アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

例えば大人の世界でしたら、
恋愛で相手が優しくして欲しい時、困った時に遊び歩いていて、
かけつけなかったために、相手に気持ちが離れてしまって、
反省し謝っても、離れてしまった気持ちは戻らないとか、

肝心な就職の面接で寝坊で遅刻してしまって不採用になるとか、

まあいっかと鮮度の悪い品を店先に並べた結果、客離れしてしまったなど。

一度、手を抜いた、相手を大事にしなかったことで失うものあるじゃないですか。
で、それは、すみませんと謝罪し本心で反省しても元には戻らない。
(次の機会の糧にはなりますが。)
いや、逆に復元できないからこそ、教訓になるのかもしれませんね。


このように、子どもの教育においても、
やむを得ない事情でなく、本人の怠慢やノロケによる行為(周囲に迷惑もしくは期待や約束を裏切るもの)を発見した場合、どんなに反省しようと同じ役割に戻さないというのはありでしょうか?

A 回答 (2件)

ご質問に書かれている内容ははその通りでしょうね。


最後の事例ですが、それまでの信頼関係が厚ければ多少の失敗は修復可能でしょうね。
逆に十分な信頼関係ができていないのでしたら、修復にはかなりの時間がかかるかもしれません。

この回答への補足

ありがとうございました。

子どもがせっかくの立場になったのにも関わらず、禁を犯してしまった。
でも、その後に反省したから、謝罪したからということで、また復帰させる。

というのは、、
しくじったら、セーブいたポイントからやり直せばいいみたいな。。

軽い役割だったら、また復帰(挑戦)しても良いけど、リーダー役なんかは降ろすのもありなような気がします。
でも、そうすると、締め付けがキツイとストレスになるとか、萎縮するなどという反論も出るでしょう。

なので、ゆるく楽しくのびのびと。なのでしょうか。
スポーツのような明確な目標達成ものではければ、ドライな指導は向かないのでしょうか。

とモヤモヤしてます。

補足日時:2014/11/05 19:41
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対象の事柄によるんじゃないでしょうか。


または反省の度合い。

たとえば、うーん、どうでもいい例えですが、
花瓶とかそういう壊れ物を運ばせる場合、再度失敗されたら困るわけで、
ふざける傾向にある子にはもう任せないというのはアリだとは思いますが、

植物の観察記録をサボったとか、そういう影響の少ないものであれば、
しっかり反省したと感じれたなら、役割を戻してチャンスをあげるというのは必要だと思います。

それは、教育の場だからです。

教育者と子どもは、部下と上司、売り手とお客というような関係ではないですから、
間違った、失敗したことに対しての影響と、そのことへの教訓を与えることが教育者の務めだと思うからです。

なんでもかんでも、チャンスは一度。失敗したものへの救済などないのだということを刷り込んでしまうと、
何事にも消極的に過ぎる子どもばかりになってしまうような気がします。

年齢を重ねるごとに、再チャンスの条件を厳しくしていくというプロセスが必要かと思います。

これが高校生や、せめて中学生くらいの、自分でしっかり判断できる年齢であれば、
ちゃんと失敗したときのデメリットを言い含めてあるなら、
再チャンスは与えないというのでもいいのかもしれませんが。

「とりあえずやってみろ」→「お前は失敗した。もう任せん」では、良くないと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。

私の「こうしてもいいんではないだろうか」的テーマが、極端に振った表現とは言え、
いくらなんでも、そのまま読んで、何でもかんでも「失敗したらハイ君はダメ」論者と決めつけはしないだろうと思っています。

このようなテーマを振る人の中には、形の上では極端に振ってますが、
・程度による・場合による・その子にもよる・その他総合的に見て判断すべき。
ということは解って、それはそれとして、質問している場合もあると思います。

補足日時:2014/11/05 19:51
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