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高校生です。

『夏の花』という作品で読書感想文を
書いたのですが...

この本は作者の実体験を元に書かれた作品で、
主人公は名前がなく、私は~という形で
話が展開されています。
なので感想文は、主人公の私 と 自分の意見を
述べるのに使った私(ex私は~と感じた。)の
二つの私を文中に書いたのですが第三者が読む場合
分かりにくいんじゃないのかな、と思いました。

主人公のほうの私を書きたいときは「私」と
書いたほうがいいですか?
あと、主人公の 私 を囲むカッコは
「」でいいのでしょうか?

A 回答 (5件)

こんにちは。

 読書感想文に記載すべき内容はこの短編小説の内容を先ず数行に纏めます。 本の内容が広島で被爆した体験談なのに、何故『夏の花』という全く内容と不釣り合いなものにしたのか。 そこら辺りに考察を巡らせておくと内容の理解が深まると思います。

参考までに『夏の花』Wikipedia添付します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E3%81%AE% …

憲法改正論議が出始めています。 日本国憲法がノーベル平和賞の候補になっています。 戦後の日本の発展はこの憲法に守られていたためです。 

今年あなたが短編小説『夏の花』に出逢われた。 これは決して偶然なんかではありません。 この本で作者が言いたかったことは何か。 先生があなたに読み取って欲しい主題は何か。 この本はあなたの人生に大きな影響を与える本になって欲しいと願っています。  何回も何回も読んであなたの魂の肥やしにして下さい。 
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 少し解りづらかった可能性もありますので、シンプルにお話しします。


質問者様が「評論文」を評価する時にはどの様な表記をするでしょうか。それと同じ発想で書けば、問題をすんなりと解決することもできるでしょう。
 「評論文」(僕の年代層では、余りこうした細密に区分することを好みませんが)を読む時に気付くことはありませんか?。その文章の書き手が主役となっている形ですね?。そうした形と原民喜さんの『夏の花』のようなモノローグ形式や回顧録形式の作品を「同じ感覚で」読んでみて下さい。
 「文章にある目線」との意味で分類するならば、評論文を書き手と読み手の二重構造として、創作は書き手とその作品の登場人物そして読者との多重構造の上に成り立っている文章と言い換えることもできます。
 感想文ならば、この筆者はこう考えているが、私の考え方とは少し違うとして、貴方のこの作品に対する視点を読字に提示することができ、それを中心として感想文全体を展開していくことにもつながります。
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 そうであるならば、「この人物は」なり「この男(あるいは女)」といった表記でも可能でしょう。


そして『夏の花』は原民喜さんの作品であり独白録のような形の作品ですので、自身を対称化することで作品を語り始めもします。
 こうしたことから、この作品の主人公は必然的に原民喜という人物に限定されます。もし作品の内容を引用する必要があるならば、「私は(筆者は、あるいは原さんは)」と言っているが、私の印象は少し違うとすれば、違いを明らかにすることにもなり、問題はないことになります。
 但し、感想文とはいえ「私は~!」「私は~!」と書いてしまいますと、冗長でくどくもなりますので、御自身の感想なり意見を述べる部分では主語を省略しても構いません。むしろ主語を明記する必要もないといえ、その理由も「~と思う、~と考える」ならば、そうした行為をできるのは「そう思う、そう考える」人に限定されるとの理由です。
 もしこれが「~と思っている、~と考えている」ならば、「そう思ったり考えたりしている人」を対象と見ている可能性もあるとの考えも成り立ちますから、その場合には注意も必要になります。
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「主人公」と「自分」でしょうか。


「」は無いほうが、見た目すっきりします。
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私だったらそのまま「主人公」「作者」と表現します。



例えば
「私は、主人公が○○をしたのは××だったからじゃないか、と感じました。」
というふうにです。
最初に「主人公」と書いておき、2回目からは「彼(あるいは彼女)」と表現する手もあります。

私と「私」で区別するのも良いですが、それだとこの本の主人公は名前が明記されていない点を説明しないと伝わりにくいかもしれません。
文章は読みやすいのが一番です。
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