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私は高校三年生なのですが近頃タイトルにある通り「なぜこの世は不条理なことばかりなのか」という疑問が頭から離れません。
そんなことを考え始めても私の頭では結論が出るはずもなくずっとこの疑問が頭の中でグルグルしています。
個人的な意見でも構いませんので「なぜこの世は不条理なのか」 どうか教えてください。

A 回答 (18件中1~10件)

世の中には不条理は沢山あって、私も以前はずっと考えていました。


不条理に囚われていた時期がありました。

今分かっているのは、不条理は不条理だと思う人が不満を抱えている。
その不満は、考える人が勝手に持つ不満であるのでエゴです。
誰でも認めたくは無いところですけどね。

たとえば、ライオンが捕食できないで飢えるのはかわいそうだと
餌を与え続けると獲物を捕らなくなり、与える側の都合で
餌が与えられなくなれば、ライオンは飢え死にします。
餌を安易に与えられたので、自分で生きる力を奪われた。

人に対しても、これと同じことをやったことがありました。
飢餓に苦しんでいるからと、先進国の人間が一方的に支援を与えました。
すると彼らは働くなりました。

並ぶだけで苦労せず、今までより良い食料が手に入ります。
支援の配給を止めらたら、強い不満が出ました。

物が簡単に手に入り、ただ与えられる環境は
おそらくどんな動物でも生きる力を奪われ、不満ばかり高まる。
与えられると言う依存環境が、生き物の持つ力を貶めて行く。

直接の関わりを持たない、部外者としての漠然とした不条理は
庇護者の目線、つまり上から見ている。
恵まれまれた環境に置かれていると、人はそう言う目線に自然となります。

一方的に不条理だと思うのは、自身のエゴです。
不満を募らせても、自身のエゴを高めているに過ぎない。
正当性があるような自己欺瞞に人は簡単に陥ります。


たとえば、自然災害で被災者が出ました。
多くは、被災者に不条理を感じますよね。
その時、そう言うことができるだけ起きないようにと、建築・土木を学び
地震に強い建築物を作るなら、それを求める人が居て手を貸すことができます。

それが助け合いであり、集団の良さでしょう。
自分だけではどうにもできないと、求める人に差し伸べられる手を持つか。
そこに在るものは、助け合う協力であり共存でありますよね。


自分が今、どれだけ恵まれているかに目を向けるなら
恵まれた環境だからこそ、力を蓄える手段はいくらでもあることに気づく。
不満ばかりに目を向けるなら、豊かであるが故にさらに不満は高まります。

日本は恵まれ過ぎていることに、危機感を感じます。
生きる力を持たない人が増えすぎてる気がしてなりません。

恵まれていることを活用するか、流されてエゴを高めるか。
そう言うことを日々重ねて行くことで、結果的に社会には
できる人できない人と言われる二極に別れていきます。

高校生と言うことで、仕事は今からでしょう。
こう言う自分の中で浮かんできた疑問の答えを自分で出せて
進んで行けることが大切だと思います。

与えられるのでは無く、ご自分で見つけられるように精進です。
それが、人間は生きる限り修行かなと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
そうなんです!!
私も全く同じようなことを考えて答えが出なくてこの質問を書き込みました。
今後自分でこういうことが考えられるような人になれるように日々努力していきたいと思いました!
本当にありがとうございました!!

お礼日時:2016/02/12 14:09

殊勝な方ですね。



おまけです。

レフ・トルストイ(原久一郎訳)『光あるうち光の中を歩め』(新潮文庫)

しかしお若い方、そんな場所はありやしません、なぜと言って、あんたを不安に駆り立てるものは、キリキヤにもローマにもあるのじゃなくて、あんた自身の内部に存しているのだからね。浮世はなれた静謐な山村のひとり居でも、同じ情熱はあんたを悩まし苦しめるにちがいない。それどころか、百倍も猛烈に苦しめるだろう。キリスト教徒の欺瞞や錯誤(わしはあの連中をくさしたくないから、言葉は改めたってかまやせぬが)どこにそれがあるかというと、ほかでもない、彼らが人間の本性を、認めようとしない点にあるのです。あの連中の教えの完全な実行者となりえるのは、情熱の泉のすっかり枯渇した老人のみだ。(40ページ)


枯渇した老人になる前に、本性を認め続けていくならば
若いうちにいろいろ見つけられるでしょう。
80・90になってからでは、厳しいですよね。

文学は自己を掘り下げて書かれるので、昔の文学者は
よくよく理解している所も多いのでしょう。
今の文学者が書かないような、率直な所も多いように感じます。

古典文学を愛読書にしていた人達は、多くを文学から学んだのでしょう。

自分を丸ごと認めて、あるがままの自分を受け止めるのは
自分の存在の絶対的肯定であり、自分への愛です。

いつか、そんな深くまで気がつけたらと願っています。
人生を楽しんで、味わっていかれることを(^ ^)
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この回答へのお礼

何度もありがとうございますm(__)m
これから頑張って行きたいと思います!

お礼日時:2016/02/15 22:13

補足です。



エゴは誰でも持っています。
エゴを持つと悪いことだと、日本人の多くは考えるようです。
エゴは生まれた時から在るもので、常に誰でもただ持っているものです。

常識に囚われると、悪のレッテルを貼りますが
生きる上で必要だから持っているだけです。

そのエゴを嫌うと、人間は前面にエゴが出てしまいます。
自分の表、つまり言動に出てしまうのです。
自己都合での、言動が振る舞いに出ます。

その時、相手の都合は思慮に入りませんから
先進国が全面支援したことのような、甘やかしをやってしまい
その場所で生き抜く力を奪ってしまいます。

自分の持つエゴをエゴと認め続けた時、それを確実に
自分のものとした時に、相手の都合も含めて
問題解決に向かい真摯に考えられるようになります。

もともと持っているものを、思い込みで自分の一部を
嫌ってしまうと、そこがあからさまに外に向けて出ます。

人はそう言う恥ずかしい思いをして、気づくようになっているのでしょう。
私も多くの自分に気がついて、一つ一つ解決していってます。
おそらく、もっと多くを気づいていくでしょう。
その度にまた解決が待っています。

そう言う自分を発見できるからこそ、また人を許せるのだと思います。

思い込みや常識から抜け出すことが、先に必要かもしれません。
自分を理解していくことが、多くの問題を解決できるようになります。

囚われていること、つまり頭に浮かび続けることは
自分の抱えている問題から発していると感じます。

他者の問題まで深くは解りませんが、誰しも何がしか持ってると思います。
結局は本人しか分からない所ですよね。
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この回答へのお礼

補足までしていただきありがとうございます。
とても納得できて「なるほど」と思いました。
自分が今考えているこの疑問について「自分で納得できる答えをみつけていきたいな」と思いました。
本当にわかりやすかったし、今後頑張ろうという励みになりました!ありがとうございます!!!

お礼日時:2016/02/12 14:15

簡単に言えば「修行」する為です、人間というのは「罪人」ですから、修行するしかありません、その為、この世は不条理なのです。

また、本当の所、この世は地獄。

しかし、あれです、この世を生きるのに最も大事な事は「素直」になる事です、神を信じ素直な心境で生きて下さい。それが根本的に最も大事な事です
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この回答へのお礼

なるほど......
そう考えるとこの世が不条理だということにも納得できますね...
今後素直になっていきたいと思います!
回答ありがとうございました

お礼日時:2016/02/12 13:59

現実は条理です、真理に貫かれています。

ではその現実に我々はなぜ不条理を感じるのか?

日本にも法治国家としての人権があります。人権思想というものもあります。

人権があるのが「人間の」条理です。しかし現実には人権は守られない事が多い

人間はこの場合 人間の法の、精神の、常識の条理が 現実には守られてないと感じます。

これが不条理と言うものです。 人間として生まれれば 愛ある命を与えられるのが条理

と言いながら赤ん坊をトイレに産み捨てて死なしてしまう人がいます。

人間ならお年寄りに親切に心温かく接するのが条理 と思いきや オレオレ詐欺 偽電話詐欺で

何千万と騙し取る人間がいるのが現実であり それは我々にとっては不条理ということです。
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この回答へのお礼

なるほど...たしかにそうですね
不条理な世の中を作り出しているのは人間なのかもしれないですね
とてもわかりやすかったです!
回答ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/12 13:55

この質問を読んで、"不条理"という語の意味をwikiで調べました。

次のような説明がありました。"哲学的意味における不条理は、世界に意味を見いだそうとする人間の努力は最終的に失敗せざるをえないということを主張する。そのような意味は少なくとも人間にとっては存在しないからである。この意味での不条理は、論理的に不可能というよりも人間にとって不可能ということである。" 
ようは、人間は全能な存在でもなく、誰を調べても全知全能ではなく、世界に意味を見出したり、論理的に究明したり、証明する能力を持っているヒトはいないということのようです。
そうであれば、「この世は不条理なことばかり」は「この世のことで完全にわかる知能をもつヒトは存在しない」ということを、自分本位の立場で表現しただけのことでしょう。 この試験問題はわからないことばかり=この試験問題を理解し解答する能力を持ってない というのと同じでしょう。
wikiには、「わかる能力がないにもかかわらず、世界の意味を探そうとする」ようなことが書かれているようです。100mを11秒で走れる走力がなくて、12秒後半でも、何とか10秒台で走ろうと努力するというのは、私には理解できる人間の行動です。出来ないこと、無理としか思えないことに、何とかチャレンジするのは、研究者でも、事業家でも、アイドルの追っかけでも、パチンコで勝って家族を養い新規に家を購入しようと努力するヒトでも、しばしば見られる行動です。学生でも、サラリーマンでも、芸能人やスポーツマンでも、とても出来なそうなこと、「お前にゃ無理」と言われそうなことを懸命にやろうとしていることが多いでしょう。
この世が不条理なのではなくて、この世を理解し、体系だって世界を説明するのは、ヒトにとっても、何人もが協力しあっても、無茶だ、それだけの能力はないってだけのことでしょう。 それでも、それには目をつぶって、何とか理解したい、理解出来たいという欲望だけは持っていたりするので、この世は不条理だ!?と歎いたりするんじゃないでしょうか。 地道な努力をするヒトは、わからなくても、わかろうとする努力を継続して、その努力を続けている自分自身に満足し自信を持てるので、この世は不条理だなどと嘆くようなことはしないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます
そうですね!これから自分に自信が持てるように努力していきたいと思います!
ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/12 13:53

№3の《ウソ》説に賛成します。



これを ひとりの存在としてではなく もうひとりの存在とのカカハリにおいて
捉えるなら 《イツハリ》となります。

これは 自分の意志や心にさからい あるいは相手の意志や心を踏みにじるとい
うおこないです。心と意志のはたらきをないがしろにするという行為です。

これが 不条理のみなもとです。



まぁ 考えてみればさらには 《まこと》を全面に推し出し どこか都合のよい
ところで 1%のウソとイツハリを持ち出してくる。こういうアザムキもあるよ
うです。

悪魔も 光の天使をよそおうのだそうです。


でも 不条理も もつれた糸玉がほぐれていくように 溶けて行くとよいですね。
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この回答へのお礼

色々な説があるようですが、この説はわかりやすいなぁと感じました
詳しく書いていただきありがとうございます
そして最後の言葉が本当に嬉しかったです暖かい気持ちになりました
回答ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/09 19:35

世の中が複雑すぎて


人間の対応能力を越えてしまうから。
みたいな気がします。
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この回答へのお礼

確かにそうですね!
世の中で複雑なことが多いせいだと思うと「確かにそうだなぁ」と思いました。
短い文章でまとめていただきとてもわかりやすかったです!
回答ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/09 19:29

条理ねえ~、社会の常識敵な理(ことわり)、社会的ル-ル、?学校では何と教えらけました。


かくあるべしの形而上学的な定義、からも離れた心の定義みたいな、臭いがする言葉ですね。?
言葉自体に知恵がなければ、貴方の頭でなくとも、答えは出ないでしょう。答えを決めると。
カントが、「幸せとは、周囲が自分に都合よく回転している状態を言う」と定義したために。
幸せになるためには、周りを自分に都合よく回転させること、社会を弱肉強食と捉え。強者になること
支配権を獲得すること。のナチズムを誕生させた。のと同じような事になります。
まだこれから、高校、大学と、弁証法とマルクス主義の知恵を排除した、西洋思想を学ぶ訳ですから。わざわざ、落ちこぼれになるような。考え方を教える訳にもいきませんが、
弱肉強食は。勝ち生き残るのは常に弱者です。生命はミラミッド構成になっており。
弱い=数が多いもの。が減少すると、それを食する、強者は容易に絶滅するのです。カタクチイワシの群れが強者たちに食い荒らされる映像を見ましたが。群れを維持出来ない程に減少すると。
イワシはサメの腹に取り憑きます。するとカツオ、マグロなどは手が出せず。サメも自分の腹には口が届かないことになり、イワシは生き残り。生き残ったものが卵を産めば、十分にイワシの群れは復活する。狩るものより、逃げる側の動植物の方に、驚く程の、知恵、が見られる。とは、生物、微生物学者などが、口を揃える意見とも聞きます。
弱者=強者 であり。条理=不条理 なのです。貴方の頭の中でグルグルしている、のは、発情期、故の彼女や、友達という名の敵、ライバルたちの行為、だと思いますよ。
性犯罪の増加故に、男女共学は止めるべきでは、との声が、アメリカでも上がっている。との話しも聞きます。
昔、シャカ族の王子が、国も妻子も捨て、哲学実践の放浪の旅に旅だったのは、29歳の年だったそうです。青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり。なんて、流行歌、がありました。が
悟り(不条理のない、理法=考え方 の体得)は無理です。今出来る知識の獲得に専念するのが、貴方の為でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
やっぱりこのような疑問は理解するのが難しいですね
でも弱者=強者というお話がとても印象に残りました
このお話はすごく納得というか、「なるほど!」っていう気持ちになりました
ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/09 19:25

物事を完全に確定的に把握すれば、不確定性原理によって


無限不確定に発散します。
つまり目の前の世界が有限な存在に充ちているのは、あなた
の不完全な認識ゆえなのです。

その「不完全」さを得るために、世界は138億年の時による
進化=階層現象化(超弦(量子定常波)<クォーク<素粒子<
原子<分子<細胞<個体(認識))が必要だったのです。
人は不条理な肉体として目覚め、その物理の認識の深まりに
よって、宇宙(不完全な自我仮説と不条理な時空仮説の相補
分化)としての自覚に至るのです。
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この回答へのお礼

私がこのような疑問を抱いてること自体私の認識が原因ということでしょうか?
少し難しい文章ではっきりと理解するのは難しかったのですが、最初の文を読んで今後自分の視野を広げたいと思いました
回答ありがとうございました!

お礼日時:2016/02/09 19:17

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