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戦前は東京府と東京市がありましたが、太平洋戦争中に両方とも廃止されて東京都になりました。
ウィキペディアを見る限り、帝都行政の強力な遂行ということが目的のようですが、なぜ東京府と東京市を廃止して、東京都にしたのでしょうか?

東京市・東京府の廃止は戦時体制の下で行われたものであり、東京都が設置された経緯は民主的な手続きで行われたものだとはとても言えません。
今の東京都は、ただでさえ日本最大の人口と経済を擁する地域をすべて掌握しているわけで、都知事は巨大な権力を握っています。これを分割して東京府と東京市に戻せばそれなりのチェックアンドバランスが働いていいと思うのですが、そうならないのはなぜでしょうか?
また、戦後すぐに東京都を府・市に戻そうという動きがなかったのはなぜでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 意味不明な回答ですね。

    >政令指定都市として、市から政令区に移行したからです。
    東京市って政令指定都市でしたっけ?それと政令区って何ですか?

    >一度発展した町を、村落に戻したい人もいないでしょうし。
    東京市や東京府にしたら村落になるのですか?ならないでしょ。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 17:15
  • ?????

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/20 21:13

A 回答 (4件)

東京都のホームページに回答のヒントになりそうなことが大体出ています。


都政のしくみ [都と区市町村]
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/SHIKUMI/shikum …

東京都の大きい区や市は桁違いの規模です。
例えば世田谷区は1つの区だけでちょっとした県位の人口がいます。
多摩地区26市だけで400万以上の人口があります(この人口規模以上の府県は8つだけです)。
東京都の年間予算はちょっとした国の予算規模です。

それをわざわざ「東京市」に分ける意味が無いと思います。
23区だけで人口915万の東京市にして、東京都自体は1350万です。チェックアンドバランス機能しそうですか?
人口規模で最も近い神奈川県と横浜市+川崎市+相模原市や、財政事情がさほど悪くない愛知県と名古屋市で働いてますか?
そうは思えないですが。

あと東京都には、毎日通勤通学という名の隣接県から流入人口289万人と
多摩地区から23区へのそれ54万人があることも、ますます東京市を作る意味が無いと思いますが。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tyukanj/2010/tj …

>日本最大の人口と経済を擁する地域をすべて掌握しているわけ
それは大げさでは。

確かに東京都は他府県とはけた違いの経済規模で、47都道府県で唯一地方交付税不交付団体ですが、
市区町村単位では愛知県下の市の方が多いです。
愛知県の各市も国に頼らず予算を組めているという意味で日本経済にとってはかなり重要では?
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01zaisei …

内閣府に言わせると、都道府県別のGDPは東京都だけだと日本全国の19%無いですよ。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sonota/kenmin/k …
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花の都、霧の都、杜の都、音楽の都、世界には色々な都があるようですね。


確かに、未だに日本政治、戦時亡霊の住処とも見える。
その亡霊の見せ処、政治紛争の都、選挙戦の都、亡霊政治の都、そうも見える。
高圧官僚の居場所であり、良識人道的には低気圧、そのようなMAPも見えなくもない。
観客が競技場に投げ入れる色テープのように、放物線を描いては地に落ちる政治生命線、 不足するのは緑・自然だけでは済まされない未来も見え隠れする。
枠と言うことではないでしょうか。頼朝にしても秀吉にしても家康にしても、行なったことは地割りだけ。異議が出ようものなら謀反と騒ぐ。
地にへばり着いて、権力面する姿が連想される。
この回答への補足あり
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確かに東京府と東京市の廃止が行われたのは大東亜戦争末期ではありますが、


実際には明治29年の第九帝国議会より継続審議の案件でして
貴族院は通過しても衆議院で議論完了せず、というようなことを繰り返し
改案を繰り返しながら実に50年ほど議論された末に、
ようやく制度改革となったのです。



ええ、このスピード感、今とあんまり変わらないですね。



むしろ制度を変えようとすると当時の他国のように独裁的にポンポンと
変えた事例は特別の事件が無ければかなり少なく、
我が国では元々これくらいの時間はかかると
見ておいた方がよさそうです。


まず、なぜ東京都にしたのか。
帝国議会の議事を見ていくと、理由は以下のようなものです。

・帝都なのだから特別の制度を!
一見、今の感覚からするとふんわりし過ぎな理由に見えますが、
天皇のおひざ元ですから、問題があってはいけないという帝権の権威
に関する問題以上に、帝都というシンボルだからこそ
当時からテロの標的になりやすい状態でした。
加えてテロというのは昔から、「最も弱い部分」が狙われるわけですから、
帝都には抜け穴のない統一的な治安維持と安定、
政府との密接な連携が求められていたというわけです。



・産業化にあたっての統一規格の採用と行政の効率化
帝政日本は産業化や災害・戦災からの復旧が常であったわけですが、
隣接する市区町村ですら上下水道の規格が合っておらず(たとえば東京市と渋谷町)
また、同じ役割の施設が行政区ごとに林立する事態になっていました。

電気インフラにしても交通インフラにしてもそうですね。
この分断を解消するために、意志決定の統一も求められたというわけです。
このあたりは大阪都構想で、橋下さんたちが主張していたのと
同じ内容でもありますね。




もちろん、都市化が完了した現代において、
この二つの意味合いは現在では薄れつつありますが、
他方で有事において、仮に東京エリアが壊滅するような事態になった後、
復興しようとするときには関東大震災や戦災の時と同様、
この上なく強みを発揮するでしょうね。
逆説的にこれが戦後、東京市が復活しなかった理由の一つです。



仮に戦後復興が"市町村ごとに"行われていれば、投資の効率性は損なわれ、
我が国の発展もよりゆっくりとした歩みだったかもしれません。
この意味で戦後の発展は東京都だからこそ、ではあったのです。

また平時においても、組織化による効率性とチェックアンドバランスは、
ある意味でトレードオフにならざるを得ないので、
ちょっとばかりお金がかかる事態になり、国民はチェックアンドバランス
を選好しない、という大衆心理学上の研究もありまして、
ぶっちゃけて言いますとこの種の分割案は
「あまり人気がない」発想になってしまっています。


最後に前述のとおりの日本という国家の元来の政策スピードも理由でしょう。
今後、質問者さんが国民全員を説得できたとしても、”前回”同様
変更まで50年はかかるんじゃないでしょうかー。
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政令指定都市として、市から政令区に移行したからです。


だからこそ、よりインフラも重点的に整備されます。

ま~人口が減れば、それなりに政令区の必要性がなくなり、23区から統廃合されて減るでしょう。

都知事の権限なんて、他の知事とそう変わりません。
首都なので、人も法人も多いので、より税金が回収できるだけです。

一度発展した町を、村落に戻したい人もいないでしょうし。
この回答への補足あり
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