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管理職になったり役員になれば(いわゆる「偉くなる」ことです9部下を顎で使えるし、自分のペースで計画を立てて動けるからいいと思っている人は多いようですが、私にとって偉くなることは、

○いくら部下といえど人を動かすのは大変(「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」東郷平八郎の名言)であり、非常にストレスフルなもの。

○部下のやった失敗は自分の責任であり、たとえば部下が痴漢で捕まった場合でも場合によっては管理責任を問われる。中間管理職になれば上司に目を配ると同時に部下にも目を配り管理しないといけなくなる。

○経営者ともなれば社員全員およびその家族の生活に対して責任を背負う必要があり、非常に重い責任である。また、部長や役員は社内で何か問題が起きれば責任を取って辞任することもあり、定年前に会社を去ることが往々にしてある(逆に平社員がリストラされることは少ない)。

○部下だけで対処できないような事案が発生するたびに自ら対応する必要に迫られるため、自分のペースで仕事ができるわけでは決してない。

○少しでも偉そうな言動をとればパワハラやらセクハラなどいろいろ言われるため、最近は偉そうな言動を取ることも許されないようになってきている。

のような感じです。

私にとって偉くなることは、「責任10倍、給料1.5倍、自由度半分」という非常に割の合わないものに思えます。それでも偉くなりたいという人は否定しません(むしろよくやるよと尊敬します)が、自分にとっては偉くなることは罰ゲームのようなもので、全く憧れることがありません。

偉くなる唯一のメリットといえば給料が増えることでしょう。
でも、私はゴルフや海外旅行、高い店で食事することに全く興味がなく、近くをサイクリングするとか近くの美味いラーメン屋に行くくらいの、お金のかからない趣味しかありません。学生時代から生活水準を上げていないので、今の給料でも十分だと思っています。

質問者からの補足コメント

  • それは回答者様の若い頃の話ですよ。40年以上前のことでしょう?
    その頃は管理職が今よりずっと偉くて部下を怒鳴ることは日常茶飯事で、場合によっては暴力もあったでしょうが、今の時代そういうことをしたら一辺にパワハラで訴えられます。
    そして、偉い人間の代表格とも言える総理大臣だって、今時分は好きなときに海外旅行になど行けやしません。
    わたしの上司を見ていても、年末に実家にすら帰らず職場近くで待機しているという人は多いですよ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/27 23:18
  • 確かに私が働いているのは素晴らしい会社なのかもしれません。

    でも、回答者様の会社においても、経営層や役員クラスの人間は人を使うのが上手く、部下をうまく働かせて責任を被らずに要領よく社内を動けたからこそ上に行けたのかもしれません。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 21:17
  • 私は偉くなるのが選択だとは書いていませんが。そして、偉くなるのは個人の自由です。
    また、社会や組織に上手く馴染める人は偉くなるべきでしょう。
    でも、私のような人間関係が極度に苦手な社会不適合者にとっては、更なる人間関係に揉まれることになる出世は出来るだけ避けたいところです。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/08 07:07

A 回答 (8件)

可哀想な考えですね。

いろいろなポイントがあるかと。

① まああなたのいうことも一理ある。でも偉くなりたいのも自由。人それぞれ何を思おうと自由かもしれません。

② ただ、偉くなる、ならないは、あななたが思うような選択ではないこと。厳しい言い方すれば、あなたのような人は(もっと一般的に言えば、偉くなっていない人の殆どは)、偉くなりたくてもなれないのが実情なので、偉くなりたいと思わないと主張したところで、なんの説得力もない。所詮ただの負け惜しみなのです。実際偉くなっている人がそれを捨てて、別のことをするとか、実際に今、偉くなることを求められている人など、自分に決定権がある人がいうならわかる。

③ 「責任10倍、給料1.5倍、自由度半分」は、実際、私や、同様の立場の仲間の場合を言うとまったく感覚が違う。責任は重いですが、組織で仕事をするわけで、自分にだけ過剰に責任がくることなどない。また、自分のキャパもや実力も広がるので、責任はせいぜい数倍か変わらずという感覚です。給与は大卒入社の今8倍ですが、まだまだ伸びます。給与格差は格段に広がって2極化しており今後もますます続く。昔のように、一律でみんなが上がることはもうないので、いつまでも給与一緒は、私なら耐えられない。逆に、今は、年功によらず給与が増えるチャンスはむしろ広がっていてありがたい。でも、一番大きいのは、自由が10倍ってこと。自由って、実はルールや規則で与えられるものではない。裁量が増えるにつれて、思うようにやれることも増えるし、むしろ休みだってとれる。優先度や判断の多くを自分が出来る方が自由は無限に増える。裁量がない人に限ってこの感覚がわからない。

④ とはいっても、金と自由のために、偉くなりたいか・・・・っていうと全く違う。人はみな、自分の才能を活かして社会に貢献したいという思っている。そのためには、個人で出来ることには限界がある。チームで働き、チームをリードし、自分の才能を発揮しながら、チームのパフォーマンスをもって、何かの目標を達成する中で、お互いを信頼し合い、助け合い、高めあえたら幸せ・・・っていうのは、時代を超えて通用する人間の本能みたいなもの。(もちろん、身の丈に合った、自分が才能を発揮できて、成長できる分野でなければだめだけど。)そして、結果給与も増えればなおいい。。。って感じでしょうか。

まあ、そんな感じです。想像するよりずっと楽しくて、快適ですよ!
この回答への補足あり
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ウチの会社で上にいく、ウチと似た様な大企業で上に行く者は最初から決まってます


「総合職で入社する」
これだけです。実績なんか要りません、一流大(東大、京大クラス)を卒業し、晴れて総合職になれば
能力関係なく3年スパンでステップアップ
あとは政治家くずれなんかが突然役員とかに、ポンって入ってきたりですね
まあ、たしかに仕事は出来なくても頭は冴えるのは事実ですね
道具(社員)を如何に有効に使い切るか、この考え方は脱帽ものです・・・

必罰の名の下、下の者は力で抑えろ

という感じですね、私の様な一般採用は一番下の管理職か、その次のクラスの管理職が定年までになれるかです
もちろん収入も下っ端管理職は一般+α程度です、1.5倍とかそんな夢の倍率なんかではないですね・・・

人生においては生まれの環境でスタート位置は変わりますが
会社においても「採用形態」で、ほぼほぼ全てが決まっております
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○いくら部下といえど人を動かすのは大変(「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」東郷平八郎の名言)であり、非常にストレスフルなもの。



→パワハラで訴えるなんて実際の労働環境ではマレですよ。それこそ昔の話です。
働かねば喰っていけぬ、従わなければ喰っていけぬ、という現代では結局は「会社>個人」
本当に上の方の管理職、役員は部下を道具の様に使うのでストレスフリーです

まあ、係長相当の下っ端、名ばかり管理職は一般職とそれほど給料も変わらないのに
部下の面倒という仕事もつくのでストレスは相当でしょうね・・・・



○部下のやった失敗は自分の責任であり、たとえば部下が痴漢で捕まった場合でも場合によっては管理責任を問われる。中間管理職になれば上司に目を配ると同時に部下にも目を配り管理しないといけなくなる。

→それも下っ端中間管理職だけ、ウチだと部下が遅刻しただけで係長みたいな下っ端管理職は
「お前は日頃からどういう指導をしてきたんだ!!」
と、怒鳴られ、場合によってはそれこそ個人の問題なのに、対策を考えろととかありますが

まあ、上の方の管理職はそのストレスを下っ端管理職にぶつければいいので、相変わらずストレスフリーです



○経営者ともなれば社員全員およびその家族の生活に対して責任を背負う必要があり、非常に重い責任である。また、部長や役員は社内で何か問題が起きれば責任を取って辞任することもあり、定年前に会社を去ることが往々にしてある(逆に平社員がリストラされることは少ない)。

→役員は退任しても、そのまま違う役職に就くだけです。そしてその退任時にも退職金も支払われます
下っ端は肩を叩かれたら終わりなだけですね
むしろ平社員のリストラの方が往々にあると思いますが



○部下だけで対処できないような事案が発生するたびに自ら対応する必要に迫られるため、自分のペースで仕事ができるわけでは決してない。

→部下が対処出来なくても困っても、お偉いさんは
「それを決める(やる)のが、お前の仕事だろ!!」
と一言で済みますね


○少しでも偉そうな言動をとればパワハラやらセクハラなどいろいろ言われるため、最近は偉そうな言動を取ることも許されないようになってきている。

→少々の事でパワハラ、セクハラと言われる、スバラシイ会社は日本の何%なんでしょうね・・・・
そんな良い会社で働いてみたい・・・・


私にとって偉くなることは、「責任10倍、給料1.5倍、自由度半分」という非常に割の合わないものに思えます。それでも偉くなりたいという人は否定しません(むしろよくやるよと尊敬します)が、自分にとっては偉くなることは罰ゲームのようなもので、全く憧れることがありません。

→『下っ端管理職』これは「給料1.1倍、仕事2倍、責任10倍」なので、あこがれどころか
給料下がっても一般に戻りたい位の地獄さです・・・・・
が、本当の経営層クラスの管理職や役員「給料何十倍、仕事0.5倍、責任は基本部下」
報道沙汰の様な不祥事の時だけ、少々の減給・・・・良い待遇です



なにか質問主さまが、スバラシイ会社に働いている様にしか思えません・・・
一応社員10万クラスの下っ端管理職の粗末な意見です・・・
この回答への補足あり
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私にとって偉くなることは、「責任10倍、給料1.5倍、自由度半分」


という非常に割の合わないものに思えます。
    ↑
責任が10倍もありますかね。
責任者といいながら、いざとなると、部下をリストラ
して、自分は逃げることも多いですよ。
これじゃ、部下が責任者です。

給料は、もっと差があると思います。
米国のように何十倍、何百倍ということはありませんが
数倍はあります。
年金の額だって違ってきますし、天下りまで計算すれば
その差はさらに広がります。

自由度は減りますね。24H365日仕事みたいな
こともあります。


”それでも偉くなりたいという人は否定しません(むしろよくやるよと尊敬します)
が、自分にとっては偉くなることは罰ゲームのようなもので、
全く憧れることがありません。”
    ↑
偉くなるような人間はそもそも違うのです。
持っているエネルギーが違います。
偉くなりたい、という出世欲が違います。
出世欲を満たすための、もろもろの面倒などは
苦にならないのです。
三度の飯よりも仕事が好き、てひともおります。
仕事をするのが趣味みたいな人間もいるのです。
一度権力の味を知ったらもう逃げられない、とも
いいます。

城山三郎の小説ですが。
上司の愛人を目にして、成功するとはこういうことか、
とそのとき初めてうらやましく思った、という
下りがありました。


”偉くなる唯一のメリットといえば給料が増えることでしょう。”
    ↑
唯一ではないと思います。
上に立つと、景色が違ってきます。
人格も磨かれることがあります。
つきあう人間も違ってきます。
レベルの高い人間とつきあえます。
雑談一つにしても、レベルが違います。
銀行などの扱いも違います。
家族や近所の見る目も違います。
有形無形の、諸々のメリットがあります。


”自分にとっては偉くなることは罰ゲームのようなもので、
全く憧れることがありません。”
   ↑
そうですね。偉くなった場合のメリットについては
異議がありますが、要は、自分にあった人生をやるのが
大切だと思います。
役員などに向いていない人が頑張って役員になったら
ストレスばかりで自殺したくなるでしょう。
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かつては有名企業の管理職、今では底辺の時給労働者の私に言えることですが、質問者さんはなかなか鋭い見方をされていると思います。


ただ少し違うところは「責任10倍、給料1.5倍、自由度半分」のところです。

「給料1.5倍」のところですが、かつてはそうでしたね。しかし今では民間企業の多くは2倍以上の差をつけています。
その大きな理由は、限られた給与原資で会社に貢献するものにはそれなりに報いたいという考えからです。
かつては年功序列賃金がベースで、課長や部長になるとそこに課長手当、部長手当が加算される仕組みでした。
従って、若くして課長や部長になった人より、勤続年数の長い平社員の方が給料が高いということも少なくありませんでした。
特に残業手当などもらうと顕著でした。かつての経験で言うと、課長手当は5~6万円、部長手当は10万円程度でした。
平社員でも長年勤めた人ですと、残業手当を4000円/時間くらい貰う人も多くいました。すると月間20時間残業しても
8万円の残業手当がついて、ゆうに課長手当を上回ってしまいます。そんなわけで、「俺は課長になったら給料が下がった」
と半分冗談で嘆く人を何度も見たことがあります。実際にはボーナス時の査定やボーナスの支給月数が課長手当にも
反映されていたため、年収ベースではそんなに悪くなかったとは思いますが、毎月の給与は部下よりも低いという
課長もいたことは事実です。そこで実際、課長への内示を受けながら辞退した人も少なくありませんでした。
私の記憶では定年前の平社員で年俸が800万以上の人もいましたから、そういう選択も大いにあり得たでしょう。

しかしバブルがはじけ、企業収益が伸びなくなると、給与体系を大幅改定する企業が増えました。今では年功序列賃金
を採用している企業は殆どないのではないでしょうか。私の勤めていた企業の例では平社員でいると給料は最高でも年俸
で400万~残業で稼いでせいぜい500万どまり。課長になって600万~1000万。部長だと1000万以上になりました。
これは平、課長、部長で給与体系を全く変えてしまったからです。

平の年俸400~500万というと、結婚し、家族が出来てなんとか食っていける程度です。何かにお金をかけたければ
家族がいれば人にもよりますが800万円位は必要ではないですか?要は何か少し贅沢をしたかったら、課長以上に
ならざるを得ないということです。

当然この年俸の違いは、定年後の年金支給額にも大いに影響します。最近は年金制度がどんどん変わってゆくので
平社員で一生を通した方がどれくらいの年金を受け取れるのか良くわかりませんが、役職を経験した私よりも
少なくなることは間違いないでしょう。

以上はほんの一例ですが、それで良いというなら平を通せばよいし、2倍、3倍の高給を望むなら課長、部長を
目指すのが良いと思います。また給与面の話をしましたが、役職になることで、平ではできなかったような
仕事も任されました。自分の残した足跡(というほどのものではありませんが)を今も見ることができるのですが
それを目にするとき、誰にも言いませんが、少しだけ満足感を感じたりもします。要するに自己満足ですが(笑)
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おじさんです。


ご質問にかかれていることは、その通りでしょうね。
あなたの考え、生き方もそれでいいと思いますよ。
ただ、偉くなることが男として最優先と考える人もいますね。
それはそれえいいのではないでしょうか。
つまり、いろんな生き方があるということでしょう。
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これは価値観に関係し、人生をどう生きるか(何を大切にするか/何を捨てるか)の問題でもあるわけで、人によって考えかたが違ってきます。



ただ、あえて言えば、平社員として会社の底辺層で仕事をしていくことは誰でも(あなたでも)経験し、その状況(メリット/デメリット)がよく承知できます。ですが、管理職なり経営層なりの経験もせずして会社の底辺層から上(管理職や経営層)を見上げただけでは、その状況は正しく把握できるわけではなく、見聞きによる憶測の域を出ません。
あなたが○印をつけて箇条書きしたことは、下の者からはそのように見えるというだけの話で、実経験・実体験にもとづく事実の把握ではありませんから、思い込みの部分が多々あるかも知れませんよ(私からはそう見えます)。
実際に管理職なり経営層なりになって経験してみれば、やっぱりこちらのほうがずっといい、という判断に至るかも知れません。両方経験しないと、正しく比べられないものなんです。

実際、私は大手企業を30年間勤め、かなりのポジションまで昇り詰めてから脱サラして自分の会社を興し、そこでも15年ほど会社経営に携わってきました。その経験からしても、やっぱり下にいるよりも上に昇り頭を使ってマネジメントするほうがいいと思います。楽して働いて1日に百万円以上も懐に入れると、1日汗水たらして働いて、それで1万円なんてなんなんだ、と思えてきます。

好きなときに海外旅行に出かけ、自分の好みに合った家をキャッシュで建て、ドイツ製の大型外車に乗り、毎日昼間からスポーツジムに通って体力と健康と格好いい体型の維持に努め、仕事がてら遊びも兼ねて北海道から沖縄まで出かける…会社という組織の階段を上がっていくと、最後はこういう人生を謳歌できることもあるんです。

もっとも欲がなければないでいいと思いますけれどね。でも、どんな道を歩めば自分の人生を有意義に過ごせたかは、人世の終わりに近づかないと分かりません。
この回答への補足あり
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君の言うまとめ役になるとしんどいのは事実だな。

自分がした方が早いし、自分がした同じ失敗を案として出してくるし、引き下がらない部下に失敗するとわかって「じゃあやってみ」と言わざるをえんようになって後で、怒られるし。給料は上がるとはいえ、おごるのも増えれば、むしろ減額だろうね。ストレスで帰ってビール飲まなきゃやってられないってのは増えたな。やっと、仕事を振ることがわかってきて慣れてきたけど。
だけど、最近は、査定面談の時などに「次の目標は?」などと具体的なステップアップ展望を聞かれないかな。「今のままで充分です」と言えば、査定が下がりそうじゃない?
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