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基本的なことですみません…
ふと気になったので
現在世界史の教科書などの図式に登場する遊牧民族の領土は彼らが自ら開拓・統治していたのですか?でも遊牧民って定住はしませんよね?匈奴とかには単于を中心に他四つの王がいたとか…でも定住を目的としないならその地域の王様っていったいなんの意味が?いまいちイメージがつかめません…

自分は今後古代の遊牧民について歴史学から研究していきたいんですが文字史料も十分に残ってない古代はやっぱり難しいですか?( ノД`)…
教授に聞けって感じですが大学1年なのでまだちょっと教授は怖いです;;

A 回答 (5件)

そうですねえ、私も詳しいわけではないのですが狼と同じ感覚だったようです。


つまり定住はせずうろうろするが縄張りの地区は決まっている感じですか。
よそ者が入ると武力で追い出していたようです。

もう1つ単于は皇帝みたいなもので左賢王と右賢王がサポートする、みたいな感じじゃないでしょうか。
何万人もの所帯になると一か所にいればあっという間に牧草を家畜が食い尽くすので当然分散しますよね。
その分散したまとまりを1つ1つ代理でおさめていた単于の部下がいたらしいです。

三国志時代の匈奴の資料はそこそこあるみたいです。
ちなみに今ロシアでもめてるウクライナはタタール人が住んでいる地域で、タタール人も古代中国と深いかかわりを持ってきた遊牧民族の1つですよ。
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この回答へのお礼

統治と言うよりは単于の部下で監視みたいな感じだったんですかね(*_*)それでよりよい草原地帯であれば侵攻(?)して縄張りとしていたのでしょうか…自分の知識不足がどんどん明らかになっていきます(笑)図書館でたくさん文献も探そうとおもいます!ありがとうございました!大変参考になりました(*^^*)

お礼日時:2014/04/14 15:10

遊牧民にとって必要な物は、家畜に食べさせる「草」です。



それは食べつくせば無くなりますから、新しい牧草地を求めて移住を繰り返すことになります。

「農耕」は出来ません。

開墾を必要とするだけの樹木が生える環境ならば農耕が可能です。

樹すら生えない土地だから、「放牧」になるのです。


そして牧草地の草は大事な家畜の為の餌でありますから、イコール財産とも言えます。

ですので土地を守る為に戦もします。(その為に人口が適度に保たれたとも言えます)

放牧では土地の広さで賄える人口が決定してしまいますので、非常に厳しい生存競争に常に晒されていました。

その中で「強い」リーダーは広い放牧地を使用する権利があります。

その群れに加わる為に、家臣となったり、または直接牧草の売買などと経済的にも強くなり、そういった者が「王」になります。

王が一人に統一できなかった・ならなかった理由は、前述の土地の面積で養える人口が決定されてしまう事に原因があります。

人口が増え続ければ、飢え死にを余儀なくされてしまうのが判っているので、土地を奪う行為を繰り返さざるを得ない宿命があったからです。

実際にチンギスハンが統一をしますが、その後は一度も統一王朝は出現しませんでした。

中国では始皇帝以降、興亡を繰り返しますが、安定期は統一王朝の形を取っています。


遊牧民の生活様式では人口に限界があり、農耕の可能な土地では放牧などよりも遥かに大量の収入を農耕で得る事が出来るので、放牧の意味がありません。

放牧の最大のメリットは、人間の食べる事の出来ない「牧草」を人間の食料に変換してくれる家畜を利用する事なのです。

人間の食べる事の出来る作物を直接作る事の可能な土地では、土地面積とカロリー収支上、放牧はデメリットしかありません。



結局、「王」というイメージが「宮殿」等と結びついているから、つかみきれないのではないですか?

定住はしなかった為に、遺跡などでの記録は残っていませんし、何よりチンギスハンでさえもその墓は判りません。

古代(チンギスハン以前)は文字も無いので、口伝以上のものは無く、中華文明での記録を読むしか方法が無いです。


大変だとは思いますが、逆にやりがいもある分野でしょう。

新たな報告を楽しみに待っています。
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渡り鳥のようなもので遊牧民は一定の地域をぐるぐるまわって家畜に牧草を食べさせていたんです。


そのぐるぐるまわる地域が自分の縄張りで、そこに他の遊牧民が入ってくると自分らの牧草が食べられるので戦争になって追い出したんです。
そして部族が大きくなると王の長兄が部族の一部をひきつれて分家するんです。分家したら彼らも家畜と家臣をもってまた遊牧をするのですが、新たな土地が必要となるので領域を広げていく、このときにおうおうとして遊牧民同士での戦争になるんです。
こうして大きな部族はどんどん分家を増やし規模を増す、各自が各地の王となり本家がトップにいて、戦争になれば共同して外敵にあたります。。
こうして大きな部族になればときに他の部族をまるごと服属させることもあります。
だから君主の元に複数の王が居たら、その王は君主の分家した子であったり兄であったりする血縁のケース(あるいはその子孫)と、服属した他の部族のケースがあります。
なお代替わりは最後に残った息子が行うので、遊牧民は基本が末子相続なんですよね。

遊牧民にもいろいろな部族が居て匈奴の風習は知りませんが、概ねこんな部族形態をしているのはかわりないと思います。
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>自分は今後古代の遊牧民について歴史学から研究していきたいんですが文字史料も十分に残ってない古代はやっぱり難しいですか?( ノД`)…


難しいというよりも日本の歴史学会に研究者が少ないというのが現状です。
(上手く論文を書けば比較的早く教授になれます)
ロシア語、モンゴル語、漢文の素養が必要となります。
最近の歴史研究は、史料頼りだけではなく考古学とのタイアップも進んでいます。
未開拓の新天地開拓と思って頑張ってください。

尚、大陸に住んでいる人たちと日本人やヨーロッパ人とは「国」というものに対する感覚が違います。
アフガニスタン、パキスタン、カザフスタン、などの名称の最後のスタンというのは、奴らが住むところと、いう意味です。
国境線などという感覚とは無縁の言葉です。
一般に国家というのは、領土、国民、統治機構の三つが必須条件とされていますが、これはあくまでもヨーロッパ人の感覚です。
「俺たちが住むところが俺たちの縄張り」と、まぁ~こんな感覚です。
結果としてあっちへいったりこっちへきたりします。
その足跡をセッセと追いかけることになります。
頑張ってください。
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1. 現在世界史の教科書などの図式に登場する遊牧民族の領土は彼らが自ら開拓・統治していたのですか?



    「開拓」というと自然林などを切り開いて、農地にする事が前提になりますが、その「前」です。

2。  でも遊牧民って定住はしませんよね?

    はい、ふつう飼っている動物の食糧がある場所に移動します。しかしその場所は大体決まっていて、常に新しい土地へ動くのではなく、ある一定のルートに従って季節に応じて場所を変えるわけです。

3。  匈奴とかには単于を中心に他四つの王がいたとか…でも定住を目的としないならその地域の王様っていったいなんの意味が?

    あるグル-プが動物の食糧を求めて肥沃な或る地点に移住する、もう一つのグループも同じ地点に到着する、争いが起こる、

    その時グループ間の闘争を専門に扱う人間、一人では出来ないから支持者が必要になる。こうして政治組織、権力構造、「王」などが出来るのだと思います。

    大きくなれば、ヨーロッパに東から圧力をかけ、その、二次、三次、の反動で「ゲルマン民族の大移動」などを引き起こし、世界史を変えることも出来る。

    これは定住していないため、必然的に持っていた優れた機動力によるもので、書いたものがなく、何語を喋っていたかも定かでない(諸説紛々です)遊牧民の強さが下記などでも分かります。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7% …
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この回答へのお礼

質問を解体してくださって大変わかりやすかったです!なるほど基本的な知識が補完されました!ありがとうございました♪

お礼日時:2014/04/16 07:41

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