ご存知、共和党候補首位のトランプ氏に対するフランシスコ法王の発言です。
「橋を築くことでなく、壁を造ろうと、それだけを考えている人は、それがどこであろうと、キリスト教徒ではありません」
http://www.bbc.com/japanese/35610162
着目すべきは、「それだけを考えている人」という表現。
「それだけ」でなければ、壁を造ろうとすることが止むを得ない場合もある、と言っていることになるでしょう。
ローマ法王の例を出すまでもなく、チャンドラーも「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」とフィリップ・マーロウに言わせているところ。
私的な表現をさせていただくなら、我々は、 [ 自我としてのこの我 ] であると同時に [ 人類としての我 ] でもある、ということになります。
トランプ氏が極悪人とは思えませんし、フランシスコ法王が全能というわけでもない。
要するに、これら両者の兼ね合いが、極めて難しいのだと思います。
そこで今回の質問です。
[ 自我としてのこの我 ] と [ 人類としての我 ]の兼ね合いを、我々はどのように付けていくと良いでしょうか。
その具体的・実践的方法について、みなさんの思うところをお聞かせください。
No.4
- 回答日時:
私はむしろ逆で、自我がある限り他者との軋轢はされられないだろうと思うので自我の終焉に一票。
自我こそが心の壁(ATフィールド)なのだから。
だから実践としてはまさしく哲学だろうと思います。
たくさんの教派に分かれたキリスト教内部にある壁は見て見ぬふりか法王よ。
って感じでしたねこのニュースは。
ご回答ありがとうございます。
なるほど。
[自我としてのこの我]の終焉によるしか解決はない、ということですね。
ただ、おっしゃるように、
>自我こそが心の壁(ATフィールド)
:
です。
細胞膜のようなものですかね。
これが無くなれば細胞は存在し得ないでしょう。
>だから実践としてはまさしく哲学だろう
:
というご指摘なのだと思いますが、終焉させない状態での折り合いの付け方、つまり、納得できる形というものがありそうな気がするんですけどね。
>たくさんの教派に分かれたキリスト教内部にある壁は見て見ぬふりか法王よ。
って感じでしたねこのニュースは。
:
まあ、メキシコじゃなければ、ああした発言は無かったようにも思いますね。
売り言葉に買い言葉の片棒を担がされたのかもしれません。
たしかに、キリスト教も仏教も数多の宗派・会派が乱立しているようです。
互いにいがみあっている現況には目をつぶっておいて、あれは無いだろう、というご感想ですね。
No.3
- 回答日時:
おこないについての善悪や社会的身分としての聖俗やあるいは思想ないし
主義主張における真偽などなどといったように 対立するふたつの事項に
わけて ものごとを見たりさらには捌いたりかつ裁いたりするということ
は あまりかんばしいことではない。
・・・というご趣旨で議論をすすめておられたところ ご質問としては
意外とその逆に戻ってしまっているのではないか。
こう感じているのですが そこのところ ご本人はどう思っておられまし
ょうか?
つまり:
★ [ 自我としてのこの我 ] と [ 人類としての我 ]
☆ というふたつの項目は あい対立する概念ではないのでしょうか?
つまり 回答としては 二項対立からものごとを捉える世界の見方につ
いて――もしそうだとしたら―― 疑問を持ちます。というものです。
つまり すでに初めに:
★ [ 自我としてのこの我 ] と [ 人類としての我 ]
☆ という二項対立を前提とした上で それら
★ の兼ね合いを つける
☆ という方法論を嫌います。となります。
ご回答ありがとうございます。
>二項対立からものごとを捉える世界の見方につ
いて――もしそうだとしたら―― 疑問を持ちます。
:
例に挙げたのは二人の人物ですが、実際問題としては、それらが同一人の中に存在しているという事実があるわけですから、疑問を持つ持たないの話ではないでしょう。
そういうものと捉えた上で、さて、そこでどうするのか、という思考過程に特に問題があるとは思えませんがね。
>
★ の兼ね合いを つける
☆ という方法論を嫌います。
:
とおっしゃいますが、我々は常に選択することによってしか生きていけないわけですから、好き嫌いの問題ではないと思います。
つまり、常に何らかの兼ね合い無しには、我々は一歩も前進できない。
二項対立ではないのだ、というご回答でも良いわけですから、
★ [ 自我としてのこの我 ] と [ 人類としての我 ]
☆ という二項対立を前提とした上で
のように拘る必要はないでしょう。
建設的にお願いします。
No.1
- 回答日時:
ここ教えてグーに参加するようになってからは[自我としてのこの我]をここで成長させようという方法をとっています。
[人類としての我]を[社会人としての我]と置き換えて、社会の底辺で生きるしかない能力の私は、自身の面倒を見るだけで精一杯。
せめて人様に迷惑をかけないため、長く“現役”でいようと健康に気を使っています。
“現役”。
これが私の[人類としての我]か、と思うとなんか情けないです。
質問の内容のレベルをこの回答は落としてしまってますね。
申し訳ありません。
ハイレベルな回答もあるはずで、それを私は期待しています。
ご回答ありがとうございます。
>[自我としてのこの我]をここで成長させようと
:
これはこれで真理なので必須のことですよね。
バランスの問題だと思っています。
[自我としてのこの我]だけでは幸せが得られないということもまた確かなことでしょうから。
>私は、自身の面倒を見るだけで精一杯。
:
私も同類項です。
>“現役”。
これが私の[人類としての我]か、と思うとなんか情けないです。
:
経験からいくと、こうした方のほうが[人類としての我]を体言している確率が極めて高い。
[人類としての我]の難しさを知っているからこそ、こうした物言いになるのは明らかでしょうから。
>質問の内容のレベル
:
などというものは存在しません。
誰であろうと、言いたいことを言いたいという欲求に駆られての質問であり回答であるにすぎないのですから。
さらには、言うこととやってることが連動するわけではありませんのでね。
得てして逆の場合のほうが多いのです。
紙背を読み取って判断するしかありません。
[自我としてのこの我]に対する執着が強ければこその質問であると捉えていただくと丁度良い加減でしょう。
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>《広い視野》は善で有徳であるが 《狭い視野》は独善的で人間的に卑しいとでも すでに
初めに価値判断をおこない その倫理観でこそモノゴトや世界やわれ自身を捉え見ている。
:
どちらが良い悪いという性質のものではない。
《広い視野》
・善で有徳であるが 、[ 自我としてのこの我 ] の利に適ってはいない。
《狭い視野》
・独善的ではあるが、[ 自我としてのこの我 ] の利に適っている。
こういった矛盾をすでに最初から内包しているからこそ葛藤が生じるわけ。
◎すでに初めに価値判断を◎
行なっているわけではない。
因みに、[ 自我としてのこの我 ]に対する
◎人間的に卑しい◎
のような評価は、自らの衣食住をすべて他者に施すだけの振る舞いができる人だけが口にすることを許されるものでしょうね。
>水飲み場までの距離が残っていた
:
場所も知らないのに、こういうことを言ってはいけません。