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日本を、こんな事が起きる国にはしたくないな。それには外国人を入れないようにするしかないだろう。

江戸時代に、何故、鎖国政策を取ったのか、今になって分かるよ。
https://twitter.com/i/status/1762660117634531754

質問者からの補足コメント

  • 札幌の殺傷事件は、ごく少数の狂人の起こしたものですが、外国人は狂人ではなく、狂人ではない普通の人間が事件を起こすから問題なのです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/03/01 09:03

A 回答 (4件)

多民族で上手くやれるのか。



米国ですが、当初は、ヨーロッパの
価値観で染まるから、大丈夫、と
言われていました。

しかし、現実は、それを否定しました。

それで出てきたのが、ルツボ論です。

多民族が集まって、何処の誰でもない
「米国人」になる、という論が出て来ましたが
現実はこれも否定しました。

それで、今ではコーラス論が
主流になっています。
異民族が、それぞれ特色を維持しつつ
仲良くやっていく。

習慣、価値観などが大きく異なる
人達が、国家を形成し本当に上手くやっていけるのか
疑問です。

アケメネス朝ペルシア
ローマ帝国、ムガール帝国などは
多民族国家故に滅んだ、とする説が
有力です。

米国みたいな国は、日本のように
千年以上存在し続けることはできない
のでは、と考えます。
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かつて学校で、江戸時代の日本は、一般に「鎖国」政策をとっていたと教わりましたが、今では、江戸時代の日本は鎖国政策をとっていなかったということが常識になってきています。

 実際、江戸幕府が「鎖国」という言葉を使ったり、公式に「他国との貿易をやめ、国を閉ざす」などと宣言したりしたことは一度もありませんでした。 「鎖国」という言葉が一般に知られるようになるのは明治時代になってからのことでした。

「鎖国」という言葉には、なんとなく海外諸国と完全に断交したようなイメージがありますが、当時の日本は完全に国を閉ざしていたわけではありませんでした。

日本は、長崎、対馬、薩摩、松前の「四つの口」を通じて海外とつながっており、そこを窓口に幕府の管理下で貿易や人的交流がが行われていました。

対外交易を一部の場所だけに限定する「海禁政策」は、実は当時のアジアでよく見られたものでした。 要するに、民間の自由な貿易と交流を禁じ、国家が貿易と人的交流を管理する体制だったのです。 国家が貿易や人的交流を管理するとは、考えてみれば当然のことで、今の日本でも貿易や人的交流はいろいろな面で国家が管理しています。
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日本じゃもっと酷い事件も起きていますけど?


https://www.htb.co.jp/news/archives_24985.html

そもそも「鎖国」というのは、大名が勝手に海外貿易をするのを禁じて幕府と許可を得た一部の大名だけが独占するという「海禁政策」です。キリスト教云々も後付けです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

札幌の殺傷事件は、ごく少数の狂人の起こしたものですが、外国人は狂人ではなく、狂人ではない普通の人間が事件を起こすから問題なのです。

お礼日時:2024/03/01 09:03

>江戸時代に、何故、鎖国政策を取ったのか


間違った知識をお持ちです。
この世界では、日本は一度も鎖国をしていません。
異世界からの転生したかたのご質問と思います。

こちらの世界の歴史を学んでください。

江戸時代、キリスト教の国との国交は断絶した。
他の国とは貿易や入出国は盛んに行なっていた。

ロシアからの水産物や毛皮の輸入と織物の輸出とか。
朝鮮や旧中国とも交易していた。
オランダ等の欧州やアメリカともキリスト教を
持ちこない限り出入りは出来た。

もう一度、日本は鎖国政策はしたことがない。
現在も特定の国(北朝鮮とか)との国交が無いだけです。
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