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太平洋戦争末期に日本の戦闘機による特攻が、主にアメリカの艦隊に対してなされたことは有名ですが、アメリカの艦隊にその多くが打ち落とされてあまり効果がなかったともよく言われます。

でも、当時最新鋭の戦艦である武蔵や大和でさえ、向かってくる戦闘機を打ち落とすのは容易ではなかったわけですから、アメリカの艦隊も日本の戦闘機を打ち落とすことは同様に困難であり、効果が高かったと考えるのが普通ではないでしょうか。何より、カミカゼという言葉がアメリカで広く知られているという事実が、当時のアメリカ軍に恐怖を与えたことを示しています。

ただ、戦争末期のことであり、戦争の大勢が決まった後のことなので効果があっても勝敗には影響しないものではありましたが、例えるなら大坂夏の陣における真田軍の奮闘のように最後の一矢を報いるくらいの一撃ではあったのではないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 武蔵や大和は戦闘機を撃ち落とせなかったから沈んだのですよ。大艦巨砲主義の時代から、航空機が戦争の主力となった時代でした。
    いくらアメリカとはいえ、戦闘機を簡単に撃ち落とせる軍艦は当時あったのでしょうか?
    戦闘機を撃ち落とせる軍艦なんて、現代でもイージス艦くらいではないですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/22 22:53

A 回答 (15件中1~10件)

>武蔵や大和は戦闘機を撃ち落とせなかったから沈んだのですよ。



確かにそうですが、アレは護衛艦をつけなかったからでもあります。



>いくらアメリカとはいえ、戦闘機を簡単に撃ち落とせる軍艦は当時あったのでしょうか?

「簡単」に落とせるなら、そもそもVT信管など開発しないと思います。
それに相手が防御の弱い零戦でしたし。
頑丈な米軍機だったらもっと難しいと思います。
銃座をものすごく増やせば可能かもしれませんが、それで他の武装や人員(艦砲や魚雷)が減れば本末転倒です。
対地・対艦能力のない対空能力だけの船など、何の役にも立ちません。
他の船を守れるわけでもないと思います。(戦闘中に船同士がそこまで接近したらかえって危険ですし、味方撃ちもあり得ます。)



>戦闘機を撃ち落とせる軍艦なんて、現代でもイージス艦くらいではないですか?

何でもイージス出せば済むと思っていませんか。

「何」で撃ち落とすのか不明ですが、「戦闘機(空戦が主)」はイージス艦には近づかないと思います。(地上・海上攻撃は「攻撃機」)
それに、現在のお互いの攻撃はミサイル(今時魚雷とかないわー)なので、機銃の射程には入ってこないと思います。(イージスの機銃も主に対ミサイル用です。)
それに、いまの軍用艦は、それらの航空機の機銃程度でどうにかできるものではありません。(A-10ならわかりませんが)


イージス艦については誤解されている方が多いようですが なんでもできるすごいおふね ではありません。
その任務は他艦との連携時の情報処理がメインであり、単艦では行動しません。
「イージス(盾)」と言う名前は、その任務からきています。
防衛や攻撃は他の艦の仕事になります。 



>例えるなら大坂夏の陣における真田軍の奮闘のように最後の一矢を報いるくらいの一撃ではあったのではないでしょうか。

特攻の効果については諸説あるようですが、最近の研究ではそれどころではなかったようです。
戦後の特攻の効果の否定やGHQのWGIPによる自虐史観教育は特攻への恐怖もあったのかもしれません。


(1:20 ダグラス・マッカーサー陸軍元帥
「沖縄では、大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、米側は、艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害をだした。」
これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出した米側の損害の総計を越えているものである

2:10 海上では戦死行方不明4907名、戦傷4827名であった

5:25 また、神風の特攻があったため、多数の米速空母がハリツケになったことも、大きな戦果のひとつである。
もしも神風攻撃がなかったら、これらの空母は、自由に日本本土の基地や工場を破壊することできたはずである。」

7:40 ぐっすり眠る。これが誰もの憧れとなり、夢となった。頭は照準器の上にいつしか垂れ、神経はすり切れ、誰もが怒りっぽくなっていた。艦長たちの目は真っ赤となり、恐ろしいほど面やつれした。

8:25 そしてアメリカ兵が“カミカゼ”を恐れ、怖がったことは否定できない。実際、パニックが起こりかけていた。)


そして、「戦果」は敵の損害だけだはないとも思います。

【神風特攻隊は何のために戦ったのか その答えは「知覧」にある 沖縄と特攻隊】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=AsnJsF6a8ng
(沖縄戦を生き残った女子学生の証言です。当時、女子高生であったというその女性は、「特攻隊の突入のおかげで救われました」という。
鉄の暴風と称われた米軍の間断ない艦砲射撃も、特攻突入のその時だけは、砲撃はすべて特攻機に向けられる。
女学生は、その隙を狙って洞窟から飛び出し、いのちの水を汲みに走った。)

6:00 「特攻隊」指揮した大西中将です。
―中略―
6:55 「特攻は統率の外道である」「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」
この言葉どおり、(終戦の翌日)介錯なしの割腹自殺を遂げ15時間余り苦しんで死亡した。)

特攻隊を他国のテロと混同する意見があるようです。
しかし、私は「戦争行為として軍人のみを対象とした特攻」と「民間人を標的にしたテロ」を同一視できる方の知能と国籍を疑います。

外国の方(≠特亜)も↓のように理解しています・
神風:チャオズ餃子の自爆
テロ:サイバイマンの自爆



>アメリカの艦隊にその多くが打ち落とされてあまり効果がなかったともよく言われます。
「特攻隊による攻撃はかなり効果があったので」の回答画像10
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>当時のアメリカ軍に恐怖を与えた



たしかに、衝撃的な恐怖を与えました。

それは、今、IS国のテロ、ジハードが与える恐怖と同質のものです。
「自らも死ぬと解っている行為を、正義と信じて平然と行う民族(思想)」に対する底知れぬ恐怖です。
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>武蔵や大和でさえ、向かってくる戦闘機を打ち落とすのは容易ではなかったわけですから、アメリカの艦隊も日本の戦闘機を打ち落とすことは同様に困難であり、効果が高かったと考えるのが普通ではないでしょうか。



残念ですが、それは普通ではありませんでした。当時の日本海軍にとってアメリカの軍用機を撃ち落とすのが困難だった事は事実です。だから武蔵も大和もアメリカの艦載機に撃沈されてしまいました。

ところが、アメリカ側は日本の軍用機を簡単に撃墜していたのです。高性能のレーダーと通信機器によって日本軍の攻撃機編隊の接近をいちはやく捕捉し、迎撃戦闘機を差し向けて日本軍機に壊滅的な損害を与え、さらにやっとアメリカ艦隊の上空に到達できた日本機も、新兵器(厳重な機密保持によって日本側はその存在すら知らなかった)VT信管を装備した対空砲弾によって非常に高い割合で撃墜されてしまいました。

「マリアナの七面鳥撃ち」という言葉をご存知でしょうか? 日本にとってはまことに不名誉な言葉ですが、これは当時のアメリカ海軍が、いかにたやすく日本の攻撃機をバッタバッタと(まるで散弾銃で七面鳥を撃つように)撃ち落としたかを表現した言葉なのです。

http://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%83%AA% …

アメリカ側は、現代の対空火器にも使われ続けているほどの当時の最先端技術を取り入れた驚異的な防空システムを持っていたのに対して、日本側はそれを開発できなかったばかりか、敵がそれを有効に活用している現実さえも認識できていませんでした。

飛行機の作り方や考え方の違いもありました。日本軍は運動性能や航続距離にこだわるあまり、パイロットの安全や被弾時の機体強度等も無視した究極の軽量化を追求しました。その結果は、アメリカ艦艇の嵐のような対空砲の弾幕によって損害を増やす事になりました。

一方のアメリカ軍は、重量の増加を容認してまでも、パイロットの安全と被弾時の機体強度を優先しました。質問者さんが言われる「武蔵や大和でさえ、向かってくる戦闘機を打ち落とすのは容易ではなかったわけですから...」という事は、時代遅れの対空火器で頑丈なアメリカ軍の飛行機を撃ち落とそうとした日本海軍の末路を象徴しているのです。

このように、敵味方の条件は決して同じではなかったのです。

私は、決して質問者さんの不明を責めるつもりはありません。それはありませんけれども、当時の日本海軍の上層部と同じように、最前線で起っている現実や実戦部隊からの報告を軽視して、条件は同じなのだから隊員が死力を尽くして戦えば勝てるはずだという安易な思い込みに捕われて、頑張れ頑張れと尻を叩くだけの考え方を目の当たりにするのが残念でならないのです。


最後に、真田十勇士が家康の本陣を脅かした奮闘に例えていらっしゃることに対して、私の考えを述べさせていただきます。

沖縄戦の時のアメリカ軍は、日本側がもはや特攻作戦一本槍で来ることを見越して、上に書いたような万全の体制で防御を固めていましたから、数千人の日本の若者達の犠牲的攻撃にもかかわらず、戦果を挙げる事はできませんでした。しかし、アメリカ側が日本の特攻に未だ十分な対策を取っていなかったフィリピン周辺海域の戦いでは、関大尉指揮の敷島隊をはじめとしていくつもの大きな戦果を挙げています。

勿論、敵の対空兵器や防空体制が未整備であったことに加えて、零式艦上戦闘機を手足のように扱え、戦場の空ではどのように行動するべきかも知っていた熟練搭乗員たちが作戦に臨んだ事が大きかったと考えます。

真田十勇士だって、何度も同じ攻撃を繰り返して徳川方に手の内を読まれて十分な防備をされてからでは、果たしてあれ程の大活躍ができたでしょうか?
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#5さんに同意です。


知覧特効平和会館を一度訪れると、この様な論議は
虚しくなります。
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他の方が具体的な数字を出してくれていますので、ちまちまと細かいところを。



>当時最新鋭の戦艦である武蔵や大和でさえ、向かってくる戦闘機を打ち落とすのは容易ではなかったわけですから、アメリカの艦隊も日本の戦闘機を打ち落とすことは同様に困難であり、効果が高かったと考えるのが普通ではないでしょうか。
 ⇒レーダーやVT信管等の防空システム自体が異なります。
 そもそも、日本海軍の対空火器には2000m~4000m間の高度の目標に効果的な打撃を与えられるものがなかったといいます。これは敵の急降下爆撃機が自由に投弾できたということです。その他、射撃統制装置も機速300㎞/h以下しか対応できなかったとか、対空用射撃統制装置が供えられていない艦があったとか、防空システムが時代に即したものではなかったことがわかっています。
 条件が違うのですから「同様に」と考えるのは普通ではありません。

>武蔵や大和は戦闘機を撃ち落とせなかったから沈んだのですよ。
 ⇒いいえ、戦闘機ではなくて雷撃機や急降下爆撃機を落とせなかったから沈んだんです。戦闘機では戦艦は沈められません。

>カミカゼという言葉がアメリカで広く知られているという事実が、当時のアメリカ軍に恐怖を与えたことを示しています。
 ⇒恐怖を与えたのは事実ですが、同時に愚かという評価も喰らっています。精神的な効果はあったが、物理的な効果は損害に見合うものではなかったというのが妥当な線じゃないですか。
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http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/ …
艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機と多大な損害を与えています

日本が失った飛行機の12%で、米損傷艦艇の約77%、米海軍人員の死傷者中約80%をやっつけたことになりますので、効果が無かったと言うの人はタダのヨタ話です。

>アメリカの艦隊も日本の戦闘機を打ち落とすことは同様に困難であり

日本の対空機銃は直接相手に当たらないと敵機を落とせませんでしたが、アメリカはVT信管といって敵機の近くで破裂する弾丸を使っていましたので、命中精度が悪くても(直接当たらなくても)敵機を落とすことができました

>何より、カミカゼという言葉がアメリカで広く知られているという事実が、当時のアメリカ軍に恐怖を与えたことを示しています

80%もの損耗率ですから、恐れられたんです


>ただ、戦争末期のことであり、戦争の大勢が決まった後のことなので効果があっても勝敗には影響しないものではありましたが、例えるなら大坂夏の陣における真田軍の奮闘のように最後の一矢を報いるくらいの一撃ではあったのではないでしょうか。

日本の航空機のわずか12%でアメリカを貶める事ができたのですから、日本の航空機全機をもってカミカゼアタックをすれば勝敗は変わっていたでしょう

>武蔵や大和は戦闘機を撃ち落とせなかったから沈んだのですよ。

そうですよ

>いくらアメリカとはいえ、戦闘機を簡単に撃ち落とせる軍艦は当時あったのでしょうか?

沢山ありました

>戦闘機を撃ち落とせる軍艦なんて、現代でもイージス艦くらいではないですか?

んな事はありません
主砲で戦闘機が落ちますし
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戦術的には間違いなく効果はあったと思いますよ。


実際の戦果(撃沈、撃破など)も少なからずありますが、
そもそも、マリアナ沖海戦(1944年6月)以降、日本の海軍は、海軍としての能力(海戦をする能力)をほぼ完全に失っています。
それ以降、アメリカ海軍は、極論すれば取るに足らない数の特攻機を防ぐために膨大な艦船や飛行機を出撃させることを強制されていたわけです。
そのために必要な準備や兵站等を考えれば、もし、日本が特攻を全くしていなければ、3ヶ月あるいは半年程度は早く終戦を迎えていた可能性が高いと思います。
ある意味(こういう言い方はしたくないですが)、遅滞戦術として考えればかなりの効果をあげたと言ってよいでしょう。

特攻という非常識な戦術(まともな感覚の戦術家であれば考えても実行することはプライドが許さない)を取ってまで稼いだ半年という時間で、
日本が戦略的に、あるいはもっと大きく国益として何を得たのか、というのは議論のあるところだと思いますが。
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1944年10月から沖縄戦まで(期間をキチンと区切らないと、この手の話は意味がありません)、約1300機出撃(護衛含まず)。

対する戦果は撃沈に至ったもの34隻、損傷を与えたもの288隻です。命中率だけ考えるのなら18パーセントで、これは日本軍のいかなる兵器・戦術の中でも群を抜いています。

ただし撃沈した艦艇は、小型の護衛空母2隻が最大の戦果で、あとは駆逐艦以下の艦艇でしかありません。
駆逐艦以下の艦艇が多かったのは、特攻戦術に対応してこれらの小型艦を艦隊の外縁部にレーダー・ピケットとして配備するカミカゼ対応策を米軍がとったためで、このピケット任務艦に突っ込んだ特攻機が非常に多かったからです。戦果が多いか少ないかはご自身で判断してください。

例外はあります。正規空母でもフランクリン、バンカー・ヒルのように2機命中して大損害をだした船もあります。戦艦にも突っ込んでいます。米軍の兵士にとって特攻は常軌を逸した戦術であり、戦闘疲労症にかかる兵士が続出したのも事実です。

もっとも、島を攻略する陸軍と兵器・物資をのせているのはリバティー船のような輸送船であり、これを目標にせず、防御の固い正規海軍戦闘艦の攻撃にこだわった時点で、日本側は戦略的判断ミスを犯していることになります。

まあ、アメリカ側は非常に驚愕したが、対策をとり、とくに戦略的不都合が出るような結果はまねかなかった、というのが正解ではないでしょうか。真田丸のように、徳川方が撤去を要求するほどの実際の効力はなかったのではないでしょうか。

VT信管の話がでていますが、これは標的の15メートル付近を通ると反応して爆発する近接信管で、たしかに特攻ではない対空戦闘に効果を発揮しましたが(撃ち落とさなくても爆撃等を失敗させちゃえばいいので)、自分に突っ込んでくる(回避行動をしない)特攻機の確実なる撃墜に本当に効果があったのは、マーク51射撃統制装置に制御された普通のボフォース機関砲です。

>戦闘機を簡単に撃ち落とせる軍艦は当時あったのでしょうか?

と、いうわけで、簡単ではなくてもアメリカは防空戦闘を日本側よりはるかに効果的に実施していたわけですね。VT信管、対空指揮レーダー、それと連動した対空火器、かつ優秀な光学対空射撃統制装置と、それに連動した対空火器を装備していたのですから。どれも日本が遅れている分野でありました。
真珠湾でやられた旧式戦艦をサルベージし、これらの装備をし、有効な対空砲台にして使いつぶした(もちろん艦砲射撃もできるし、敵艦と戦うこともできます)アメリカの身も蓋もない合理主義は、日本相手には有効だったようです。

蛇足

VT信管というのはぢつは、陸上で使うと強烈な効果を発揮します。適度に調停し地面から適度な高さで砲弾が破裂するようにしてつかうと、特に暴露している歩兵、非装甲目標には効果絶大で、あのナチス・ドイツが、VT信管つかった砲弾は、非人道兵器のジュネーブ条約違反だと言ったほどでした。現代でもポピュラーに使われていますよ。
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No.6さんに補足。



日本軍は対艦攻撃として有効な反跳爆撃(スキップボミング)ができませんでしたので
通常の爆撃では効率的ではありませんでした。

反跳爆撃
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%B7%B3 …
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特攻が成功しての被害より、操縦者が100パーセント戦死すると判って突撃してくることへの恐怖を与えたという効果はあったでしょう。


 物量の豊かなアメリカにとっては、貴重なベテランパイロットを犠牲にする作戦は理解できないものだったのでは。

特攻で与える戦果より、パイロットが爆弾を投下後、帰還して再出撃の繰り返しなら、もっと大きな戦果だったと思いませんか。
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