誕生日にもらった意外なもの

安全保障条約(新安保:60年の方)は、何が問題で、「安保闘争」にまで発展したのでしょうか?

・集団的自衛権→憲法9条
・旧安保よりはましになったものの、まだ片務的だった(??)。
・アメリカよりも、親ソ連の道をとるべきだ?
・岸首相の、強行採決という、そのやり方?

当時、もっとも問題視されていたことは何だったのでしょうか?
以上4点は見当はずれなことも書いてあるかもしれません。抜け漏れがあるかもしれません。
できれば、重要度順に教えていただきたいです。

また、簡単に調べられるものでもないでしょうが、国民のどれほどが、「安保反対」だったのでしょうか? 意識調査のようなものがあれば、あわせて知りたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

当時は東西冷戦の最盛期でした。



それで、米国側につくか、ソ連側につくか
中立ではいけないのか、で
国論が二分三分したのです。

安保を締結する、ということは、明確に米国に
つくことであり、ソ連や中国を敵視する、という
ことになります。

それで、ソ連派や中立派が文句を言って、騒ぎだし
安保闘争にまで拡大したのです。


・集団的自衛権→憲法9条
  ↑
一部、指摘されていました。
米国の戦争に巻き込まれてしまうだろう、という
ことです。


・旧安保よりはましになったものの、まだ片務的だった(??)。
   ↑
片務は片務でしたが、日本に有利な片務が多かったです。
つまり、米国は日本を社会主義に対する防波堤として
利用すべく、各種経済援助をすることになり、安保も
その一環だったのです。
そこに自民党政府が目をつけたのです。


・アメリカよりも、親ソ連の道をとるべきだ?
  ↑
こういう主張も結構多かったですね。
当時は社会主義がダメなんてことはまだ判らなかった
時代ですから。
多くの知識人達は、北朝鮮を楽園と称し、
ソ連や中国は理想的な国家と称賛していました。


・岸首相の、強行採決という、そのやり方?
   ↑
これも一部ありました。


国民のどれほどが、「安保反対」だったのでしょうか?
    ↑
ちょっと覚えていません。
反対したのは左派が中心で、一般国民は概ね
賛成だったように記憶しています。
中立派が最多だったかも知れませんが。

読売新聞が明確に賛成していたのを記憶しています。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすいご説明をありがとうございました。

当時の日本の状況を・・・体験されていらっしゃったのですね。

疑問が解決しました。

どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2016/05/12 16:03

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