法は分離していませんでした。
現在の政治家に相当する立法のみに関与するという人はいませんでした。
江戸時代の武家の組織は軍事組織です。
>賄賂はどれほどのものだったのでしょうか
現在もお中元、お歳暮の習慣があります。
お中元やお歳暮に金券を送る場合があります。
これ等を賄賂と看做すか否かで判断が別れます。
江戸時代は報奨として金銀を下賜するのが極普通の制度でした。
現在でもノーベル賞として賞金が贈られます。
江戸時代は儀式儀礼が重要視された時代です。
儀式儀礼謝礼に金品の贈答が行われるのは極普通の習慣でした。
金品の多寡が相手に対する敬意の表現の基準とされました。
みすぼらしい品物や僅かな金額の贈呈は相手を軽ろんじているもと看做されました。
このような社会制度、習慣の時代の行動を現在の価値観で判断するのは無理があります。
田沼意次の政策は、米本位経済を金本位経済に変更しようとした試みと、インフレ政策が取られただけの話しです。
当然、既得権を持つ人達から猛烈な反対を受けました。
江戸時代の○○の改革と呼ばれるものは、デフレ政策であると同時に、既に発達していた貨幣経済を否定しただけのものでいずれも頓挫しています。
やたらに○○改革を有難がるのは明治以降の風習です。
特に第二次世界大戦後の左翼思想家が称讃しました。
TVの時代劇によく出て来る代官は、行政機関の末端の官僚で裁量権は極限られたものです。
財政を預かる勘定奉行などの上位者からの指示命令を忠実に遂行することを求められ、瑕疵があれば即刻首になりました。
TVの時代劇は、現在の社会事件を背景として織り込んで視聴者に判り易いように現在の価値観創作されたものです。
あくまでもお話しであって史実ではありません。
No.4
- 回答日時:
大雑把に言うと寺は今で言う市役所の戸籍課ですね。
人別帳の管理をし、生まれてから死ぬまでと婚姻・離婚をチェックしていた訳です。
賄賂については個別にはちょっと判らないのですが、実は「役得」として特に罪の意識等は無かったと思われます。
つまりお役目の副収入であり、正当な実入りなのですね。
例えば長崎奉行等は個人貿易(脇荷貿易)が認められており(!?密貿易じゃん!)、其れによりお役目の費用を捻出する訳です。
そもそも江戸期の役職は基本的に全て無収入であり、持ち出しで行うものなのです。
武家の収入の家禄は代々決まっており、その中で家格(要は格式ですね)を維持し且つ役目を全うするものでありました。
ですので家格の低い武家が分不相応の役職に付く事は、前提として出来なかった訳になります。
その中でどうしても役目遂行に必要な費用は「現場で何とかせい」となった訳です。
それが様々な権益で、それが無ければそもそも人を使う事も出来ない(だって家禄は元々格式を整えるだけで殆どが無くなります)と言うのですから、賄賂を取るのは常識であり、儲かればいいけど、やり様によっては家が傾いてしまいかねないものでした。
だって米相場で毎年収入額が上下動をする上に、出るもの(人件費・実費)は物価に連動して上がってしまいますからこれはキツイです。
江戸城内での出世の為に運動費を使うと言う表現はありますが、いわゆる『実弾』では無く、御中元・御歳暮等で、しかもそれは「献残屋」を通して、回り続けるものでした。
つまり高価な贈り物を「献残屋」で購入し、受け取った方はそれを「献残屋」に売る、と言う形がメインだったようです。
今で俗に言う「生臭い話」は武士はしなかったようです。
藩によって違いがありますが、基本的に武士は現金に触れる事すら嫌う傾向があり、現金で直接買い物をするのは身分にそぐわない卑しく下賎な行いでした。
ですので藩によっては小者を雇えない下級武士は夜中に頬かむりをして生活必需品を隠れて購入していたりした話があります。
そうした徹底した経済観念の無さが、貨幣改鋳というインフレ一直線な政策を行い続け、自らの首を力いっぱい絞め続けてw幕末に突入していく事になります。
この様に支配階級が清貧なので、大きな失策が無かったといえるでしょうね。
江戸期の改革と言えば、田沼時代を除いてほぼ全て倹約令で、収入が無いのだから使うな、と言う極当たり前の政策でした。(正しいとは私には言えませんが)
今の政治の様に借金を膨らまし続けるのを良しとはしていないですね、結局は豪商に借金しまくりの藩ばかりでしたがw
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