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私が以前読んだ小説に、「カリスマはあるが人望はない」と評されるリーダー格の人物が登場したのですが、私にはどのような性質を言っているのかいまいちよくわかりませんでした。
これは今まで私がカリスマ性と人望を同じものとして間違って認識していたからでしょう。
しかし、分からないことは他にもあります。
作中ではおそらく、「仲間(手下)は集まるがリーダーの言うことを聞かない」というような状況を指していると思われるのですが、私には「カリスマってそもそも人を従える素質じゃないの?」と思えるのですね。
つまり、カリスマがあるのに仲間(手下)が言うことを聞かない(作中で言えば「人望がない」)、ということは矛盾しているような気がするのです。また、その仲間にしても、「従うつもりがないならなぜ仲間になったのか?」と思います。

(1)「カリスマ」と「人望」はどのように違うのでしょうか。
(2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況が飲み込めないので、分かりやすく説明してほしいです。

A 回答 (8件)

たとえば、芸能人なら、写真集の売り上げなど、ファンの多少がカリスマ性。


その人をよく知ってる芸能関係者の評価が人望。

仲間内の評判は悪いが、視聴率が取れるから、写真集だせば売れるから、というタイプのタレントが、カリスマはあるが人望はない人でしょう。
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この回答へのお礼

なるほど……!
カリスマ性というのは一目ぼれのような、見る人を引き込む魅力のような性質で、人望というのはその人となりについての評価の良し悪し、というようなことですかね。

私の例でいえば、「リーダーの掲げている目標などが崇高だから仲間は集まるが、リーダーの人望がないので仲間の各々が勝手に目標に向かって邁進している」ということでしょうか。
なんとなくですが理解できたと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/07 19:48

(1)「カリスマ」と「人望」はどのように違うのでしょうか。


カリスマは、もともと聖書のペンテコステ以降の、聖霊の賜物(たまもの)のことを表すギリシア語です。すなわち、神の霊によって与えられたものを表し、ことに、聖書では、霊的な高揚を示す、異言と深く結びついて用いられています。
ですから、人を越えた力、霊力によって、見える形、聞こえる形での超能力のことです。そこから、超人的に大衆を酔わせて扇動する人をいうようになりました。

一方、人望とは、超人的な能力とは無関係に、むしろ、徳と結びついて、人徳を見込んで委ねてもいい人、この人なら大丈夫と周囲が評価する人が持つ性質です。人望が篤い人は、周囲から尊敬され、信頼される人です。超人的、洗脳的、扇動的に人を引きつけるのではありません。

(2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況が飲み込めないので、分かりやすく説明してほしいです。
1.ヒトラー
ヒトラーは、ドイツ国民を扇動し、地位を築き、ユダヤ民族を根絶やしにしようとしました。まさにカリスマ性を持った人物でしたが、人望があったかと言えば、なかったと言っていいでしょう(一部の人は人望があったと思うかもしれませんが)。

2.ビリー・グラハム
20世紀最大の伝道者と言われたビリー・グラハムは、何万人という聴衆を、特大スタジアムに集め、説教をしました。そうするとキリスト教に改心する人がたくさん出たのです。それをあちこちの国でやりました(日本ではそんなに成功しなかったようですが)。
彼は、カリスマ性がありました(それを引き継いだ息子にはカリスマ性がなく、この伝道方法は廃れたようです)。
さらには、彼は、忠実に信仰生活を営み、ホワイトハウスで危機的なときに、祈りに呼ばれたりして、政治家からも人望が篤く、教会の人たちからも慕われていました。この人は、ヒトラーとは違い、カリスマ性があり、かつ人望がある人だと言えましょう。

3.小泉純一郎
彼は、カリスマ性がありました。今回の都知事選でも、かつてほどではないにせよ、その演説では、カリスマ性を発揮していたと思います。人望に関しては、何とも言い難い人です。人望があったとも言えますし、さしてなかったとも言えます。彼はカリスマ性はあっても、人望に関しては、突出してはいなかったということかなと思います。

以上で、少し意味の違いがわかってくればと思います。
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この回答へのお礼

カリスマは「パッと見で感じるような『すごさ』」、人望は「その人物の言動、性格を知った上での『評価』」ということですかね。
「すごいオーラ」を発しているのに、実際はちゃらんぽらんな人物、そういう人が「カリスマはあるが人望はない」と評されるのでしょうか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/08 12:19

カリスマとは、アニメ、巨人の星に出てくる、星飛馬の様な存在です。


この人、天才すぎる。
ですから、皆で、いじめてやりたくなってくる。
天才が天才を認めるというのがありますが、
その天才よりも超えた天才を見てしまうと、相手をたたきつぶしたくなってきます。
そのたたきつぶしたいほど、あこがれてしまう存在が、カリスマじゃないかな。

だから、カリスマを持った人って、絶えず絶望せねばならない。
そして、そこから不死鳥の様に舞い上がってくれなければならない。
そして、不死鳥になったら、また、皆で叩き潰してやりたがる天才達が集まってくる。

巨人軍の川上。これって、おとなげない事を子供の頃の星飛馬にやってしまう。
それは、どうだ。俺は偉いんだぞという事を示したいがゆえにです。
天才が、それ以上の天才を見たら、どうだ、俺が偉いんだぞと大人げない人間、矮小な人間いさせられる人間こそ、カリスマを持っていると言えるでしょう。

だから、星一徹は、親であるがゆえに、一生懸命に、鍛えたのですが、
その親である星一徹まで、狂ってしまって、「親が、子供を超えただと。そんな事は許せん。だから、子供である星飛馬の前に立ちはだかって、挑戦したい。」とまでならせる超天才の事をカリスマと呼びます。

また、大リーグボール1号を打つ時の花形満。
破滅のスイング。鉄バットに超ド級の重りをつかって打撃の訓練。その先に破滅があろうとも、それでも、挑戦して戦いたいと思わせる天才達のあこがれの存在。
これこそ、カリスマです。

ですから、一見、このカリスマの前では、誰もが、敵対していて、実に人望が無い様に思えるのですが・・・・・
だから、ツンデレなんですよ。
人望のツンデレ状態を起こさせるのがカリスマなんです。
カリスマを持つ人間は誰もが大好きなんですが、超天才達は、自分の存在価値が薄れる事を恐れて、敵対する。そして、立ちはだかるが、実は、大好きなんです。
実は、ボーイズラヴ状態なんです。
ナルシスト状態なんです。
危ないラブでもOK状態。
これが、カリスマと超天才との間にある断絶なんですね。

カリスマと人望の関係が分かったかな~!!
人と言うのは、本当に人を愛したら、ツンデレ状態になってしまうものですよ。
であるから、表面的な人望なんてくそくらえというのが、本当の愛じゃないかな。
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この回答へのお礼

叩き潰してやりたいと思いながらも「この人に従おう」と思わせるのがカリスマも人望もある人、ということでしょうかね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/08 12:13

芸能人のたとえはなるほどと思いました。



カリスマというのは元来は神が与えた特別な力らしいですが、英雄とか指導者に備わった資質でしょう。
「カリスマとそれに帰依する者」というのはウェーバーが支配類型のひとつとしてあげたもの、だそうです(広辞苑・2)。
特殊な能力をもった教祖様とその下に帰依する手下だとしたら質問でおっしゃるように、影ではそれに反発するとか従わないという事は起こりにくいように思います。(カリスマ型はそういう官僚型の支配スタイルではない)

ただその意味から転じた俳優や歌手が多くの人を心酔させる能力(広辞苑.3)という意味だったら1の人が言ってることは成り立つなあと思いました。

ですのでその本の言ってるカリスマは支配ではなくて演説能力や容姿がすぐれているということではないでしょうか。(手下の人望が無いとしたら支配類型としては官僚型そのものでしょう)
ただ2の人が言っているように超能力というのは実際には無いわけですから、現代ではカリスマはいつかは扇動政治家として引きずり下ろされる物なのかもしれない、そういう局面への移りかわりの時期はあるとも思いました。そう考えると宗教的な心情というのは現代でもやはり気をつけなければいけないものかもしれませんね。
本当に優秀なデマゴーグは自分は官僚であるという立場を捨てないで、その外に宗教的なシンボルを聖域として立てて利用するかもしれません。

https://www.google.co.jp/#q=%E3%82%A6%E3%82%A7%E …

http://philosophy.hix05.com/Politics/politics102 …
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この回答へのお礼

リンク先、参考になりました。
私やその小説が意図した「カリスマ」というのはもちろん「広辞苑3」の意味でしょうけれども、その手下たちも別に反発したわけではなく、「良かれと思っての独断専行」ですので、「広辞苑2」の意味でもあながち間違いではないように思いました。

今にしてみれば、その小説での「カリスマはあるが人望はない」というのは、「味方を増やす素質はあっても統率力がない」といった類の意味にも取れますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/08 12:29

あなたの意図する回答になるか分かりませんが、現在巷で使われている「カリスマ」と「人望」について書きます(語源などは他の方が書かれているので)



 「カリスマ」ですが、世間的に有名になったのは「浜崎あゆみ」さんや、「美容師」の前に付いて「カリスマ美容師」等によってでしょう。出版社等が彼女らにカリスマを使い始めた理由として「スーパー等では表現しきれない人知を超えた魅力・能力がある人(達)」ということです。人そのものに魅力があるというわけでなく、まず彼女らの能力に魅力があり、それに付随して人としても魅力があるであろうということです(そのような能力を身につけるにはそれ相当の努力をしている・才能があるはずで、そこを魅力とすると人としても魅力があるということです)。

 一方、人望ですが、これは仕事等の能力ではなく「他人に共感できる能力があるか」ということだと思います。人が、「この人、人望があるだろうな」と感じるのは、窮地に陥った自分の感情を理解しそのサポート(助言だけでも)してくれる人でしょう。こうした人が困っている状況を理解する力、そこでどのようなサポートを求めているかを瞬時に判断できる力の有無が人望の有無になっていると思います。
 勿論、こうした能力は管理職に求められることであり、この能力が突出して「カリスマ管理職」にもなりえますが、これはまた違った見方です。

 両方の例を挙げるとカリスマは「高嶺の花」であり、人望は「良妻賢母」と言えるでしょう。カリスマは凡人ではなく、また自分が近付けない(ライバルや対等と見なせない)人であること、人望は相手から自分に近づいてくれることからこうした例にしました。他にもカリスマは「猫(こっちを見向きもしない)」と人望は「犬(こちらのサポートをし評価を上昇させる)」などもあるでしょう。
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この回答へのお礼

非常に分かりやすい例でした。
能力などではなく、人間的・内面的な信頼が、人望につながっていくのですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/19 18:37

まず、人望あり、とリーダーシップはまったく無関係。


カリスマ性ありとリーダーシップは一部相関あり?、形はとれるが、ついてくるものがなければ意味なし。
人望=ただの人気投票
カリスマはその個人に着目した表現、人望はその個人の周囲に着目した表現。
したがって、その個人と、その周囲の関係については何も表現していない、リーダーたるには、その関係も重要。
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この回答へのお礼

>カリスマはその個人に着目した表現、人望はその個人の周囲に着目した表現

なるほど……。
理解の助けになりました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/19 18:40

> (2)「カリスマがあるのに人望はない」という状況...



リーダー格の人物とは、その小説の悪役、または手下に裏切られる役ですか?

・読者が共感できない人物である方が、ストーリーに都合が良い。
・しかし性格が悪い、または手下が従わないのにリーダーという設定は不自然。

そこで作者はすこし無理のあるのを承知で、解説を加えたのではないでしょうか。「カリスマがあるのに人望はない」と書いておけば、読者が(なんとなく)納得しやすいと思って。

この回答への補足

手下たちはあくまで従わないだけで裏切るわけではないのです。
no.4の方のところにも書きましたが、「良かれと思っての独断専行」なのです。
手下たちは、リーダーの目標などに惹かれて仲間になったわけですが、たとえリーダーがダメだと言ったことでも、「いや、こうするのが一番リーダーのためになるはずだ」と信じて疑わず行動に移すわけです。

補足日時:2014/03/19 18:29
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この回答へのお礼

確かに、私は作者の「カリスマがあるのに人望はない」という表現で「まあそんなものか」と少なからず納得した部分はありますね。具体的に理解できなかっただけで。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/19 18:31

こんにちは。



カリスマというのは、特殊な能力を持っているかのように、多くの人を先導したり、感化させたり、時には、威圧したりする力のことだと思います。ある意味では、非人間性を現しているのではないでしょうか。

それに対して、人望というのは、要するに人から尊敬されたり、信頼されたりすることです。ただ、内面的なものを知らない限りは、なかなか、その人に人望があるとは言いにくいと思います。

例えば、政治家の田中角栄さんは、カリスマ性もあり、人望にも厚かったとは言われるものの、人望について、本当のところは、疑問がつくかと思います。意図的に行っていたとも言われますし、現在でも、議員さんたちは、彼を真似て、特に、人の葬式の時には、議員秘書や本人が香典を持って駆けつけるスタイルは続いているようです。

先日、相撲協会理事選挙で、九重親方(元千代の富士)は選ばれませんでしたが、ふと、彼の現役の頃の相撲部屋内の評判の悪さを思い出してしまいました。彼は、当時から人気も強さもダントツだったにも関わらず、人望という点では、どうだったかと思います。

私は、「カリスマがあるのに人望はない」という言葉を考えるうちに、本来、この2つは相反するものではないかという気がしました。カリスマ性は非日常性の力であるのに対し、人望は、大げさではない心遣いが基になる、いわば日常性なのだと思います。

さて、#2様に反論を立てるようで申し訳ありませんが、ビリー・グラハムが出てきたので、この人について言わせていただきたいです。もう、40年近く前に活躍した、テレビ伝道師として有名ですが、今の人たちは、知らないと思います。ただ、テレビだからこそ、論理的・分析的な目で観ることになるのだと思いますが、当時、私は、あんなインチキ臭いやらせの演出で、感動するなんていうのは、アメリカ人というものは、バカなのかと思いました。あのように人を感動させるような手法は、日本の新興宗教団体の集会のそれと大差がありません。

私には、新約聖書の「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い」という言葉を真っ先に連想させられます。アメリカ国内外でも、グラハムには、辛辣な批判を加えた人たちも多くあったし、映画で、彼を批判する内容のものもありました。ただ、日本と同様、宗教団体には、集票力や集金力があるから、政治的に利用されるのだと思います。

カリスマは、好き嫌いとは別に、多くの人に一種の威圧感として分かるけれども、人望というのは、信じている人には、そうと見えても、そうではない人には、別の面が見えるものだと思います。それは、内面性の問題なのだろうと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。
そうするとやはり、カリスマは「パッと見のオーラ」、人望は「人となりを知った上での信頼」というようなことになりますかね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/19 18:35

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