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宗教というカテゴリーがなかったので、こちらにに質問させて頂きます。新年に神社でお参りし、教会で結婚式を挙げ、死んだら寺の墓に入る無宗教の日本人の素朴な疑問なのですが、キリスト教を信仰してるであろう国の科学者達は(科学者だけではないかもしれません)、聖書の中に書かれている内容と、人類学や科学などで考えられたり証明されたりしている事実との矛盾を、どうとらえているのでしょうか。
例えば、人間は猿から進化したものとされていますが、キリスト教では神が創ったとされています。(正確にいえば人間ではなくアダムですが)学問と宗教で真実が異なるわけですが、宗教を信仰している科学者は科学と相反する教えをどのように捉えているのか、無宗教の私にはずっと疑問であり謎でした。どなたかこの疑問にお答えいただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

A 回答 (7件)

質問者さんがお書きの


>学問と宗教で真実が異なる
事を多くの人は理解しており、社会生活を営んでいます。
それは聖職者であっても科学者であっても同じ事です。
むしろ科学者のような高度な教育を施された人の方が、割り切り度合いは大きいでしょう。

『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』とは聖書の言葉ですが、
「人が何を信じどう生きるか」と「人がどんな栄養素を採れば生きられるのか」
は別の問題だと、認識しているので矛盾しないのです。
『人はパンのみに生きるに非ず』という聖書の名文句を聞いて
「人には肉体的な満足感だけでなく精神的な満足感が必要だ」という意味で引用する人はいても
「人にはパン以外に野菜や肉も食べないと栄養が偏るよ」という意味で栄養学の教科書に引用する人はいないのです。

以下余談
#5さんがご指摘のようにキリスト教にもイスラム教にも原理主義者はいます。
彼らは「学問と宗教で真実が異なる」事を同じ土俵で解決しようとしているから矛盾するのです。
そして、現実を捻じ曲げて解釈しています。(キリスト教原理主義者たちが『汝の敵を愛し』ているとは到底思えませんがね)
こう考えると、宗教を迷信として無視する科学万能主義者と原理主義者は精神構造が近いのかも知れませんね。
世の中の全ての事はたった一種類の法則で説明可能である、というのは理想でしかないからです。
その法則をE=mc2(二乗)とするか聖書に(あるいはコーランに)求めるのかだけの差という意味で。

では我々日本人は?臆病な科学信奉者とでも言えますでしょうか。多くの日本人が「バチが当たる」という言葉を
忘れて久しいですが、それでも多くの人は結婚式に仏滅の日を選ぶ勇気はないのです。
以上余談。

よって、聖書などに書かれているのは神の言葉であって科学法則ではない、から矛盾しないのです。
もう少し哲学風に言えば、形而上の話と形而下の話を一緒にすれば矛盾するのは当然であるから、です。
お釈迦さんが生まれた時甘茶の雨が降ったとか、産まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言ったとかをマジメに研究して甘茶の雨は降る事ができない!とか産まれた直後に直立して自然言語を操る新生児はいない!と否定する日本人はいませんよね?それと同じ事ですよ。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
>聖書などに書かれているのは神の言葉であって科学法則ではない、から矛盾しないのです。
とても解りやすく説明して頂きありがとうございます。上記の言葉で疑問が解決したように思います。
>宗教を迷信として無視する科学万能主義者と原理主義者は精神構造が近いのかも知れませんね。
これもすごく納得です。

お礼日時:2006/01/11 02:44

聖書はその時代の人が書いた何かの象徴だから、その象徴は間違っててもどうってことないと思う。

その象徴が示すものとか、その時代の人がその象徴を通して人々に伝えようとしたものが聖書だと思う。
聖書を絶対視するのではなくて、聖書が示す何かを探るのがいいと思う。
単なる道具っていうか、単なる象徴っていうか、かけがえのない象徴。
だから、聖書は大切にされてると思う。
だから、聖書の内容が間違っていても別にどうってことないと思う。
ちなみに、僕は信者じゃない。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
>聖書を絶対視するのではなくて、聖書が示す何かを探るのがいいと思う。
私もそのように感じます。ただ私のような無宗教な人間と、科学を専門にしている学者で尚且つ信者という立場の人とでは、捉え方が違うのではないかと考えていたものですから
>聖書の内容が間違っていても別にどうってことない
と、胸を張って言う学者を見てみたいです。

お礼日時:2006/01/11 02:56

人によって違うでしょうが、福音派と非福音派を分けて考える事が必要かと思います。



福音派は、聖書に書かれている事を、原則事実と考えますから、進化論は否定します。
進化論に根拠が無い。
進化論は、知性が生まれた事を証明できないし、科学的に人類を作り出せない限り、完全には納得できないでしょう。

非福音派は、その辺を自己のなかで調和させています。
現在の日本で、女系天皇が議論されていますが、男系にこだわる人の理論として、神武天皇以来のY遺伝子の話をする人がいますが、神は存在しないのに、神の遺伝子を持ち出す人と同じです。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。科学も聖書もどちらも確実なものではなく、曖昧さを残しているのですね。
>その辺を自己のなかで調和させています。
どちらか一方に偏り過ぎた考え方というのは危険なのかもしれませんね。なにごともほどほどが良いという事でしょうか。

お礼日時:2006/01/11 02:30

「キリスト教は信じられるか」


内田和彦、ハロルド・ネットランド共著
いのちのことば社 1300円

という本があります。
「第3章 科学とキリスト教信仰」
という章をご一読頂ければ、この事に関して信者サイドの新しい一つの見解を得られると思います。

私はプロテスタントの伝道師ですが、
いのちのことば社は有名で、日本のキリスト教会では
広く信頼・認知されていると思います。

個人的な意見ですが歴史上の有名な科学者たちは神と神の創造物の神秘を調べる事で、
神に栄光を帰そうとしたと思います。

ニュートンは、「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存する。」と言ったそうです。
彼のノートには聖書に関する主題が130万語もあったそうです。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ベーコン、ボイル、デカルト、パスカルなどは皆、信仰を持っていました。

「秩序・法則」があるという事は経験から誰もが期待できる事ですが、
その「秩序・法則」を創造した存在がいる、いないという事が本質的な対立と思います。

神無しのビッグバン・進化論などは、たとえるならば
「パソコンのすべての部品をゴミ箱に放り込んだら、
完成品がたまたま出来上がった。」
という位、信じるのが難しい話だと私は思います。
実際、宇宙、地球、人間、生物の世界、ミクロの世界に至るまでの美しい世界が成立するには、
それとは比較できない程の天文学的な確立が必要なはずです。

「マトリックス」という映画が一時流行しましたが、
あの様に人の目に見えている現実、常識が、必ずしも全ての真理では無いという事が、
この世界にはあるのではないでしょうか?
私にとって進化論信奉者から創造論信奉者になる事は、
あれ位の衝撃がありました。
それは理詰めで到達した事ではなく、
ある時聖書の言葉が「真実」だと心に納得できたので
付随してそうなりました。

科学は世界を調べるのに有効な物と思います。
しかし「人の使う科学は万能で間違いがない」となると、
それはキリスト教を信じるのと同じ位の「信仰」になると思います。
しかし人間が使いこなせている科学には当然「限界」があります。
発見できる「真理・法則」にも限界があります。
もしも世界の全ての意味・法則を発見できるなら、それこそ人は神になれるでしょう。
(当然、私はそれは不可能と考えます。)

しかし人間が「真理」と確定している事についても、
神の見地からは「間違い」である事もあり、
比較できない完璧な「真理」もあると私は思います。
この事についてもしも興味がありましたら旧約聖書ヨブ記、
38章~40章の2節までご覧になって下さい。
神がヨブという人に語っているのですが、
人間がいかに神の前に無知で無力な者か、
謙虚にさせられる箇所と私は感じています。

一信者の個人的な意見として、投稿させて頂きました。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
>「秩序・法則」を創造した存在がいる、いないという事が本質的な対立。目に見えている現実、常識が、必ずしも全ての真理では無い。
具体的にとても解りやすく説明して頂きありがとうございます。宗教の観点からの科学に対する考えがよく理解できました。

お礼日時:2006/01/11 02:16

昔教会のシスターに「学校で人間は猿から進化したって習ったんだよ」って言ったら彼女は「そういう事は言ってはいけません」と言っていました(笑)



教会関係者の反応はこんな感じでした。うんと上の人たちはともかく下っ端はこうして「なかった事」にしてるみたいですね。
アメリカでもブッシュが普通の進化論を学校で教えるのは一方的ではないかと真面目にクレームをつけているようですが(苦笑)
「人間を縛り付けるのが宗教なら、そんな宗教はないほうがいい」とはイエスキリストの言葉です。
せっかくこんなありがたい御言葉を肝心の教会関係者たちが踏み躙ってしまっているのは残念なことですね。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。もし私が信者なら、「そういう事は言ってはいけません」と答えるシスターからは、何も学べない気がしますが。もっと宗教家として別の答え方はなかったのでしょうか。
>下っ端はこうして「なかった事」にしてる
これが大抵の宗教家の本音でしょうか。

お礼日時:2006/01/11 01:58

私は遺伝系の研究をしているのですが、西欧圏の先生はやはりクリスチャンがの方が多いです。

ただ、みなさんやはりそれはそれ、これはこれという感じで、宗教観を交えて論議することはないですね。逆に、教義としてそこを無視できない人であれば、研究者になるにしても別の分野をやるのかなと思います。バチカンに所属する人であれば宗教観に基づいた進化みたいなのを研究する人もごくわずかはいるはずですが、それはあくまでも宗教ベースですしね。。
おかしな言い方かもしれませんが、宗教観を割り切れなければ学位を取ることも出来ませんし、研究者になることができないといったところでしょうか。
ちなみに、昔、神父さんと話したときは、やはり人は神が作った云々の説を譲ってくれませんでした。まあ、当たり前なんですけどね(笑)
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。専門家でもやはり一般の人達と同じようにそれはそれ、これはこれと合理的に考えたりするものなのですね。もしも科学者が科学とバイブルの矛盾を突き詰めて行ったら、科学や宗教の本質からはどんどん遠ざかっていってしまうのかもしれませんね。

お礼日時:2006/01/11 01:32

始めから科学的根拠は無視というか、神の教え、バイブルが全ての根源なのでそんな根拠は関係ないのです。


尤もリアルな人と猿の中間の生物が存在すれば検討せざるを得ないでしょうが。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。専門的に科学に触れている人達でも、始めから科学的根拠を無視して考えるのでしょうか。考え方が一辺倒に宗教にだけ偏っている人達の考えとしてなら理解が出来るのですが。

お礼日時:2006/01/11 01:19

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