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戦国時代には日本は既に鉄砲の所有量がヨーロッパを超えていたそうです。そして鉄砲の特徴は、誰でも簡単に敵を倒せるようになることです。
「農民に銃をもたせて短期間訓練すれば、幼少より鍛錬を積んだ武士階級でも敵わない」→「じゃあ武士階級要らないよね。わざわざ武士を養わなくても、武力は徴兵した農民でいいじゃん。」
以上のような考えによって、四民平等・国民皆兵制度になっても良さそうな気がするんですが、日本は結局明治時代になるまでそれを実現できませんでした。なぜ鉄砲がたくさんあっても、武士階級を廃して国民皆兵制に移行しなかったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >越えてません
    ノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」に書いてありましたよ

    >発泡前に手順が必要ですから誰にでも使いこなせません
    鉄砲足軽は普段農民をしていて短期間の訓練で使えるようにしたものじゃないですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/26 03:12

A 回答 (9件)

人間社会の本質をつく、鋭い質問だと思います。



なぜ国民皆兵にならなかったのか、それは土地の所有権が関係しています。

日本の土地の所有権の基本は「墾田永年私財法」にあります。これにより貴族が荘園を作り、その荘園を守った武士たちが力をつけ、やがて武士自身の私田(自分で開墾した土地)の権利を守るために自分たちの幕府である鎌倉幕府を開くに至りました。

日本は異民族との戦争が基本的にありませんので、日本における戦争とは「自分の土地を守る戦い」であったわけです。ですので、自分の領地が危ないとなると、個人の単位・小さな村の単位・庄屋が纏める地域の単位・国家領主の単位とそれぞれの立場で「自分の土地を守る」戦いの準備をしたのです。

このとき、もちろん戦の号令は国家の領主が命令し、家臣の領地とそこにいるそれぞれの自作農がそれぞれ参加します。小さな村の農民なら具足だけそろえて足軽として、庄屋クラスなら馬数頭と家人数名など供出する人員や物資が決まっていたわけです。また命令指揮系統はあらかじめ地域ごとに決まっていましたから、それに従って出陣し戦争をしてくるわけです。

太閤秀吉の時代に刀狩りをしたのは「秀吉が全国を統一して監督するので、今後は自分たちで戦わなくても役所に願い出れば紛争処理する。だから安心して刀を差し出せ」ということで、刀狩=土地の権利化(権利として国などの組織で保護する)ようになったからです。

逆をいえば国民皆兵というのは「国がみんなの生活を守るから、税金と兵役をやってね」ということなのです。ですから、7世紀の口分田の頃は租庸調でむしろ今の法律にちかく、税金と徴兵があり「武士のような私兵」は個人が用心棒として雇うことはあっても、国家としては徴兵制で行なわれていたわけです。

国民と徴兵に関しては、古代から例があります。たとえば共和制の頃のローマはローマ市民=徴兵=選挙権でした。国の政策として戦争を行なうときに、その決定する人(男性のみ)と戦争に参加する人は同じだったのです。これも土地そのものは私有であったものの、税や登記システムなどによって、個人の土地や財産が守られるから兵役に参加できたわけです。兵隊として死亡しても、相続人がちゃんと相続できるから、国民皆兵が成り立ったと言えます。

逆に王様が支配している国では「土地はすべて王様のもの」です。農民はそこを借りて収穫し、一部を税金=借り賃として国に納めるわけです。このような国の場合、農民は兵として徴用されることはあまりなく、王が自前で傭兵を集めました。軍人としてお金で参加する人々がたくさんいたからです。日本では「傭兵」という感覚があまりないのは「戦争に行くのは自分の土地を守るため」という意識が通念としてあるからで、逆にフランスなどは傭兵部隊をいまでももっていますし、逆に国民皆兵制をしくスイスは兵役のあと職業軍人となって、傭兵になる人もたくさんいます(彼らはフランスの傭兵部隊などに雇われていますが、スイスが危機になれば帰ってきて国民兵になります)

兵隊になって死ぬかもしれない、死ななくても怪我で元の生活に戻れなくなるかもしれない、というのは誰しも嫌なものです。昔だってそうです。ですから鉄砲があっても「死ぬかもしれない兵隊になる理由」が必要であると言えます。そういう点では、戦国時代はまだ兵農が未分化でしたから、村々から足軽を出すこともあり、太閤時代や江戸時代よりは国民皆兵に近い状態であったといえます。

逆に四民平等と国民皆兵は、資本主義と民主主義が影響しています。民主主義を成り立たせるためには、封建的な農本主義では無理があり(そのためローマも共和制から皇帝制に移行した)自由資本と自由経済が必要になります。自由資本と自由経済が成り立つためには「国家が資本=財産を保護し、自由にそれを投下できる環境を整える」必要があり、それを利用する市民も階級差別があると自由経済が成り立たないために、平等が強く求められるようになったのです。その代わり、国家同士の戦争には「自分の国のシステムを守ること=自分の財産を守ること」になりますので「徴兵制が認められる」ということになったのです。

つまり、兵隊をどのように集めるかというのは国家制度特に「財産の保障」に大きく関わっており、財産を自分で守るしかない時代(国家が守る仕組みを持っていない時代や国)ではどれだけ兵器が進んでいても国民皆兵になることはない、のです。
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国を良くするのは、生産物を揃えられるかに有ります。

戦い奪う習性では、ヘル朝鮮と呼ばれる地獄が出来てしまうのです。ファビョルだけで何も進展し無い地獄は、作りたく無いですね。
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鉄砲戦では、勝て無いのです。

最後は、兵糧攻めに勝てるところが存在し無い現実ですね。戦いの本質は、兵糧を奪う事なのです。この本質で、戦いは、成立しているのです。2001年宇宙の旅に出て来る猿が骨を持って水飲み場を奪うシーンから同じなのです。
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鉄砲の威力に勘違いがあるようです。


パチンコ玉を大きくしたようなものですから、今の鉄砲とは全然違います。
有力な武器ではあったが、勝敗は鉄砲だけでは決まらなかった。
また、農業経済の時代でしたから、労働者は農業に縛りつけておく必要があった。
幕末奇兵隊がお説の軍隊でしたが、前半の活躍こそ知れ渡っていますが、
最後はみじめ、明治政府にたたきつぶされています。
明治になっても、軍隊の要は士族(旧武士階級でした)
農業の生産性が上がって、余剰農民が都会に出て、軍人になりだすのはもっとあとです。
国民皆兵の皆兵部分は兵士の最下層を一般人が担う、ということですので、質問者の理解はずれています。
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歴史にifはないけれど面白い提案。


武装集団を配下におき兵農分離(職業軍人の誕生)したのは織田信長。兵農分離は革命的な発明だった。これで農閑期に行われた合戦が年中戦が行われようになった。結果、農民と侍の身分格差が出てきた。暴力を持った連中は平等より収奪を図ります。平等には向かわなかったですね。動物本能ですね。なお、さらに進んで皆兵制にしたとしても経済力が弱く軍隊を維持できなかっただろうと思います。歴史的にはスパルタという皆兵制の国家がありましたが、経済的には強盗でした。

国民皆兵はアイデンティティを一にした国民国家という意識がない時代にはありえない。戦国時代は国家間の戦いではない。織田信長対武田信玄という個人勢力間の対決という構図。徳川時代(大名という武装勢力が各地を支配)にも国家、国民という意識は存在せず明治政府は欧米列強に抗するため富国強兵国民国家を推進し徴兵制を敷いた。
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以上のような考えによって、四民平等・国民皆兵制度に


なっても良さそうな気がするんですが
    ↑
いや、鋭いですね。
自分で考えたんですか?

民主制が始まったのは、一般国民を戦争にかり出して
からだ、といわれています。
戦争に参加させるんだから、俺たちも国政に参加させろ
という考えが強くなり、これが民主制誕生に繋がった
といわれています。
これを「重歩兵民主制」といいます。

人権云々は後から加えた説明に過ぎません。

それまでは国家は、王侯貴族だけのモノでした。
一般庶民には国民なんて意識はありません。
それを民主制にしたため、庶民が国民意識を持つ
ようになり、国家の力を総動員することが
できるようになります。

だから民主制は強いのです。
だから、西洋が世界を席巻できたのです。
アジアで最初に成功したのが日本でした。
中国などは、大正時代になっても、庶民の間の
国民意識などほとんど有りませんでした。

日露戦争では、世界は日本の敗北を予想していましたが、
ルーズベルトは、日本の勝利を予言していました。
「ロシアは独裁だが、日本は民主制だ。だから
 日本が勝つ」


なぜ鉄砲がたくさんあっても、武士階級を廃して国民皆兵制に
移行しなかったのでしょうか?
   ↑
以下、私見ですが。
1,身分制が当然とされていて、
 そもそもそういう発想が浮かばなかった。
2,国民皆兵にしてしまえば、庶民の
 発言力が強くなります。
 そうなれば、特権階級としての武士の既得権益が
 侵されます。
 それを恐れた、ということもあったかもしれません。


では、西欧ではどうして民主制が実現したのか。
日本との違いは何か。

これについては、ルターの宗教改革を上げる学者が
多いです。
キリスト教と対立する存在として国家がクローズアップ
され、庶民の間に国民意識の萌芽が生じた、とする
説です。
こういう下地があって、国民を戦争に引っ張り出した。
それで民主制(共和制)が発展した。
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火薬なければ鉄の筒。

日本は硝石が産出しないので慢性火薬不足。硝酸集めに厠の土を回収していたくらいですから。
で、鉄砲の所有量がヨーロッパを超えていた時代、一説によると世界の50%は日本で製造されたそうです。その数、関ヶ原の戦いに投入された火縄銃は5万丁。
世界に10万丁の銃がある中の5万丁ですが、関ヶ原の合戦は東西両軍で20万人。ぜんぜん銃も弾丸も行き渡りません。

そもそも刀狩りや廃刀令を何度も行うくらい、為政者は蜂起を恐れて平民の武装を恐れます。現在だって銃刀法がこんなに厳しい。弾丸がなければ銃を所持してたってなにもできないのに、銃口を埋めないと所持できない。
武士階級は、公務員であり、武装免許所有者。政府の登録管理下にあるのです。
「じゃあ武士階級要らないよね。わざわざ武士を養わなくても、武力は徴兵した農民でいいじゃん。」とはなりません。
徴兵した訓練を行ったり、武器庫管理する軍隊が必要ですし、国民皆兵制度の武器管理は、平時も自己管理の武士より無駄が多い。銃はサビたら味方陣営で暴発するんだから。
なにより鎌倉時代からずっと為政者が将軍などの武官なのですから、武士階級の廃止は己の立場の失脚。できようはずがありません。

>発泡前に手順が必要ですから誰にでも使いこなせません
>>鉄砲足軽は普段農民をしていて短期間の訓練で使えるようにしたものじゃないですか?
先込め式の火縄銃は装填に時間がかかるので、指揮官が複数人を指揮しないと単発じゃ制圧力が全く無いのです。ライフリングも発明されていないので狙撃銃としての能力もない。極めて強い石礫と変わりません。
そのために三段構えなどの指揮戦術で面制圧が可能になる。多人数戦闘で個人での運用はできません。その指揮官は教官である武士じゃなきゃできないのです。
連発式銃が普及し軍隊の個人装備になるには、アメリカの南北戦争まで待たなければなりません。
で、日本が明治期に国民皆兵制に移行できたのは、幕末の戊辰戦争などに、南北戦争の戦後払い下げのエンフィールド銃と弾薬が教育武官ごと5万丁輸入され、幕軍も倒幕派も正式小銃に採用したから。映画ラストサムライの状態。
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>→「じゃあ武士階級要らないよね。

わざわざ武士を養わなくても、武力は徴兵した農民でいいじゃん。」 以上のような考え

誰が考えるのですか?
徳川幕府(将軍/大老/老中など政治を行う)は武士階級ですからそのような考えは思いもしません。
農民も刀狩りにより武器は持っていません(鉄砲は獣狩りの猟師しか持てない)から反抗するには鍬や鎌でした。
足軽は武士の最下級者で農民ではない。(鉄砲足軽は普段農民をしていて→戦国時代のこと)

>四民平等・国民皆兵制度になっても良さそう

明治の四民平等は、華族/士族/平民/その他など不平等であったし、国民皆兵制度も各地での武士の反乱を抑えて実施されたもの。

足軽:
足軽は武士の最下級の士分(足軽は武家社会の末端を担っていた)
戦国時代の足軽は正式に登録された下級武士であり、雑兵は戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵(農民も含む)
江戸幕府では幕府直属の足軽を末端行政・警察要員等として徒士、同心に採用し身分は武士階級で苗字を名乗ることができた。
武士階級と言っても足軽は、武家奉公人として中間・小者と同列に見られことも多く、足軽は中間と区別されないで、苗字を名乗ることも許されず、百姓や町人と同じ扱いをされた藩もあった。(長州藩では死罪のときは切腹が許されず、磔にされ、武士とは区別されていた)
諸藩では侍・徒士・卒または足軽の3階級に分けていた。(士農工商の階級上では士)
さんぴんざむらい(三一侍):1年間の扶持が3両1分であったことから身分の低い武士を卑しんでいう語。三一奴(さんぴんやっこ)→一応武士
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>戦国時代には日本は既に鉄砲の所有量がヨーロッパを超えていたそうです



越えてません

>そして鉄砲の特徴は、誰でも簡単に敵を倒せるようになることです。

発泡前に手順が必要ですから誰にでも使いこなせません
この回答への補足あり
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