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映画や小説、なんでも良いのですが聖書を下敷きにした話しには何故か人を惹きつける魅力があるのはなぜだと思いますか?

それは直接描かれてなくてもメタファーや寓話的な書き方であってもなぜか「そこには何かある」と元の聖書をあまり知らない日本人でも思うのは何故でしょうか?

A 回答 (9件)

旧約聖書には、考えうる限りの人間の醜さ、不道徳さ、身勝手さが、次から次へと列記されています。



ふと、わが身を振り返ったり、周りを見回すと、旧約聖書の中に出てくる物語にそっくりな出来事が起きていて、それはいつでも、私たちの考えの足りなさが原因であり、六千年経っても人間の奥底にある本質はまったく進化していないのに気がつきます。

そして、ユダヤの神様が、そんな人間のなかで、愛せる対象を見つけて、”何とかしてやらねば”と思われるのですが、それは本当はたいへん滑稽なことだと思われます。しばらくはいい子にしていても、ちょっと目を離すと、軌道を大きく外れてしまうので。。。これも、父と子の関係になんだか似ています。

普段、なんとなく生きているんだけれども、聖書の物語を読むと、”ハッと気がつく”ことになるせいだと、私は、思います。

最後に、聖書の物語は、読み手によって、崇高にもなり下品にもなりうるので、魂の試金石、ということも出来ます。
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聖書をよく知らないから。

詳しく知ると魅力どころではないから。
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 こんにちは。



 雅歌について その内容がインスピレーションにもとづくものであると見ます。

 ◆ (旧約聖書・雅歌3:5)~~~~~~
 エルサレムの娘たちよ、
 わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、
 あなたがたに誓い、お願いする、
 愛のおのずから起こるときまでは、
 ことさらに呼び起こすことも、
 さますこともしないように。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ◆ 雅歌(ソロモンのうたの中のうた) ~~~~

   そなたの口よりくちづけの中のくちづけ
   をわたしに・・・あなたの
   やさしみは ぶどう酒にまさり
   あなたの匂いは 香あぶらのように
   満ちあふれます。それゆえ
   おとめたちは あなたを
   愛するのです。
   わたしを
   伴なってください。わたしたちは
   あなたに
   ついてまいります。王が
   わたしを その室にともなわれるとき
   わたしたちは喜び
   あなたによって よろこびを
   持ちます。
   わたしたちは ぶどう酒にもまさる
   あなたの優しみを
   よび求めています。
   わたしたちが
   あなたを愛することは ゆえのない
   ことではありません。
   わたしは
   黒い肌ですが
   でも
   きれいです。
   エルサレムの女性たちが証人です。
   それは ケダルの天幕のようです。
   ソロモンのとばりのようにです。
   わたしが肌が焼けているからと言って
   ――それは太陽が灼いたのです――
   わたしを見つめないでください。
   わたしの母の息子たちは わたしを
   かたきにして怒り わたしに
   ぶどう園を見張らせました。
   でも
   わたしは
   そのぶどう園をまもることは しません
   でした。
   わたしの
   こころより愛するお方よ おしえて
   ください。あなたは
   あなたの羊の群れを
   どこで養い
   昼にはどこで休ませるのかを。
   わたしは
   あなたの仲間の群れのそばで 身を隠して
   いるような
   そんな人にさせないでください。

   もし
   女たちのもっとも美しき者よ
   あなたがそれを知らないなら
   牝羊たちの通った跡について行き
   あなたの小山羊を
   羊飼いたちの住むかたわらで
   養い育てなさい。

   わたしの伴よ わたしは
   あなたを ファラオの車の
   雌馬にたとえよう。
   あなたの頬は首飾りのなかで美しく
   えりあしは真珠をつらねて 輝こう。
   わたしたちは あなたに
   銀を散らした
   金の首飾りを差しあげよう。

   王が
   王が 伴とともに その席についたとき
   わたしの
   わたしの香油は その匂いを
   放ちました。
   わたしの愛する方
   それは
   わたしにとって 没薬の袋なのです。
   わたしの胸で 憩いを
   見出します。
   わたしの愛する方
   それは わたしにとって
   ヘンナ樹の花ぶさなのです。
   エンゲデのぶどう園に生える花ぶさです。

   わたしの愛する友よ あなたは美しい
   あなたは美しい
   あなたの
   眼は
   はとの目のようだ。

   わたしの愛するお方 あなたは美しい
   あなたは雄々しい。
   わたしたちの床は 緑のなかにあり
   わたしたちの家は 梁は 香油
   たるきは いとすぎです。


  第二章
   わたしは シャロンのばら
   谷の
   ゆりです。
   ゆりのように
   わたしの愛するお方は おとめたちの中に。
   林の樹々のなかの
   りんごの木のように
   わたしの愛する方は ひとびとの中に。
   その木の蔭にわたしは坐ります。
   その実は わたしの口に甘いのです。

   かれは酒宴の家に連れて行った。
   わたしの上にひるがえるかれの旗は愛であった。
   干しぶどうを持ってわたしに力をつけ
   りんごをもって わたしに元気をつけてください。
   わたしは愛のために病みわづらっているのです。
   どうか かれの左の手がわたしの頭の下にあり
   右の手がわたしを抱いてくれるように。

   エルサレムの娘たちよ
   わたしは かもしかと野の雌じかをさして
   あなたがたに誓い お願いする。
   愛のおのづから起こるときまでは
   ことさらに呼び起こすことも
   さますこともしないように。

   わが愛する者の声が聞こえる。
   見よ かれは山をとび 丘をおどり越えて来る。
   わが愛する者はかもしかのごとく
   若い雄じかのようです。
   見よ かれはわたしたちの壁のうしろに立ち
   窓からのぞき 格子からうかがっている。
   ・・・
   わが愛する者はわたしたちのもの わたしはかれのもの。
   かれはゆりの花の中で その群れを養っている。
   わが愛する者よ
   日の涼しくなるまで 影の消えるまで
   身をかえして出ていって
   険しい山々のうえで かもしかのように
   若い雄じかのようになってください。

   わたしは夜 床の上で
   わが魂の愛する者をたづねた。
   わたしはかれをたづねたが 見つからなかった。
   わたしはかれを呼んだが 答えがなかった。
   《わたしは今 起きて 町をまわり歩き
   街路や広場で わが魂の愛する者をたづねよう》と
   かれをたづねたが 見つからなかった。
   町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので
   《あなたがたは
   わが魂の愛する者を見ましたか》と尋ねた。
   わたしがかれらと別れて行くとすぐ
   わが魂の愛する者に出会った。
   わたしはかれを引き留めて行かせず
   ついにわが母の家につれて行き
   わたしを産んだ者のへやに入った。

   エルサレムの娘たちよ
   わたしは かもしかと野の雌じかをさして
   あなたたちに誓い お願いする。
   愛のおのづから起こるときまでは
   ことさらに呼び起こすことも
   さますこともしないように。

   没薬 乳香など 商人のもろもろの香料をもって
   かをりを放ち
   煙の柱のように 荒野から上って来るものは何か。
   見よ あれはソロモンの乗り物で
   六十八の勇士がそのまわりにいる。
   イスラエルの勇士で
   みな つるぎをとり 戦いをよくし
   おのおの腰に剣を帯びて 夜の危険に備えている。
   ソロモン王は・・・
     (雅歌 1:1-3:9)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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#5さん、#6さんの御意見、さすがですね。

結局、人間のあらゆる面が描かれてゐるといふことなのでせうか。
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plapotaさん、


ソロモンが書いたとされる、旧約の雅歌なんて、
一大エロスの宴ですよね~。

雅歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%AD%8C


Wikipediaには何も書かれていないけれど、
あれは、間違いなく、性愛とSEXについて書かれた書ですよね。


http://blog.livedoor.jp/yokoya2000/archives/3590 …
http://kawaguchichurch.org/messages/20070902_Ser …


実際は、ものすごく卑猥なことが書かれている。
気づかない人は、気づかないでいいんですけれど…。
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>>「そこには何かある」と元の聖書をあまり知らない日本人でも思うのは何故でしょうか?



「元の聖書」を読んでゐない人でも、知つてゐる内容が多いからではないでせうか。世界最大のベストセラーですから、さまざまな形で情報が自然に入つてきます。

バベルの塔やノアの箱舟については、ほとんどの人が聞いたことがあるはずです。ミレーの「落穂拾ひ」は、ルツ記にもとづきます。ピノキオが巨大魚にのみこまれる話は、ヨナ書に似たやうな形ででてきます。「豚に真珠」「目から鱗」といふ表現は新約聖書が出典です。

もう一点。
イスラエルと日本は正反対の環境だから、好奇心がわく、といふのもあると思つてゐます。一神教で、陸つづきの他国との対立で常に国家存亡の危機にある。

回答番号3の指摘には賛成です。
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~~~~~~


19:24主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、 19:25これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。 19:26しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。 19:27アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、 19:28ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。
19:29こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。
19:30ロトはゾアルを出て上り、ふたりの娘と共に山に住んだ。ゾアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘と共に、ほら穴の中に住んだ。 19:31時に姉が妹に言った、「わたしたちの父は老い、またこの地には世のならわしのように、わたしたちの所に来る男はいません。 19:32さあ、父に酒を飲ませ、共に寝て、父によって子を残しましょう」。 19:33彼女たちはその夜、父に酒を飲ませ、姉がはいって父と共に寝た。ロトは娘が寝たのも、起きたのも知らなかった。 19:34あくる日、姉は妹に言った、「わたしは昨夜、父と寝ました。わたしたちは今夜もまた父に酒を飲ませましょう。そしてあなたがはいって共に寝なさい。わたしたちは父によって子を残しましょう」。 19:35彼らはその夜もまた父に酒を飲ませ、妹が行って父と共に寝た。ロトは娘の寝たのも、起きたのも知らなかった。 19:36こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。

口語訳聖書 創世記
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html
~~~~~~

確かになるね♂♀
スペクタクルな近親相○AVができるに違いない(笑い)。

わたしが思うに、
神さまがソドムとゴモラを滅ぼしたのは同性愛のAVを見たくなかったからに違いない。
───19:5ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
の「知る」は、そういう意味だよ。
女を知る。男を知るの「知る」の意味───
そして、
父娘相○のAVを見たかったに違いない♂♀
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聖書や説話には長年にわたって人から人へ伝わるうちに


人生訓が含まれていくように変遷していくので
人が生きて行くうえで納得できることがあるので残ってきたといえます。
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それは 聖書の醜い部分を省いて制作してるから



聖書にだってソドム ゴモラみたいな場所があるが 其処を取り入れた作品は無いから そう思うだけ
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