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こんばんは。

最近ちょっと、神話と工芸に関しての書籍を読んでいて思ったのですが・・・神話に関して書物の筈なのに、北欧神話やアステカ神話、ギリシャ神話等と、それにまつわる工芸の紹介はされているのに、聖書に関する記述は載っていませんでした。そう言えば・・・と考えると、他の神話に関する書物にも、キリスト教の神話=聖書に関する記述は、あまり見かけた事はありません。もしかして聖書は神話にカテゴライズしてはいけないのでしょうか?

天地創造の記述や民族の歴史、「神」を通した様々な事象の記述を考えれば、私としては聖書は神話にカテゴライズされていたのですが、様々な書籍や記述を見るに、神話を語る時に聖書はどうも別物・・・と言うか、特別視をされているような気がします。

聖書は神話と認識するのは間違いなのでしょうか?

A 回答 (8件)

一般に聖書を神話に含めないことが多いとしたら、それは分類者一般に、キリスト教を特別扱い(特権的扱い)をしている人が多いから、ということでしょう。


単にキリスト教文化・西洋文化の力が強いから、あるいは、現在の「学問」体系自体がキリスト教文化圏から生まれたので必ずしも中立ではないから、ということだと思います。

>聖書は神話と認識するのは間違いなのでしょうか?
「聖書」「神話」の定義次第で変わるので、これは正確に答える方法の無い問いです。

旧約聖書は雑多な文書の集合で、天地創造等の「神話」だけでなく、
「民族史」(ただし事実そのものとは違う)
「法律」(日本ではユダヤ教・キリスト教関係では「律法」と何故かひっくり返した用語を作ったようですが、原語はごく普通に「法律」という意味です。)
「民謡・詩歌」
「預言」
などがごちゃごちゃ入っています。
「預言」というのは、例えば大川隆法氏の書いた本と同じ種類の本ということで、『神は(自分という預言者を通じて)こうおっしゃっている』『神意はこいうことだ』と主張する文書と言っていいと思います。
これは神話や伝説というよりまさに宗教文書ですね。
新約聖書もまたごちゃごちゃですが、その根幹部分である「福音書」は、「イエス伝説」という趣きです。

キリスト教を特別視しない立場からは、「Bible」は一つの宗教の教典に過ぎず、その中には神話も含まれている、と普通に言ってよいのではないでしょうか。

この回答への補足

すみません、こちら福岡で、地震で取り込んでいますので、お礼が遅くなると思いますが、ご了承下さいませ。大変申し訳ございませんでした。

補足日時:2005/03/20 15:13
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この回答へのお礼

こんばんは。

補足にも書きましたが、ちょっとお礼が遅くなってごめんなさい。
回答を拝見して、今回自分が疑問に思ったことへの理解と納得ができました。とても解り易い回答を有難うございました。

#2さんのご回答にもありましたが、マジョリティの宗教であればこそ、その出版物や意見が偏っていくのは仕方ない事なのでしょうね。
個人的には今のスタンスで認識したいと思います。

どうも有難うございました。

お礼日時:2005/03/20 22:14

旧約聖書の最初の方は民話というか神話だと思っています。



アダムが何百年とかノアが何百年も生きていたとも思えませんし。
一番驚いたのは、娘達が父親に毒を持ってしびれさせ その間につぎつぎ父親を強姦したという下りです。
全て神のご意志とするのでこの強姦事件も神が娘達を操って子孫繁栄をさせたことになり、恐ろしい世界になってしまいます。
しかし神話とするなら、そう目くじらをたてる必要もないと思います。
この近親相姦強姦事件が事実だったとするなら大変なことになります。
なによりアダムとイブが人類の最初だとしたら、その子どもたちは近親相姦となり、血がとても濃い状態のままでは、まもなく絶滅していたと思うし。
ノアの当たりでも父親に息子が性欲を感じ犯そうとしたという下りがありますが、これも血が濃すぎて息子が倒錯したというより、父親絶対主義の教えとして後々創作された物語だと思います。


キリスト教ではイエスが奇蹟を何度も起したとしていますが、それをそのまま超能力者だったと受け取るのではなく、比喩として読めば理解しやすいと思います。


イエスという名前はあの当時よくある名前だったそうです。
イエスが実在の人物だったのかですが、ローマの歴史書にはピラトの名前はあるが、イエスの名前は無いそうです。
あれほど後々有名になったイエスがローマの歴史の書物に記録として残っていないのは不思議なことです。
では架空の人物だったのか?

イスラム教やユダヤ教の何かには預言者としての記録があることから、実在はしていたようです。
しかし処刑されたという記録は残っているのかは知りません。

仮に実在の人物だったとしましょう。
イエスは文学者でもあったようで、ダイレクトな表現をせず、比喩を多用しそれが人々の心を魅了したのだと思います。
つまり学の無い人が学に心を動かされ魅了された。
それを周りの人たちも真似をして、比喩を多用し文学として小説に比喩を多用して文学の世界をさらに開拓して文章をつぎつぎ残していった。
いわゆる 後に中世で起こったルネッサンス的なものと同じだと思います。

だからイエスのあたりのものは神話ではなく文学 または ルネッサンスみたいな世界だと思っています。

聖書は誰が書いたのかわかりません。
何十人 あるいは何百人 何千人もの人が書いた文章を後に誰かが編集したものだと思います。
編集者の有利になるような文章だけ聖書として取り入れて編集された人間の手によって作られた文学です。
編集者次第で違った世界になります。
外伝が多数存在しており、Q文章だとかまだまだいろんな文章があるが、バチカンが外に出さないようです。
超極秘文章扱いされているようです。

従ってある組織が編集した世界を我々は読んでいるにしかすぎない。


破線のマリスというドラマがあったと思います。
編集者次第で全く別の世界を作り上げることができる。
そこには編集者の意志が入っており、我々は全ての映像を見ているようで、実は編集者の見せる世界を見ているにしか過ぎない。


旧約聖書の方は神話+民話で、新約聖書の世界は誰かが編集したドラマなのではないかと思います。
その誰かとは我々と同じ人間です。
しかし、誰なのか どういう目的なのかわかりません。
薔薇の名前という映画があります。
あれを見るとなんとなく個人 あるいは組織の有利になるように聖書が編集され利用されてきたのではないかと思えます。
特にあの時代聖書は組織の金集めの道具として活用されていたようですし。
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この回答へのお礼

こんばんは。
補足にも書きましたが、お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。
また、甥の宗教観の質問の時には、大変お世話になりました。

実際に聖書に即してご回答頂き、有難うございました。とても解り易かったです。
また、とても興味深い見解で、「なるほど」と感じさせられました。別の意味で、この後掘り下げてみたいテーマだと思いました。

「破線のマリス」は残念ながら名前だけで、内容は知りませんでしたが、「薔薇の名前」ならエーコの原作の方で読みました。私も同じような感じがします。
それに、様々な派閥によって聖書の解釈や見解も違いますしね。(曲解する派もありますから・・・)現実的にもきっと有りえた事かも知りませんね。

とても興味深い見解を有難うございました。

お礼日時:2005/03/20 22:26

現代において神話は架空の話と見なされてます。



しかし、聖書はクリスチャンにとって真実の話だと思われてます。

ただ、キリスト教の考え方にもいろいろあります。
(1)聖書の天地創造の話などを神話でなく文字通り真実だと信じるファンダメタリストの考え方。
(2)聖書の神話的部分はそのままの形では今日通用しないというブルトマンの聖書の非神話化=実存的解釈という考え方。

もちろん、キリスト教を信じてない人から言わせると、聖書も他の神話と同じく架空の話だから、神話の一種と認識したくなるのも無理ないと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。
ご回答有難うございます。
以前、「知識と受け売り」についての質問の際は、大変お世話になりました。

ブルトマンの「非神話化論」は、大昔に齧った程度ですが、目を通しました。
それを読んで幼いながら、自分のスタンスと照らし合わせて、聖書=神話の位置づけをしていました。

「架空」とは認識していないですね。ある意味「『誇張された』民族の歴史」と認識しており、多分、社会の流れもそうではないかと・・・(あらゆる神話で伝承される「大洪水」も実際に起こっていると証明されかけていますし、目を転じて古事記でさえも、読み物ではなく記紀考古学が確立されていますし・・・)
しかし、#2さんが仰っていますが、確かにマジョリティの宗教である以上、見解が偏るのも仕方ないのかも・・・と言う気はしてきました。

有難うございました。

お礼日時:2005/03/20 00:21

あくまでも推論の域を超えませんが多くの方のご指摘通り



神話とは字の如く 神々の物語

旧新聖書はどうでしょうか?
神々のみの話でしょうか?

詳しくは知りませんのでいい加減な例えになってしまい恥じ入りますが 古事記と笠かけ地蔵の話 とは違うカテゴリィになるのではないでしょうか?(昔話の中には多少アミニズムを含んだ話が伝承として残っているように思います 遠野物語 など参照になりませんでしょうか?)

今話題にされている欧米における聖書と神話に限って根本的に違う点は 神話と宗教は重複点がないという点はないでしょうか
インド辺りは違うのかもしれませんが。。。(憶測です。。。)

スミマセンかえって混乱させてしまうようで
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この回答へのお礼

こんばんは。
外出していたのでお礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

うーん・・・確かに古事記と笠地蔵には大きな隔たりが・・・(汗)
多分、#1さんが仰る「唯一神」は神話にならない・・・と言うお話と同一なのではと思うのですが、どもうそれだけでは括れないような気がしています。

面白い見解を有難うございました。

お礼日時:2005/03/19 23:26

こんばんわ、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、聖書といっても、新約聖書・旧約聖書と有りますよね。こういった場合は、「旧約聖書」のことを言っているのだと思いますが。それであれば、神話学の対象として成立すると思いますけどね。そういった研究とかよく見ますよね。

私も素人なのでよく分かりませんが、神話学の対象として、講談社新書とかよくタイトルを見た気がしますが。
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この回答へのお礼

おはようございます。

ごめんなさい、新約聖書も含めてなのでした。言葉が足りなくてごめんなさい。確かに旧約聖書は、神話性画強いですよね。

書籍も幾つか読んで、その上で神話とカテゴライズしていたのですが・・・#3さんの仰る通り、宗教が絡むと難しい問題ですね。

有難うございました。

お礼日時:2005/03/19 11:04

神話とは、「古くから人々の間に語り継がれている、神を中心とした物語」です(大辞林 第二版)


つまり、
(1)古くからある
(2)人々の間で語り継がれている
(3)神を中心としている
(4)物語である
という構成要件があります。

これを聖書にあてはめて考えて見ますと、
(1)古くからある → ○

(2)人々の間で語り継がれている → ×
:聖書は、(信憑性はともかくとして)「原本」のある一つの書物として受け継がれているもので、「語り継がれている」とは言えないのではないでしょうか。
神話の場合、語り継がれるうちに形成されたり変更されたりする物語が多くありますが、聖書は原則として、変更することを禁じています(なぜなら神から賜ったものだから)

(3)神を中心としている → ×
神話は、神々(※複数です)の行ったことや、神々の人間関係(神間関係?)をメインとして、「神々の世界」を描いたものですが、聖書はあくまで「神→人間」の一方方向での出来事と、生身の人間についての出来事のみです。

(4)物語である → △
聖書は、宗教的意味合いが非常に色濃いため、これを「物語である」と断定するのは難しいです。
少なくとも、キリスト教徒にとっては「物語」ではなく「真実」であるのです。
一方神話は、例えばギリシャ神話の場合、いくらギリシャ人であってもこれを「真実である」と断言する人はいないと思います。あくまで「物語」であるという共通認識があるのではないでしょうか。


したがって、やはり聖書は神話とは一線を画するものではないかと思います。
宗教が絡んできますから、なかなか判断が難しいとは思いますが…。
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この回答へのお礼

おはようございます。

>宗教が絡んできますから、なかなか判断が難しいとは思いますが…。
今回質問を立てて感じたのですが・・・気づかなかったのですが、この事に私の疑問に関する回答が集約されているような気がしました。

神学の中でも、「聖書神話」の分類はあるわけですし、神話のもっと深い定義では、単なる作り事ではなく、「共同体形成の為の重要な基礎としての役割」や、宗教・祭祀に於ける「口頭であらわす事の出来ない真意を表現する媒体」の位置づけがあるから、キリスト教の信者にとっては「教典」であり、イスラエルの民からすれば「民族の歴史」であり、それ以外の人間には「神話」だと思うのですが・・・

うーん・・・こう言う問題は、やっぱり宗教が絡んでくると難しいですし、#2さんが言うように、それがマジョリティであるならば、余計に難しいですね。
何となく理解できました。

有難うございました。

お礼日時:2005/03/19 10:52

神話の部類で良いのではないでしょうか。



少なくとも原始民族宗教から発達した世界的な宗教の類は全て
神話を中心に世界の成り立ちを説いてますし。

ただ現在も世界宗教として信者を多く持つキリスト教やイスラム教の
経典である聖書やコーランは、「神話」としてしまうと具合いが
悪いのかもしれませんね。
(マジョリティ・マイノリティの問題だと思います)

また多神教に比べて一神教は物語性が低いことも関係あるかも
しれません。
北欧・アステカ・ギリシャ・ローマ・ヒンドゥー・神道等は
様々な神が登場し、個性があり、時に喧嘩したり殺し合ったり
生き返ったり。

一神教に比べると割と人間に近く、その分だけ物語が多いという
見方も可能かと思います。

>特別視をされているような気がします。
やはり宗教も信者が多いと違いますよね。
アメリカでも大統領が何か宣言する時、聖書に手をおいて
なにやら誓ってますし。(詳しくは知りませんが)
その感覚は正確だと思いますよ。
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この回答へのお礼

おはようございます。

神学に「聖書神話」の研究もあるのですし、新約に於いても「物語性」も皆無では無いのだから(キリストの復活等は、明らかに『神話』ですし)神話にカテゴライズしてもおかしくないと思ってはいたのですが・・・
他の方のご意見だと、唯一神は神話にはカテゴライズしないとの事。
三大宗教に関してはやはり
>「神話」としてしまうと具合いが悪いのかもしれませんね。
との認識の方が理解しやすいのかもしれませんね。

有難うございました。

お礼日時:2005/03/19 10:34

 神話は神々の生活を描いているわけです。


複数の神さまが出てきて、それぞれに名前があり
喧嘩したり、浮気したり。 
 神話・・・つまり(神)々の(話)なわけ
です。


 聖書の神は唯一絶対の神で、他に神は
いないので、固有の名前もありません。

 聖書はこの唯一の神と、人間社会の
ことを描いているんです。

 
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この回答へのお礼

おはようございます。

うーん・・・どうも腑には落ちませんが・・・
唯一神だから「神話では無い」と言う事ですね。

有難うございました。

お礼日時:2005/03/19 10:01

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