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創価学会批判はネットでよく見るが何故否定する理由がよく解らない。芸能人なんかの信者名簿が掲載されているが、なんとなく否定的な雰囲気である。
戦国時代一向宗と呼ばれた真宗は今も創価学会と同程度の檀信徒を持っていると思う。その昔はかなり過激な行動を取っていたことは歴史的事実だと思いますが、その頃は新興宗教だったと思います。新興宗教だからと言うなモルモン教徒の芸能人や真如苑の信者もいると思います。
広中平祐夫人が公明党から選挙に出たが創価学会会員とかの批判はあまり無かったように思う。
昔の竹下首相は西本願寺の檀家総代だったそうだが、そのことを批判されていた記憶がない。なぜなのでしょうか。
かくいう私は創価学会もモルモン教も真如苑も嫌いです。でも理由無き否定はしないつもりです。何故だしょうか。

A 回答 (13件中1~10件)

まず、創価学会に限ったことではありませんが、創価学会は宗教ではありません。

信仰ではなく狂信です。
そしてこの教団が大きく力を持っていることが批判の原因となっているとも言えるでしょう。
末端の信者はその教団の強さなどを堂々と勧誘活動に利用します。芸能人、有名人がいるとか、優位な立場や相手が断り難い関係を利用してでも勧誘しようとする信者が沢山いるのです。
勧誘等で嫌な思いをした人も多いでしょう。

最も問題なのは、信仰によって「これが絶対に正しくて、これが絶対に間違い」「この信仰でしか幸せになれない。他の信仰では不幸になる」などの非常に偏った価値観を信者に植え付けてしまうことです。

それは必ず周囲と対立を起こします。これは当然、個人差が出ますが、「正しい」と強く信じるほど、「間違い」という概念を必要とします。
仲間との団結を強くするほど、敵を作るのです。だから争いを作るのです。

簡単に言えば、学会員は「素晴らしいこと」「正しいこと」と強く信じ、他人に勧めるわけですが、それこそが争いを作り、人間関係を壊す原因となることに気づかないのです。

彼らの勧誘は「拘り」の押し付けでしかなく、彼らも堂々と「自分が良いと思うものを他人に勧めて何が悪い?」という態度です。
それほどレベルの低い信仰(正確には狂信)なのです。

何を信じようが「信仰」と定義するのもよいですが、創価学会の場合は、他人に勧め信者を増やすということが自分の幸せに繋がることであり、勧誘しないと信仰として成り立たないわけです。つまり、信仰が自分の内面に向かうのではなく、外界に向いてしまうのです。実に迷惑な信仰であり、周囲に迷惑をかけるものです。

これは、そもそも宗教法人の認可の時点で問題があります。「自分たちは正しい」「素晴らしい団体なんだ」というような信仰を指導する教団(または指導者)を宗教と認めるべきではありません。
個人が頭の中で何を信じようが自由ではありますが、「宗教法人」となれば、最低限、他人に迷惑をかけない信仰でなければいけません。

この回答への補足

色んな感想ありがとうございます。いかに創価学会がきらわれているかはわかるんですが。
狂信というとイスラム教の過激派が日本人のある教授を殺害したとか云う事があったように思います。そういう狂信と比べればましかなと思います。
そんな創価学会と連んでいる公明党と連立を組んでいる自民党(内部には色々意見はある様ですが)をそんな学会並に批判していないように思います。また宗教法人認可した東京都は創価学会が多いと思います。
創価学会が日本最大の信者を持つ宗派の一つだと思います。しかし仏教の基本の仏法僧の僧を抜いてありえない気がするのですが・・・。僧を批判するなと言うのでは無く、僧の居ない仏教が変な気がするのです。幹部という名の僧なのかもしれませんが、何度か学会の友人葬に参列しましたが違和感ばかりつのります。俗名の墓石にも馴染めないものを感じます。
それを根本的な否定因子として学会否定論には成りにくい。

補足日時:2014/09/20 05:57
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>そんな風な発想になるところが知りたいのです。



「竹下首相は西本願寺の檀家総代だったそうだが、そのことを批判されていた記憶がない。」おっしゃられているので、一向宗と同じ試練を乗り越えれば同じ立場で論じられるでしょうと言っているのです。
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単に構造が、北朝鮮の将軍様や共産国の書記長や昔の帝国時代の独裁者、と同質だと感じるから、多くの人は嫌悪を抱くのだと思います。



創価学会は組織的な力が強いので、売れない芸人が組織の力で売ろうとしてたり、議員が選挙に勝つために利用していたり、逆に公明党は創価学会の理想を実現するための党だったりして持ちつ持たれつですが、厚顔無恥を開き直って何が悪いといってるのですから、まぁネタにされても返って宣伝になってるなどと言っているのではないでしょうか。
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検索窓に「博士の独り言 創価学会 殺人事件」で検索すると



この博士の独り言を読むだけで

ここであれこれ説明しなくても創価学会のしつこさ、怖さがよく

分かりますよ。

「国民が知らない反日の実態ー創価学会の正体wiki」を

ひらくと 分かりやすいと思います。
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しつこく一方的にさえ勧誘するのが「親切心」なのだとすれば、


顕正会は創価学会よりももっと親切、ということになると思いますが・・・、
でも、創価は顕正会を破門したんでしょう?

創価も十分に、しつこくて一方的だから、
創価が顕正会を悪く思うんだったら、私たちだって創価を悪く思いますよ。
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学会員です。




【洗脳】行為が、人の道をはずれたことだからです。






小説【人間革命】の出だしには、

「戦争ほど、悲惨なものはない。」

とありますが…

創価学会を体験した私は…

「洗脳ほど、悲惨なものはない。」と、ここで訴えかけています。


あのオウム真理教のような、恐ろしい思想集団(自分達だけが正しいと主張する)を作ってはならないと。
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創価学会というのは、母体はご存じのように日蓮宗です。

日蓮宗の教祖はいうまでもなく日蓮さんですが、この日蓮さん、日本人宗教家としてはキャラが突き抜けすぎた人なのです。
何が強烈なのかというと、数ある日本人のお坊さんたちの中で日蓮さんだけ(とあえて言い切ります)が「俺だけが神。俺だけがファンタスティック。あとのやつは全部糞!!」と言い出したのです。それはそれはもうご存命中から血気盛んというかなんというかで、とにかくケンカを売られてもいなくても片っ端から他の宗を「あれは邪宗、これも邪宗、みんな邪宗」と批判してケンカを売って回ったのです。
日蓮さんの教えを一言でいえば「法華経だけが正しい。あとは全部ファックだ!」です。

そして日蓮さんはもうひとつちょいと強烈なことをおっしゃいました。「我を、崇めよ」と。
個人崇拝を公けに認める日本の仏教宗派はとても珍しいです。空海さんも最澄さんも親鸞さんも道元さんも「我を、崇めよ」とまでは公言されませんでした。「ちょっとそれはイヤミだよねー」と、そこは日本人の謙虚さで。しかし日蓮さんは謙虚さの欠片もないお方です。入場したプロレスラーがトップロープに登って「俺を盛り上げろ」とする感じなお方だったのです。

それで、日蓮宗はそういう教義ですから、「間違った教えを信じているやつは正しい教えに導かないといけない」と決まっております。これを彼らの言葉で「調伏」といいます。
だから学会の人にしても日蓮正宗にしても、信者は「調伏」しないといけないのです。それが彼らの大事な宗教活動です。
私のところに、正宗派の機関紙が入っていたことがあります。そこの記事では、なんとキリスト教系新興宗教団体の事務所に乗り込んで宗教論争をけしかけてきたと自慢げに書いてあるんですね。まあ機関紙ですから「相手はタジタジとなった」としているのはまあいいとしても、その記事の結末は「相手は私たちの教えの正しさの前に気持ちが揺らいでいる。今後も調伏を勧めていきます」と締められていたのですね。もう日本人的には「他の教えを信じているんだからほっといてやれよ」と思うところです。

ただ、世界的に見ると日蓮宗のような「教えを広める」という考え方のほうが主流で、日本人的な価値観のほうが稀なのです。
戦国時代に日本にやってきたキリスト教宣教師たちは日本人について「よき実をつけるが、刈り取ろうとする人が余りに少ない」と嘆いています。これはどういう意味なのかというと「キリスト教の教えをよく信じているけど、その教えを広めようという活動には消極的だ」という意味なのです。彼らの価値観では、「正しい教えを広めることは神の意に叶っている」と考えるのです。
西洋人がやたらと西洋的民主主義を世界中に広めようとするのもそれと同じです。「自分たちはこのやり方で上手くいっているから、世界中の人も取り入れるべきだ」と考えるのです。
イスラム教原理主義者の人たちも基本は同じで、だからバーミヤンの大仏を平気で爆破できるのですね。あれって自分たちの先祖が作ったものだから、日本人が奈良の大仏を壊すようなものです。まあ日本人も明治維新のときに廃仏毀釈運動というのをやってずいぶん貴重なものを破壊してしまったのですけどね。

世界各地に残る宗教建築物や宗教に関する芸術を見ると、人類の「信仰」というものに対する情熱というのはすごいとしかいいようがないです。世界各地に残る遺跡の多くは神殿などの宗教施設ですからね。信仰の云々は別にして、サグラダ・ファミリアの偉大さについて異論を挟む人はいないでしょう。
また人類学者によると、どんな未開の民族でも「信仰」というのは必ずあるそうです。「人類あるところ、信仰あり」です。
日本人の多くは「無宗教」と自らを言いますが、正月は初詣に行き、クリスマスを祝い、結婚式ではキリストさまの前で永遠の愛を誓うくせに死んだらお坊さんがやってくるわけで、そのことについて疑問を持つ人はほとんどいません。宗教を男女の関係に例えるなら(「LOVE」という言葉は本来「神の愛」という使い方をされ、男女の間では使われるものではありませんでした)神社の神様、仏教の神様、キリスト教の神様すべてと寝てしまうような「乱交状態」なわけでございます・笑。だから日本人の宗教観は外国人に理解されないのです。彼らの信仰心からすると、「日本人は、どこの神様とも寝る」となってしまうのです。
私はこれを「なんでもあり教」だと思っているのですけどね。

蛇足:日本古来の宗教というと神道なわけですが、この神道には「経典がない」という特徴があります。信仰の根幹たるべき「教え」が存在しない誠に奇妙な宗教であるといえますね。
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”創価学会批判はネットでよく見るが何故否定する理由がよく解らない”


    ↑
理由。
1,政治に介入しているから、というのがあります。
 他の宗教も、票田の形成などで介入していますが、
 創価学会ほど露骨ではありません。
 
2,スキャンダルが多い。
 池田大作氏のスキャンダルを筆頭に、なにしろスキャンダル
 てんこ盛りの団体です。
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だから一向宗は、信者は根絶やしにされ、東西に分割された。



創価学会も信者を一度根絶やしにして、教団を分割して、教義を変え、数百年経てば今の真宗と同じ扱いになると思いますよ。

この回答への補足

根絶やしにされたら教団も無いように思うが?
そんな風な発想になるところが知りたいのです。
昔、ある真言宗の僧侶の方とお話させていただいた時、大正大蔵経を持っている真宗寺院と言ったら真宗に大蔵経なんか要るのかと仰ったことが印象に残りました。
日蓮宗系のお寺の奥さんは、学会を敵と言っていました。
創価学会だけでもないと思いますが、なぜか特別に批判?誹謗中傷が大きい気がします。大本が戦前多くの信者を獲得したとき官憲から弾圧を受けたが、創価学会は官憲ではなくマスコミ、個人からの嫌悪感が強い気がします。

補足日時:2014/09/17 05:58
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 僕個人は創価学会を支持母体とする公明党の平和路線・福祉路線に好意を持っていたのですが


やはり創価学会の路線は怖さを感じています。

(1)創価学会の路線と公明党の創立主旨
 日蓮正宗からも絶縁されている創価学会は池田大作氏を崇め、自分たちが国政を担って国立の
宗派の戒壇を設立することを理想に掲げて公明党は学会の信念を実現するための
ものだとしています。もちろん、情勢に応じて文言は変えるでしょうが初心は
ここにあります。そのためにマスコミに影響力をもつこと、学会芸能人を増やす
ことが着々と進められました。

(2) 確かに浄土真宗も幾多有る新興宗教も政治に影響を及ぼすために政治資金寄付
や特定政党の立候補者を信者にしまします。けれど学会は「信者」を総動員して
 公明党候補者を当選させるなど積極的に選挙に関わりまた政治に関わります。
 これは憲法違反です。宗教が政治に関わらないことが現代日本の原則。
(とは言いつつも安倍総理とその「お友達」は「日本会議」に所属し靖国神社を
盟主とする神道の意向に左右されていますけど)

 政治家個人が宗教に関わることは間違っていません。問題はある宗派が政治に
関わる事なのです。「政教分離」とはそういうことです。
※故大平首相はキリスト教徒だったけれどキリスト教の団体の利益には一切
 関わっていない。ところが公明党議員は創価学会という宗教団体のために活動

※「政教分離」は日本の苦い歴史から生まれています。
太平洋戦争で日本が敗戦するまでは政府・軍部は国家神道なる宗教を強制、
 多くの他の宗教者を投獄し、神社参拝を義務づけました。その反省にたって
 です、
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