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言い訳と理由の違いって何ですか?
御嶽山の噴火で救助打ち切りになったとき、「有毒性の火山ガスの影響」は理由になるんでしょうか。
どんな事情であれ、被災者を見捨てたってことですよね?なぜ言い訳したってことにならないのかわからないです。悪いことしたり失敗したときに事情を説明することが言い訳なんですよね。だったら御嶽山の見捨てた件も有毒性の火山ガスの影響も説明すると言い訳いたってことになるんでしょうか。あと、正当防衛や死刑制度もそうです。遺族から殺人を責められたら「正当防衛だ」「罪を犯したのなら死刑になっても当然」と説明するのは言い訳なんですか、それとも理由なんですか。人殺しは人殺しなのになんですよね?


言い訳って失敗や悪いことを正当化するって意味で、言ってはいけないことだと聞かされてきたのですが、じゃあ正当防衛や死刑制度、救助打ち切り(見捨てる)の正当化は許されているんですか

A 回答 (9件)

簡単にいうと、


言い訳 は、自己中心の 主観的発言。
理由 は、広い視野から見ての 客観的発言。

以上です。
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物事には、必ず制限が付きまといます。

たとえば誰がやっても24時間では終わらないような仕事を1日で終わらせられなくても本来は「言い訳」とはいいません。客観的に見て誰がやっても不可能だからです。
しかし「仕事」となると精神的な評価が付きまとうため「24時間では不可能だけど、やりますと言った以上は自分の責任」ということで、終わらなかった言い訳はしない、ということです。

この場合は「引き受けた」ということからよほどの事(救急車で運ばれたとか)ではないかぎり、できなかったことは引き受けた人の「マネージメント不足」ということであり、どんなことを言っても言い訳になってしまいます。逆を言えば「24時間で終わらないのが分かっているなら、最初からそう言えば分担するとかできただろう」という叱責も成り立つからです。

仕事、という点に関してはこういう「精神論」と特に日本のマネージメントでは「引き受けた部下の責任」と「ボリュームを考えずに仕事を与えた上司の責任」があいまいですので、言い訳が責任の押し付け合いになったりして、有益な反省(作業効率を上げるための改善とかマネージメントの問題点とか)にならないために、嫌われるのです。

本来は言い訳の中にも、有益な情報があり改善に結びつくものがあるのですが、日本の文化的な側面を含めて。言い訳と理由がごちゃごちゃにされてしまうので、失敗した側から言い出すのが難しいのが現状です。

これを踏まえたうえで、救助打ち切りの際の「有毒性の火山ガスの影響」は言い訳とはいいません。
なぜなら、救助には「原則」があるからです。その原則とは「2次災害被害者を出さない」ということです。

もし、助けに行った人が有毒ガスや再度の噴火などで要救助者になってしまえば、救助の手間も救助する人も増えてしまいます。これを繰り返すと際限なく要救助者が増えることにもなりかねないので「救助に行ったものが、自力で帰ってくれなくなる可能性がある場合は、救助はしない」という原則が確立されています。

ですから、こういうのは言い訳とはいいません。
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国語のカテゴリーでの質問ですね。


広辞苑では ➀物事の筋道を説明すること ②転じて、過ちを謝するため、事情・理由を説明すること ③ことばの使いわけ の3種が「言い訳・言い分け」の説明です。
広辞苑では ❶物事の成り立っているすじみち。その結果が生じたわけ ❷一般には存在や生成の根拠となるもの の2種が「理由」の説明です。
「裁判官が合議したところ、意見が一致したので、無罪の判決を下すことにした」は、上記の広辞苑の説明に照らすと、言い分けでもあり、理由でもあります。
②の意向(過ちを謝するため説明する)がある場合には、言い分けという用語を使用するのが適切ともいえますが、意向(過ちを謝するため説明する)の有無に関わらず、理由に該当することも確かなので、理由という用語を使用しても、間違いではないです。
それは、(男、男子、男の子、男性)(建物、家、家屋、住宅)の用語などの用語でも、意味が重なっている部分と、ある語にのみ関係している部分があるのと同様です。

ある説明を聞いたり読んだりして、正当化だとか、詭弁だとかいうのは、聞き手、受取手の勝手な意味づけ・評価でしかないことが多いです。
「盗人にも三分の理」http://kotowaza-allguide.com/nu/nusubitonimosanb …
という成句がありますが、「誰がどんな事情で、どんな場面で述べようとも、理は理である」と理解すべきです。 盗人の釈明、言い逃れ、詭弁であったとしても、それは理として評価すべきです。 その上で、その理とは別の理も立つのであれば、色々の理を、多様な視点で、状況やいきさつに照らして判断すべきです。 殺人でも、テロでも、革命でも、先制攻撃でも、受けてからというステップを踏む仕掛けをするのでも、格差やストレス、疾病、貧困、イジメを理由にするのでも、理は理です。言い分けも、理です。
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ご質問の要点は、2つあると思います。


1.
>どんな事情であれ、被災者を見捨てたってことですよね?なぜ言い訳したってことにならないのかわからないです。

端的に言うと、
「理由」⇒判断の根拠。
「言い訳」⇒自己正当化のために示す判断の根拠。
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
といった意味ですが、同じ判断の根拠でも、「理由」の場合は、その根拠が一般的に考えて正当なものであることが暗黙的に了解されているものを指していると思います。
この場合、「正当化」とは、【自分の言動などを、道理にかなっているように見せること。】
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/261270/meaning/m1 …
という意味なので、話し手が「これから言い訳をします」と自ら表明することは、一般的に無いと考えて良いでしょう。
つまり、話し手としては常に自分は正当であるという立場で判断の根拠(=理由)を述べます。

「救助打ち切り」に関して、「有毒性の火山ガスの影響」と言われた場合、それが判断の正当な根拠になると考える人は、「なるほど、それは尤もな理由だ」と受け止めて聞くわけでしょう。
逆に、それが判断の正当な根拠にはならないと考える人は、「それは理由ではなく、自己正当化のために示す判断の根拠にすぎない。道理にかなっているように見せて、実は我々を欺こうとしている」と不満を抱くことになる。
つまり、同じことを言っても、それが「理由か言い訳か」は、聞き手の解釈次第で決まる、ということになると思います。

2.
>言い訳って失敗や悪いことを正当化するって意味で、言ってはいけないことだと聞かされてきたのですが、じゃあ正当防衛や死刑制度、救助打ち切り(見捨てる)の正当化は許されているんですか。

1でも述べたように、言う側にしてみれば、正当化しているのではなく、正当なことを言っている、と考えているはずです。
ですので、「正当化が許されているのか否か」ではなく、「正当化しているのか、正当なことを言っているのか」の判断に焦点を当てる必要があるでしょう。
個別の場合について検討・判断されるべきことなので一概にどうとは言えませんが、大雑把な感想だけ述べてみます。
・正当防衛⇒過剰防衛という言葉もありますよね。過剰防衛だったのに正当防衛だった、と言えば、これは言い訳になるでしょう。
しかし、「過剰」でなかったなら「正当な防衛」は言い訳ではなく理由として通用すると思います。(法的責任は別問題として)
・死刑制度⇒これが言い訳か理由かは、かなり難しい問題ですね。個人的には死刑反対論者ですが、それを述べる場ではないと思うのでコメントは控えておきます。
・救助打ち切り(見捨てる)⇒現場の状況を詳しく知ることが難しい、という点がネックになるような気がします。つまり、断言はできないのですが、たとえば防毒マスクを使っての捜索継続が本当に不可能だったのだろうか?などの疑問点は残ります。
あと、一晩置いたら絶対死んでしまうだろう、と思われるような状況でも、「暗くなって危険だから」という理由で捜索を翌日に持ち越したりすることが時折あり、こういうことにも若干の疑問を常々感じています。
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>言い訳と理由の違いって何ですか?


受け止める側の心理次第。

真相を知りたい人が聞けば『理由』となります。
罵倒やマウンティングや八つ当たりがしたい人が聞けば『言い訳』となります。

あと、説明されても理解できないとき、自分の頭の悪さを認められない人は自分の優位性を保つため『言い訳』と片づけるでしょうね。
自分にも落ち度があるとうすうす感じるようになっても、それを認められない人も相手の言い分を『言い訳』と片づけるでしょうね。
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>じゃあ正当防衛や死刑制度、救助打ち切り(見捨てる)の正当化は許されているんですか


他人に責務を一任した以上、責務を負った人間の独断は正当です。言い訳も理由もない。他に実行する人間がいないのだから。
外部の人間に追求責任は一切ない。
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先ず、文言の修正を、


救助の打ち切りでは無く、捜索の打ち切りです、

個人的には、言い訳ではなくれっきとした理由による打ち切りだと考えてます、
可能な限り精一杯努力した其の現実で十分では?、

災害時には必ずと言っていいほど遺体の収容漏れは出ます、
御岳地震の時然り、東北震災然り、広島の豪雨災害も、伊豆大島の豪雨災害もです、
現場の過酷さを考えた事は有りますかね、

泥や瓦礫に埋もれながら懸命に捜索を続ける隊員達、
福島原発が噴いた時も、冷却水の回路の敷設に東京消防庁の隊員たちが体を突き抜ける放射線を物ともせずに決死隊として突入した、

理由付けや言い訳とは無縁の世界です、有るのは使命感だけです、

決断をするのは上層部です、

中には言い訳らしく見える場面は沢山有りますが、

言い訳は責任回避の方便です、其れを正しく見せるために積み重ねるのが理由です、

前半と後半がどのようにリンクするのかハッキリ判りませんが、
前半に関しては、言い訳の介在する余地は無いと思ってます、
自然現象を捉えての的確な判断だと思いますよ、

貴女は被災者の家族・関係者なんですか?。
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理由を述べる人が「言い訳になってしまいますが」と前置きする場合も、


理由を聞いた人が「それって言い訳ですよね」という場合も、言い訳という言葉で言いたいことは
要するに「その理由はダメ」「その理由じゃ免責されない」ってことじゃないですか。

奇妙なことですが、「そんなの言い訳ですよ!!!」と「そんなの言い訳になってませんよ!!!」
は、同じ意味のように思えます。
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言葉の意味を尋ねているようで


実際には、世の中のルールに難癖を付けているだけだね

もっとストレートに聞いてみたら?

コレじゃ『何言ってんの?』で終わり
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この回答へのお礼

ごもっともです。どういう風にストレートに聞いたほうがいいですか

お礼日時:2015/12/28 00:48

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