No.2ベストアンサー
- 回答日時:
秀吉にとって、三法師(後の秀信)は主筋に当たりますが
天下は秀吉のものとなりました。
それに関して秀信は、何ら不満はなかったようです。
秀吉も多少後ろめたさがあったのか、秀信を可愛がって
いたようです。
秀吉亡き後、天下分け目の関が原の合戦が始まりました。
秀信は家康の東軍ではなく、西軍に与しました。
秀吉に恩義を感じていたのだと思います。
攻めたのは、東軍に属した秀吉恩顧の福島正則。
岐阜城は落ちました。家康は城主の秀信に切腹を命じる
つもりでしたが、正則を始めとする秀吉恩顧の大名達の
必死の嘆願で諦めざるを得ませんでした。
後、高野山に上り、そこで病死したようです。
天下を取ろうとする動きについては、信長の次男、三男
にはあったと思います。しかし、いずれも凡庸であり
その器ではありませんでした。
また正確に言えば、信長はまだ天下は取っておりませんでした。
その一歩手前でした。統一したのは秀吉です。
したがって、秀吉が天下を簒奪したことにはならないと
思います。
秀吉は、旧主筋である秀信を大事にしたと思います。
後の世に、家康が旧主筋の秀頼に対する仕打ちとは
対照的でした。
No.3
- 回答日時:
「どのような人生」については既に皆様が書かれておられますので割愛。
「元服する年頃~天下をとろうとする動き」
元服の頃は秀吉の絶頂期です。
13万石そこそこの大名格ではとても太刀打ち出来なかったでしょう。
信長子飼いの大名も既に亡くなられたり隠居したり。
秀吉恩顧の大名が政治も軍事も固めてしまってましたから三法師=秀信が決起しても協力者がどれだけあつまるかも疑問です。
また、秀信にその様な気持ちが少しでもあったとしたら先に秀吉に粛清されていたと思います。
殊に元服の頃は秀吉の絶頂期でもありますが、少々機常軌を外し始める頃(秀次粛清等)ですから、秀吉死後まで生きていた事を考えると天下取りの意思は薄かったかもしれません。
関ヶ原の戦いでは西軍に付きます。
この時、大名として処遇された事を恩と感じ西軍に付いたのか?
或いは家康を倒しておけば数年後には豊臣秀頼を倒すチャンスが巡ってくるかもと思ったのか?
憶測でしか図れませんが。
もし、東軍に付いていれば高家扱いで江戸時代以降も家系が続いたかもしれませんね。
(秀吉は滅んだ荒木・伊東など旧大名家などを御噺衆として抱えていますが秀信には13万石も与え大名とする事で優遇しています。)
(徳川幕府は吉良家・喜連川家など一旦滅んだ旧大名家などを大名に順ずる旗本=高家として残しています。)
尚、三法師=秀信の弟、秀則は僧籍に入り1625年まで生きました。子は女子であり直系は絶えました。
信長の他の子の内、子の信雄・信高・信貞の家系は大名・高家として続いています。
No.1
- 回答日時:
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