プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

Wiki「徳川家康」の一部ですが
「朝廷より六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命した」
とあります。
「六種八通の宣旨」とは何ですか。
「征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣」の三つの職を任じるのに六種八通もの宣旨が要るのでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>「六種八通の宣旨」とは何ですか。



〇「徳川家康の征夷大将軍任官と慶長期の国制/笠谷和比古」
『日本研究(7)/国際日本文化研究センター/1992-09』(p89-104)
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/handle/12345 …
<1/16>(89頁上段)
慶長八年(一六〇三)二月一二日、上洛中の徳川家康は将軍宣下の勅使を伏見城に迎えた。
このおりの宣旨は、征夷大将軍、右大臣(従一位)、源氏長者、淳和奨学両院別当、
牛車の礼遇、兵仗の礼遇という六種八通のものが一時に下されており、
まことに前例を見ない盛りだくさんなものであった(1)。

<13/16>(101頁下段)
注(1)
『大日本史料』慶長八年二月一二日条。
外記宣旨として右大臣、牛車、源氏長者、兵仗に関する四通が、
官務宣旨として征夷大将軍、淳和奨学両院別当、源氏長者、牛車に関する四通が発給されている。


なお、「大日本史料(第十二編之一)/慶長八年癸卯 二月十二日」条の中では、
〔光豐公記〕〔慶長日件錄〕〔壬生家四卷之日記〕などの記述から
源氏長者と牛車に関し外記・官務で別個(重複)発給の結果、
六種八通となることがわかります。

(3頁)
〔光豐公記〕二月十二日、晴將軍宣下有之、…
將軍之宣旨、氏長者宣旨、牛車宣旨、兵仗宣下、淳和奬學兩院宣旨有之、…
…氏長者外記官務兩宣旨、…牛車兩宣旨、
(4・5頁)
〔慶長日件錄〕一
…將軍宣旨持參、…右大臣宣旨持參、…官務、氏長者宣持參、
次大外記、源氏長者宣持参、次官務、淳和奬學兩院別當之宣旨持參、
次大外記、牛車宣持參、次官務、牛車宣持參、次大外記、兵仗宣旨持參、…
(8頁)
〔壬生家四卷之日記〕四
…宣旨、
右大臣、源氏長者、牛車、兵仗、以上四通大外記、
將軍、源氏長者、牛車、両院別當、以上四通官務、

以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

的確なご回答真にありがとうございます。
「6種8通」の宣旨についてはよく解りました。

>右大臣、源氏長者、牛車、兵仗、以上四通大外記、
>將軍、源氏長者、牛車、両院別當、以上四通官務、

源氏長者、牛車の礼遇、兵仗の礼遇を加えて6種になるのですね。
「大外記」「官務」は何のことか分かりませんが、「牛車」と「源氏長者」の宣旨は、「大外記」と「官務」がそれぞれ1通ずつ持ってくるのですね。
分からない箇所もありますが、当初の疑問は解消しました。

お礼日時:2014/12/18 20:42

御所望の答を持ち合わせているワケではありませんが、


再度、失礼致しますm(_"_)m

>なぜ「牛車」と「源氏長者」の宣旨は大外記と官務の2者から発給されるのか、疑問です。

手持ちの日本史辞典などを覗いて見ましても、
一方が行政事務、片方が公卿直属の書記官などとあって、
やがて小槻氏、中原氏などの世襲に至るとの記述程度でハッキリしません。

また、下記などの断片情報を覗いてみますと、
ますます官方と外記方の位置付けや役割分担がハッキリしません(><)

・国立歴史民俗博物館>歴史系総合誌「歴博」第156号
連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」中世禁裏の地下官人史料
http://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/re …
弁官方(べんかんがた)と外記方(げきかた)は別々の行政機構であったが、
室町後期には弁官方に統合され、戦国期には官務と局務が一体化して
両局のどちらか一方が奉仕していれば行事は実施され、
両局不参でも六位外記史によって行政事務が執行されている事例もある。

そこで、改めて、
<・東京大学史料編纂所>データベース検索>できごとを主題に
/「大日本史料総合データベース」/「近世編年データベース」>などにて
実例・記録側のからのアプローチを試みましたところ、

徳川家宣将軍宣下の時には、十一通発給(内六通大外記、五通官務)のうち、
「源氏長者/左大史・小槻宿禰季連」官方一通、
「牛車/大外記・中原朝臣師英」外記方一通と
どうやら重複していないこともあったようです。

残念ながら、直接「東京大学史料編纂所」からの貼付には無理がありますので、
それにかえて
〇『古事類苑.官位部16/神宮司庁古事類苑出版事務所編/神宮司庁/明29-大3』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897653/13
<13・14/89>(8頁12行目~11頁3行目)
〔光臺一覽 四〕
…将軍宣下の節は、宣旨十一通一度に被(L)下候、御兼任の官職多く有故也、
十一通に次第々々有、左に記すが如し、十一通之内六通大外記、五通官務なり、
次第味ひて一覽あるべし、此宣旨は文昭院様之将軍宣下の時なり、
大外記官務の諱もその通りなり、…
(※以下略記)
01/正二位/大外記・中原朝臣師英
02/征夷大将軍/左大史・小槻宿禰季連
03/右近衛大将/大外記
04/内大臣/左大史
05/右馬寮御監/大外記
06/淳和院奨学院両院別当/左大史
07/氏長者/左大史
08/近衛府次将各三人/大外記
09/番長看督長等/左大史
10/牛車出入王城/大外記
11/隋身兵仗出入宮中/大外記

初代家康の将軍宣下時には宣旨「六種八通」だったものが、
上記のとおり六代徳川家宣の将軍宣下時では「十一種十一通」に増加しています。

なお、現時点で調べた範囲では、
二代秀忠「牛車宣旨」重複、三代家光「牛車宣旨」重複・「源氏長者」?、
四代家綱「牛車宣旨」重複・「源氏長者」重複、五代綱吉「牛車宣旨」?、「源氏長者」?、
二代~五代の間で「牛車宣旨」「源氏長者」共に重複が確認出来たのは四代家綱のみです。

以下はあくまでも私ド素人の当て推量に過ぎませんので、
軽く読み流して下さいm(_"_)m

何とも絶妙に官方と外記方とでバランス良く振り分けられているではありませんか!!
「08/近衛府次将各三人/大外記」「09/番長看督長等/左大史」などは
それまで重複発給していた「源氏長者」と「牛車」が減った分の
穴埋めのようにも受け取れます^^

下世話になりますが、
宣旨作成料(=将軍から下される金子(家康当時は、征夷大将軍20両、他各10両とか))に
着目して見ますと、分かりやすいのかもしれません。

官方、外記方それぞれに宣旨を発給出来る立場を利用しての役得の振る舞いのようにも・・・
仮に武家側から疑義を唱えられてもシキタリ、慣例と言えば済むお話とも言えます。

あと足利政権下では、
「源氏長者宣旨」に関しましては、事例が少ない様子も伺えますし、
また「牛車宣旨」に関しましても、事例が少なく征夷大将軍宣下とも直結していない
様子も伺えます反面、「禁色・昇殿を聴し」などの禁色昇殿事例の方が目につきます。

(※但し、上記の少ないと申しますのは、
「大日本史料総合データベース」などで
キーワード「足利 牛車」「足利 氏長者」「足利 征夷大将軍」検索、
「大日本史料総合データベース」「近世編年データベース」等で
キーワード「徳川 牛車」「徳川 氏長者」「徳川 征夷大将軍」検索などの
表題綱文ヒット数の印象に過ぎず、全てを網羅的に調べた訳ではありません※)

なので「源氏長者宣旨」「牛車宣旨」共に
徳川政権下で急遽乱発^^慣例化したとも言えるのかもしれません。

さて、重複発給につきまして、
私ド素人の当て推量が下世話な方向から抜け出せない理由を披露して
締めとさせていただきます。

実は、数年前から「三田村鳶魚」氏の著作を多数流し読みする中、
『江戸生活研究.第貳輯/彗星編輯部編/春陽堂/1929』
「江戶生活研究 彗星 七月號」の「雲助/(故)宮崎三昧=三昧道人」の中の
公家衆の記述が記憶から離れません。もちろん、典拠が示されているでもありませんし、
新聞社出身の小説家とのことで、見てきたような〇〇の可能性もありますが、
あながち嘘でもないように受け取っています。
<140/252>(32頁上段10行目~下段13行目)
「シクジリ役人…(中略)…といふ事である。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1750026/140

以上 私ド素人の当て推量に過ぎませんので、
軽く読み流していただければ幸いです^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>下世話になりますが、宣旨作成料(=将軍から下される金子(家康当時は、征夷大将軍20両、他各10両とか))に着目して見ますと、分かりやすいのかもしれません。
>官方、外記方それぞれに宣旨を発給出来る立場を利用しての役得の振る舞いのようにも・・・

同感ですね。貧しい公家もおれば相当に裕福な公家もいたでしょう。
総じて“金欠”だったのではないでしょうか。
徳川家宣将軍宣下の時には、11通(内六通大外記、五通官務)も発給されているのですね。
なんとなく懐具合が分かります。

私はこれを読みました。
慶応義塾大学 「三田國文」42号 (2005.12)
「江戸時代の公家は本当に貧乏だったのか? 近衛家を支えた経済力」
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoon …


三田村鳶魚は大好きです。図書館にある本はほとんど読みました。
読む早さより忘れていく方が早いのが難点です。

毎回念入りに調べて下さって真にありがとうございます。
感謝申し上げます。

お礼日時:2014/12/22 20:43

何度も回答を追加して申し訳ありません。



牛車に関する私の考えです。
牛車というものは、平安時代の貴族階級が使用した高級乗用車の役割でした。
その後徐々に廃れていって、実用的には使われなくなっていったことは理解できます。

しかし、高級乗用車であるリムジンなどが存在する現代でも、今上天皇ご成婚時のパレードには、馬車が使用されました。
日常的にはほとんど使用されなくなったとしても、公式的な儀式の際には伝統的な車を使用することが可能なのです。
最近でも、米国駐日大使として来日したケネディ女史が、皇居に来日の挨拶に向う際には、この馬車を使用されました。リムジンか馬車のどちらを使うかは、本人の希望で決められるとのことです。

このような事例から鑑みると、
右大臣として京都の御所に参内する場合は、古式に則り当然牛車を使用しなければならないのではないでしょうか。

実際に家康が御所に参内したことがあるのかは存じませんが、その可能性があるからには、予め牛車の宣旨をしておく必要があったものと、私は思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再々のご回答ありがとうございます。

>右大臣として京都の御所に参内する場合は、古式に則り当然牛車を使用しなければならないのではないでしょうか。

なるほど!
”質問魔”の私としては疑問のまま済ませたくないので、江戸時代の牛車の使用について別途質問したいと思います。

お礼日時:2014/12/21 09:37

#2の回答に対する「お礼コメント」を拝見しました。


提示された参考資料を読み、又別の資料も調査してみました。

確かに、「左近衛大将」と「左馬寮御監」の両者は天正年間に任じられていたことも分かりました。

「六種八通」の意味もようやく理解できました。

外記宣旨は、太政官から出される宣旨で特に重要との位置付けのようですから、
「右大臣」「源氏長者」「牛車」「随身兵仗」の4通は、左大史による宣旨よりも格が上なのかも知れないと思いました。当初の律令官制から続く伝統を受け継いだものなのでしょう。
一方の左大史による官務宣旨の方は、伝統的な意味では、征夷大将軍も含め実務レベルのものであるとの認識のような気がします。

特に「牛車」と「随身兵仗」は官職を与える宣旨ではないものの、宮中にボディガード付きで車に乗って入ることを許可するわけですから、一段上の宣旨だという意味も分かります。

又、「源氏長者」「淳和・奨学両院別当」はある意味、名誉職になってしまっているものだし、「牛車宣旨」だけだと護衛なしなので改めてランクは下だということを示し、朝廷側からみると「征夷大将軍」は本来臨時の官職だったから外記宣旨にする必要はない考えたのかも知れないと、私は思ったのです。

全くの素人考えですが、ご参考までに。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>「右大臣」「源氏長者」「牛車」「随身兵仗」の4通は、左大史による宣旨よりも格が上なのかも知れないと思いました。
>当初の律令官制から続く伝統を受け継いだものなのでしょう。
>一方の左大史による官務宣旨の方は、伝統的な意味では、征夷大将軍も含め実務レベルのものであるとの認識のような気がします。

>朝廷側からみると「征夷大将軍」は本来臨時の官職だったから外記宣旨にする必要はないと考えたのかも知れないと、私は思ったのです。

参考にさせていただきます。図書館に行く機会があればそのとき調べてみたいと思います。
そもそも当時「牛車」なるものがあったのか、これも疑問です。
多分、なかったはずです。これも調べてみたいと思っています。

お礼日時:2014/12/20 15:59

#1の回答がかなり詳細を説明されているようです。



私は歴史学者でも研究者でもない一素人ではありますが、このご質問に興味を惹かれ、多少調べてみましたが、それでも「六種八通」の意味は完全には理解できませんでした。

家康は、慶長8年2月12日に将軍宣下を受けていますが、その宣旨内容として
 (1)征夷大将軍
 (2)源氏長者
 (3)淳和・奨学両院別当
 (4)右大臣宣旨
 (5)牛車宣旨
 (6)随身宣旨
の見本を紹介するサイトがありました。
  

しかし、別に調べると、これら以外にも同時に
 左近衛大将
 左馬寮御監(サマノリョウゴゲン)
にも任じられていました。
これで都合八通になるのかも知れませんが、六種とはどれを指すのかが分からないのです。

【補足】
「源氏長者」は、源姓を賜って臣籍降下した子孫である公家源氏・武家源氏すべての中で、最も官位が高い者が任じられたもの。

「馬寮」と言うのは、馬政全般、御所厩の馬の管理と飼育、馬具管理、地方厩の馬の飼育・調教を担当する役所で、左馬寮と右馬寮とに分かれている。
「御監」は、その総裁で、近衛大将が兼任する。相当官位は従三位。令外官。

「牛車の宣旨」とは、牛車にのったまま、内裏外郭の門まで入ることを許される宣旨。
「随身の宣旨」とは、護衛の武官を随身として召し連れることを勅許すること。

いずれにせよ、最も実質的で重要なのは、征夷大将軍だけで、後の役職は過去の朝廷から名目的に引き継がれてきた、名誉職のようなもののようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
Youtubeで宣旨の画像やその解説を見ることができるとは思いも寄りませんでした。
大変参考になりました。

「6種8通」の宣旨については、#1の方のご回答をヒントに調べてみたのですが、
「源氏長者と牛車に関し外記・官務で別個(重複)発給の結果、六種八通となる。」という#1の方のご回答に私は納得しています。

私が調べたサイトです。

1.徳川家康の源氏改姓問題
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/12 …

(13/16) 表2:家康の官位叙任文書一覧

慶長8年2月12日に「6種8通」の宣旨があります。
また、天正15年12月28日に左近衛大将・左馬寮御監の二つの官職を兼任する宣旨があります。


2.東照宮御実紀巻五 (国史大系第38巻『徳川実紀 第一編』から)
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg53 … 

ここでも「6種8通」であることが分かります。
ただし、なぜ「牛車」と「源氏長者」の宣旨は大外記と官務の2者から発給されるのか、疑問です。

お礼日時:2014/12/19 20:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!