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以前にも似た質問をしましたが、見方を変えてみたいので、重ねての投稿をご容赦下さい。

例えば、基本的人権・選択の自由を重視した結果、子孫繁栄よりも自らの人生の充実度を取る人が増えて、子供の数が減り、
国家として立ちいかなくなる危機がやってきたと仮定します。

その状況下においての究極の選択として概念を問いたいのですが、
(極論なのは承知の上です)


たとえどんなに国が酷い状況になったとしても、基本的人権への介入は絶対に不可であり、個人の自由な選択には如何なる強制もあってはならない。


国家が健全に機能してこそ国民の生活や安全が守られるのだから、国家運営の根幹に関わる部分において必要な事ならば、多少の強制は避けられないし、やむおえない事である。


どちらが現代の考え方に近いでしょうか?
どちらも大事なのはわかっていますが、あえて優先するならどちらか?
ということを聞きたいです。
宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

人権というのは国が守るものなのですから、


守る主体が揺らいだら人権もへったくれもないです。

つまり、人権というのは単体で存在するものではなくて、
国家と個人という関係においての約束、決め事でしかないわけですから、
その意味で①はありえないのです。

「約束したんだから死んでも守れ」って言ってるようなもので、
死んだら意味ないでしょ、ってことです。

まあ、極左思想はそういうことを言いますけどね。

よって、あなたも「多少の強制」というニュアンスを残して書いているように、
ほどよく②を実行していくのが現代です。
その「ほどよく」の程度が政治判断です。

そこで「自由に強制していい」となると、極右思想になっていきますね。
それはそれで現実的ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
1番しっくりきたのでベストアンサーとさせていただきます。

お礼日時:2015/12/11 19:50

まず、基本的人権と、子孫繁栄を人生の重要課題とするかどうかは、全く関係無いです。

人権は、「生き方を強制しない」という意味ではない。
いくら人権が守られていると自他共に認めているような国であっても、それは所詮「ある観点では」というだけでの話あり、もっと言うなら人は、その国民であるというだけで国家や法に「強制されている」ことだらけだから。「選択の自由」なんて、どこの国にも無いとも言えるし、どこの国にでもあるとも言えます。
日本のように今でも「子を持つこと」を人生の重要課題の1つと考える国であっても、子孫繁栄に重きを置かない下手な海外より、人権意識が高い国もあります。

そもそもあなたのように「少子化=国が酷い状況」「人権とは、子供を持たない生き方が認められること」という前提で話されていること自体が、とても日本人的な発想であり、盲目的な「子孫繁栄主義」「多数派主義」なのではないでしようか。
人生には結婚や子を持つこと以外の選択もあるはずですし、ヨーロッパのようにマイノリティが才能を発揮して社会や国を支えているような国もあります。それが当たり前の国からすれば、たかだか子を持たない生き方が認められたからと言ってそれが「人権」だなんて到底思いませんよ。

勿論、以上は「グローバルな観点で語るなら」の話であり、日本が「子を持たない、少子化、少数派・・=よろしくない」と考えるのならそういう考え方もあるでしょう、とは言っておきます。
自分が大事だと思うのは、「日本に住む自分はそれが当たり前だと思っているフシがあるけど、実は当たり前ではないのかもしれない」という自覚を持つことです。世界はやはり、日本人が思っている以上に広いのです。
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社会の進化によります。

治世がまだ出来無い社会は、潰し合うので、社会が存在出来無いのです。これでは、生存が守れません。この時代には、強制力を必要としています。自由は、治世が出来の給うものです。それ無しでは、テロが始まり社会が壊れるのです。
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②:国が在ってこその人権。

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わたしなら、どう考えても ② ですね。



平和あってこその人権です。
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