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敗戦直後、政府・軍部が機密書類を焼くよう指示しています。
どんな内容のものを焼却処分せよと命じたのでしょうか。
戦争犯罪の追及を恐れて焼却したのであれば、捕虜の扱いに関するものが相当すると思いますが、他にはどんな内容のものが焼却処分の対象になったのですか。
それともそんな余裕はなく手当たり次第に焼却したのですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

あまりにも焼却し過ぎて、あとで日本人自身が困ったほどでした。


下記サイトにその一端が載っています。ここは本職の日本近現代史の学者も参加しており、そのレベルの高さはネトウヨサイトなどとは比較になりません。

公文書焼却について - 従軍慰安婦問題を論じる
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/26
〔引用開始〕
20: 防衛研究所も認める「大半は終戦時に焼却」
防衛研究所では、戦史の調査研究と戦史の編さんを行うために、陸海軍にかかわる史料の収集を行いました。史料の大半は終戦時に焼却され、あるいは戦後の混乱により散逸してしまいました。焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、長い外交交渉の末、昭和33年4月にようやく我が国に返還され、その大部分が防衛研究所に所蔵されています。
〔中略〕
46: asahi.com 軍の焼却命令メモ発見 徴兵日誌にはさまれ 鳥取
2007年07月06日08時41分
 敗戦の際、旧日本軍が全国の自治体に出した徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが、鳥取市の鳥取県立公文書館で確認された。燃やされなかった同県日野郡二部村(にぶそん)(現・西伯郡伯耆(ほうき)町)の「兵事動員ニ関スル日誌」の1945(昭和20)年8月15日の項にはさまっていた。研究者によると、軍の焼却命令を伝える文書が残っているのは極めて珍しく、軍部による指示の具体的内容を知る貴重な資料という。〔中略〕
 防衛省防衛研究所戦史部の柴田武彦・主任研究官によると、敗戦時の軍内部の焼却命令は、痕跡を残さないよう、ひそかに出され、命令を伝える文書自体が焼却の対象だったという。
〔中略〕
50: 三日三晩、夜空を焦がして文書を燃やした
敗戦後の日本軍の資料焼却については吉田裕が「現代歴史学と戦争責任」(青木書店、1997年)で詳しく書いていますね。1章を設けて「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」p127~141で書いています。この中で、
「敗戦当時、官房文書課事務官であった大山正が『内務省の文書を全部焼くようにという命令がでまして、後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか判らないから、選択なしに全部燃やせということで、内務省の裏庭で三日三晩、えんえんと夜空を焦がして燃やしました』と回想している。」
とあります。(p129)
〔中略〕
51: 鹿内信隆フジサンケイグループ会議議長(1973年当時)が語る公文書焼却
終戦8月20日前後なんですよ. ところが,そのころになると陸軍省の経理局も書類をどんどん焼きますわな.〔中略〕 経理局長閣下に,確か中将か少将でしたが,その人に「これは一ケタ違います. 書き直して切り替えてください」といった. そしたら「きみ,いまそんなことをいわれても,書類は全部焼いちまったんだ.〔中略〕
とにかく,あのころは書類を片っぱしからドラム缶の下のほうに穴をあけて,どんどんぶち込んで燃やすんですから,陸軍省でも海軍省でも. それはもう,大変な書類の焼却でしたね.
〔中略〕
52: 秦郁彦が語る公文書焼却
軍は有史いらい初めての敗戦に動転したのか、終戦の日に重要書類の大部分を燃やした。戦犯裁判の材料にされるのを恐れたからとされるが、選別の余裕もないままに、人事記録まで処分してしまう。
そのため、講和後に軍人恩給が復活したとき、裁定に困惑した。しかたなく、履歴がない軍人・軍属には申請書に同一部隊の戦友二名の証明を添付することで間に合わせた。
(秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』、1999年 新潮選書、177-178ページ。)
〔中略〕
55: 南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報
Apes! Not Monkeys! はてな別館 2008-01-07
〔中略〕 南京攻略戦に参加した部隊の戦闘詳報のうち、今日現存していて研究者に資料として用いられているものよりも失われていない現存しない、見つかっていないものの方が多いわけです。ところで、戦闘詳報には捕虜の殺害、敗残兵の殺害が「戦果」として記載されています。敗残兵はともかく捕虜の殺害が戦闘詳報に書いてあること自体重大な意味をもつわけですがそれはおくとして、戦果として書いている以上過大に書くことはあっても過少に書くことは(なにか特別な理由でもない限り)ない。ということは、仮にすべての戦闘詳報が残っていれば、少なくとも捕虜、敗残兵の殺害に関する限り「上限が○○人くらい、それ以上ということはまずない」と相当の説得力をもって主張することができるわけです。
憲兵隊や法務部の資料にしても、第十軍法務部の陣中日誌と法務部長の日記があるくらいで、上海派遣軍の分は残っていない。その日記には「強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針をとり成べく処分は消極的なりしも斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思う」とか「その実際の数を挙ぐれば莫大ならん」と書いてあるので、大規模に発生したことはわかっても、やはり「上限」を推定する資料にはならない。
つまり、被害(加害)規模がはっきりせず「30万人はない」と断言できない要因には自業自得的な側面もあるということです。ちなみに、BC級戦犯裁判においても降伏時の文書焼却のため弁護に支障を来したケースがあるとのことです。
〔中略〕
56: 大阪府特高文書の焼却処分
敗戦の15日の午後,特高関係の書類を焼却せよとの指令が入ったので,山なす書類を暑い陽ざしのなかで次々にドラム缶の中に投げ込み,まる二日間かけて焼いた.
【出典:『世界』2008/4月号(no.777)pp.262-268 より抜粋】
〔中略〕
57: 内務省事務官が全国をまわって公文書焼却の通達
奥野誠亮元法相(当時は内務省財政課事務官)
公文書は焼却するとかいった事項が決定になり、これらの趣旨を陸軍は陸軍の系統を通じて下部に通知する、海軍は海軍の系統を通じて下部に通知する、内政関係は地方統監、府県知事、市町村の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示することにした。十五日以降は、いつ米軍が上陸してくるかもわからないので、その際にそういう文書を見られてもまづいから、一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡にしようということで、小林さんと原文兵衛さん、三輪良雄さん、それに私の四人が地域を分担して出かけたのです。
〔中略〕
60: 朝鮮総督府の書類をみんな焼かせたという元朝鮮総督府警察署長の証言
負けたとわかったとき、私の判断で役所の書類はみんな焼かせました。特に高等警察の「内鮮」に関するものはぐあいが悪い。しかし、書類というものは燻って燃えないものですよ。一週間くらいかかって焼きました。
(西野留美子「従軍慰安婦 元兵士たちの証言」P.217)
〔中略〕
62: Re:林博史氏が英国立公文書館で見つけた資料
2008.4.4 共同配信記事 2008.4.5 各紙に掲載
 一九四五年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。
 研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。
 重要文書類の焼却は、四五年八月十四日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約二週間に、政府や旧軍が組織的に実施。〔中略〕
一橋大大学院の吉田裕(よしだ・ゆたか)教授(近現代史)の話
〔中略〕 この徹底焼却のため、日本の指導部を裁く東京裁判は証人に依存した裁判となった。対照的にドイツのニュルンベルク裁判は連合国側が押さえた証拠書類に基づく裁判と言われる。
〔引用終り〕
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この回答へのお礼

詳しいご回答、真にありがとうございます。
大変よく分かりました。
サイトも大変よかったです。

質問文には書いていませんが、本当はいわゆる従軍慰安婦について「燃やしてしまったから証拠がない」のではという思惑があって質問しました。
こんなことを直に書くと回答殺到で返事に困りますから。

従軍慰安婦に関しての政府の公式見解は、
「軍や官憲による従軍慰安婦を強制連行したことを直接示す証拠がない」
ということですが、「直接示す証拠がない」とは「間接的には強制連行した証拠がある」と暗に言っていると解釈できます。
お役人の表現は、言い逃れができるようにどちらにも取れるような細工が施してありますね。

ここまで徹底的に焼却したとは知りませんでしたが、冷静に考えると手当たり次第に燃やそうとした心情は理解できます。
全て、わが身大事ですから。

敗戦直後、当時の宮内省が天皇に戦争責任が及ばぬように機密書類の焼却を省内に指示した文書が宮内庁の宮内公文書館に残っていた、というニュースを以前に聞いたことがあります。

すっきりしました。感謝申し上げます。

お礼日時:2014/08/31 21:39

映画「ヒトラー最後の12日間」では、ソ連軍がベルリンに肉薄してきて、総統府が中庭で大混乱の中機密文書を焼却処分している場面があります。


また、キューバ危機を描いた映画「13デイズ」では、いよいよ米ソ開戦の危機に陥ったときに在米ソ連大使館の煙突から煙が出ていて、それを見た主人公たちが「機密文書を焼いているんだ」とつぶやく場面があります。

「敵に占領されそうなら、機密文書は焼け」は世界共通のお約束といえるでしょうね。人に知られたくない文書だから機密扱いにしているわけですからね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

映画「13デイズ」で思い出しましたが、真珠湾攻撃前に日本の在ホノルル領事館でも本省の指示で暗号表他機密文書を焼いた、と誰かの回顧録で読みました。
確か、外務省の暗号は米国に解読されていたはずで、…後で整理してみます。

「敵に占領されそうなら、機密文書は焼け」は世界共通のお約束ということ、同感です。

お礼日時:2014/08/31 19:51

機密文書を焼いたのは日本ではなく米軍です。



第二次大戦当時、国際法規で以下のことが禁止されていました。
・侵略戦争
・民間人の殺害、暴力、強姦
・略奪行為
・捕虜、投降兵の虐待

しかし、これらは白人国家の間だけの取り決めで、「国際」の中に有色人種は入っていなかったのです。それが証拠に、
白人国家は世界中に植民地を広げました。武力を投入し、王族を皆殺ししました。女性を強姦殺害した後は、財宝を盗み取っていきました。全滅させられた村もあります。男性は赤ちゃんでもその場で殺害、女性は強姦してから殺害しました。捕虜を食べさせるには食糧が必要ですが、有色人種の命など、気ほどにも思わないのが白人です。あらゆる限りの拷問で痛めつけて、最後は殺害しました。

アジアでは日本とタイ以外はこのような侵略を受けました。それに立ち上がったのが日本だったのです。欧米が日本を邪魔者扱いする心理は理解できると思います。

ではなぜアジアに親米や親英の国家ができたのかと言えば、植民地の中で内紛を誘導したからです。植民地の村で女性を全員強姦して混血児が生まれたら、白人の血が混ざっているという理由で、襲わなかった村と差別をします。混血の人達だけに「独立後には優遇するから」と口約束をして、国の内部で紛争の種を蒔くのです。この時、敵と味方の両方に武器を売りつけるのが白人の商売方法です。

と、このような証拠が誠意あるジャーナリストの手で見つけられています。

中国が日本に反日感情を抱くもの、上のような策略に乗ってしまったからです。米国としては日本が科学技術、産業、経済、そして軍事外交の面で、国際舞台で活躍することを許せなかったのです。「白人のわれわれを差し置いて…」という差別意識から生まれる嫉妬です。中国の活動家に対して経済的な支援と、米国での教育によって反日感情を植えつけます。蒋介石などはこれにまんまと乗って、抗日運動を展開します。日支が手を組んでアジアの独立を目論んだら、欧米はアジアの植民地を全て失うことになります。米国はそれを防いだのです。

戦後、軍事裁判をするにあたって、米国は自国の侵略の歴史の証拠を全て焼き尽くしました。その上で日本の近代史を書き変えたのです。戦争の責任は全て日本の責任にするためです。日本人の敗戦トラウマはとても大きく、原爆を落とされた責任は日本にあるかのような論調まで出てきました。空襲も沖縄戦も民間人への攻撃なのでA級戦犯なのですが、裁判にすらかけられませんでした。

このように書き変えるために、終戦後にすぐに焚書(書物を焼くこと)をしました。白人国家は常に侵略戦争を続けてきたので、いつもの流れに沿った行動だったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですか、全て知らないことばかりでした。

お礼日時:2014/08/30 19:39

取りあえず、機密書庫のモノは全部



一々取捨選択するような余裕はない
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
せっせと燃やしても、それでも燃やしきれない書類がかなり残ったということですね。

お礼日時:2014/08/30 19:38

>それともそんな余裕はなく手当たり次第に焼却したのですか。



所がどっこい、焼却命令を無視して個人で保存していた書類もあるのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうでしたね。そんな例も案外多いのかも。

お礼日時:2014/08/30 19:36

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