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テレビを見ていたら芸人が、お笑い評論家というものに対して怒っていました
よくある意見なのですが、「一回も舞台にも立ったこと無い奴が言うな」というのです
他には「だったらネタ作ってみろ、きっと大爆笑なのでしょうね」と皮肉まで言っていました

これに対して「やるのと評論するのは才能が違う」という意見もありますし「プロの料理人じゃなくたって飯屋行ったら美味かったとか不味かった」とか言うじゃん、きっとその芸人の人だって言ったことがあるとおもいます

皆さんはどう考えてますか?

A 回答 (10件)

プロなら、評価を受けて当たり前。

その評価の筋道が評論でしょう。
評論に対して、抵抗し反論するのは良い事ですよ。でないと、評論のプロが育たない。
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評論家=一般市民の共感を得ている、、、と解釈しています。


つまり、一般市民に支持されなければ評論家にはなり得ないから。
そもそも、そんなジャンルはあってないようなものだし。
自分一人で「私はお笑い評論家だ」と言ったところで、言うだけなら自由ですから。


という前提で回答しますが、
私も実際にそれをやるのと評論とは別のものだと思っています。

「一回も舞台にも立ったこと無い奴が言うな」ではなく、
「実際に一回も舞台を見に行ったことが無い奴が言うな」ならわかりますけどね。
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●「一回も舞台にも立ったこと無い奴が言うな」



 ↑この意見は一見正しいように思われますが、明らかにおかしいです。何故かというと、体験しなければもの事が分からない。と、いっているのです。

そんなことはありません。みたり聞いたりしてあるもの事を理解し、評論することは可能です。体験しない方が中立的な評論が出来る場合もあります。体験しなければものが言えないのであれば、世の中のある分野について語れる人が多く、ある分野において語れる人は少ない。と、いう社会のバランスも崩します。

人間はもの事を理解し分かるというレベルに達するには、体験、つかり人間の感覚器官だけで受け止めるということだけではダメです。やはりそれとともに、知見という頭の働きが必要です。あなたが後半にお書きになっている意見の方が遙かに合理的な見解で有り、多くの人の賛同が得られる意見だと思います。
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私は「評論」には主に二つの側面があると思います。



(1) 一つは、物事の良し悪しや価値などについて「批評」すること。
(2) もう一つは、その本質、物事の本質について「論じる」ことです。

(1)の、「批評」する、ということは物事の優劣を評価することだと思います。しかもそれは主観的な評価です。恐らくその芸人の人は、お笑いの現場の内情を何も知らないのに、あたかも知ったかぶりしてココは良い、アソコは悪いと、偉そうに批評する評論家を嫌ったのではないでしょうか。著名な芸術家や俳優などの中にも、「口だけ」の批評家を嫌う人は数多くいます。

(2)の、「論じる」については性格が異なります。人が物事の本質を説得力を持って論じるには、その分野における相当の知識や経験がその人自身に要求されます。経験に裏打ちされてないきれいごとをいくら空論の上で論じられても、説得力はありません。スポーツの世界が良い例です。殆どのスポーツ評論家(解説者)は、自らがその分野の第一人者でした。だから現場の本質を理解し、周りの素人に実情を伝えることができるのだと思います。


「プロの料理人じゃなくたって飯屋行ったら美味かったとか不味かった言えます。」しかしそれは単なる「批評」であり、そんなことは誰にだってできることだと思います。ただ単に自分の主観的な感想を述べるに過ぎないわけですから。

しかしそれは、食べた料理の具材や調理法、隠し味などを的確に「論じる」のとは次元が違うのではないでしょうか。
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これって、難しい問題なんですよね。


楽譜も読めないのに音楽を語るな、油絵も描いたことないのに何がダ・ヴィンチだ、みたいな手合い。
ワンコを飼ったこともない人が犬の好みを語ったり蘊蓄を垂れるのがイヤって愛犬家も(多分)いますし。

だけど、ただの視点の問題に過ぎないと私は考えていますがね。
タイ料理を食べるのが好きな人は、食の知識は豊かです。作る時のノウハウはどっちらけでも。フクロタケやバイマックルーやタマリンドを、どの店のものが安く良質なのかなんて知らない。そして知らないのは存在しないものとして、視点を固定します。そしてそれで通ってしまいます。
タイ料理人から見たら滑稽な発言も、中にはあるかもしれません。でも、それは得ている情報の偏りなのであり、誤差の範疇でしょう、少なくともただの素人の社会であれば。

そんなことより、あんまり鼻持ちならない人は、その言動・行動で「○○もやったことないくせに○○を語るなよ」と言われちゃってるかもしれないですよ(^_^;) ○○が問題なのではなく、性格と、それを裏付ける言動や行動をとがめられてるわけです。自分で言ってて耳が痛いですが(誤解されやすいので)、まあ質問者さんも思い当たることがあれば。
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芸人は、客に評価してもらうもの。


評論家は、その代表。
評論家もまた、客に評価される。

芸人は、舞台の上で客を評価している。
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双方言いたいことを言ったら良いと思います。



双方全部ネタだと思えます。
だって、笑いだけが視聴率とるわけじゃあないわけですから。
評論と皮肉と感じる人もあるでしょうが、、私にはボケと突っ込みという程度のことにも思えます。
意外と、コンビ組んでみたら良いかもしれません。

見るか、見ないかは、視聴者の私たちが決めましょう。
「ネタ作ってみろ」とか言われる心配はありません。
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 その芸人さんが『素人は一切評論するな。

もちろん褒めるのもお断りだ。笑っていいのはプロだけだ』とまでいうのなら、矛盾してないし本人の勝手。『批判はうけつけない。笑うのだけは許す』ならなに考えてるんだと。
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比べる対象が違くない?

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これは、やはりジャンルによって違うと思いますよ。


単純に、評論家と言っても、そのジャンルのOBの場合もあれば、単にそのジャンルに興味がある人の場合もあります。
例として言えば、科学評論家には、科学者もいれば、科学者になれなかったけど、興味はあると言う人もいます。
文芸評論家の場合は、基本的には文学者・編集者なので、業界に関わりがある場合が多いですね。
音楽評論家も、音楽家もいれば、単なる音楽ファンもいますが、実力のある評論家は、音楽雑誌編集者などが多いので、やはり業界の人です。
ファッションに関しても、デザイナー、雑誌編集者、バイヤーなどが多く、業界関係者ですね。
料理評論家も、やはり雑誌やランキングをつける業界人です。
こういうのは、力関係の問題なんですよ。
お笑いとかは、単純に仕事に直結するかどうかが問題です。
客受けが良くて、メディアに露出させたいと思えば、メディアは取りあげます。
昨今のようね、Webなどで、いくらでも露出出来るのであれば、注目されれば、仕事はきますよ。
売れている芸人ならば、評論家なんか気にしないです。
大体、評論家に自分で芸を考えろなんて言う暇があるならば、自分で芸を考えるでしょう。
評論家の意見で、一般の評価が決まるわけでは無いですからね。
評論の仕方に問題があるから、そういう風に言ったのかもしれません。
単純に面白くないと言えば、それでかまわないのに、勝手な解釈を一般的な意見のように記載したのならば、それは、それで問題があるとは言えます。
たとえば、感情的に芸風自体に問題があるとか、理由は無いけど、ともかく面白くないって書くのは、評論家としてはおかしいですよ。
それでは、単なるエッセーになってしまいます。
そういう相手に対しては、質問文に書かれているような反応をしてもおかしくは無いと思いますけどね。
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この回答へのお礼

売れている芸人ならば、評論家なんか気にしないです。

これ言ってたのは土田ですけど、ビートたけしが思いっきり賛同して「今度目の前に呼んで芸やらそうぜ」とまで言ってましたけど、、、しかも冗談の言い方ではなく

お礼日時:2014/10/11 10:52

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