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1. 父イザナキは 子のアマテラスにタカ〔ア〕マノハラをおさめよと宣べた。
タカマノハラ(高天原)は おそらく空の上のどこかの場であろうから この統
治の委任は まさしく神話の世界での話であると捉えられる。それにとどまる。

2. ところが タカマノハラを主宰するアマテラスは ふつうの地上の国であ
るトヨアシハラ(豊葦原)を その孫であるホノニニギに治めなさいと宣べ伝え
た。この統治委任は 無効である。または 独り善がりであって 部分的にしか
有効ではない。

3. トヨアシハラミヅホの国にはすでにスサノヲの系譜でもあるオホクニヌシ
が住んでいる。無主地ではない。先占の法理にかなわない。

4. いや だから よこせと言ったら オホクニヌシらが《くにゆづり》をし
てくれたのだと言うのなら そのホノニニギの統治権は ゆづられたものである。
アマテラスの統治せよという司令によって 有効となったのではない。民主的な
話し合いによる。アシハラの人びとの善意によるものだ。いまもその恩恵の上に
ある。

5. けれどもしかし それは このアシハラの土地の中でも オホクニヌシら
とは別の先住民であるアイヌの人びとのことが まだ問題である。けっきょく 
ゆづられていないので 征服した。ただそこはもともとおれたちの土地だと言っ
てだだをこねつづけた分からず屋の単なる帝国主義である。民主主義に悖った。
無効である。

6. あの島々は 昔むかし大昔に天命によってわれわれの天子がおさめること
を任された土地だ。きさまらが何を言うか。返せ。出て行け。だまって言うこと
を聞け。うんぬんと言ってごり押しするのは 有効か? 人間わざか?

7. 王権神授説は 有効ではない。検証し得ない。ただの精神錯乱である。ロ
ーマ教会も 右に同じくだ。



 
☆ 行き届かず到らぬところを よろしくご教授ください。

A 回答 (4件)

なにやら、難しい討論をされておられるようでそこら辺はよく判りませんが、別の視点から。



お書きになられている神話の内容は古事記にしるされた内容と思いますが、神話にはたくさんの異伝があります。日本書紀はその異伝を書き連ねていますが、各地の風土記などもそうです。そういった中で、ウエツフミ(上つ書)という古文献があります。この書は、学会では偽書とされています。偽書などだめということでしたら、ここまでですが、神代文字で書かれているため、古代日本には漢字伝来前に文字は無かったというのがその理由です。
さて、その上つ書の特徴は、古事記と同じエピソードをほとんど持って、さらにそれ以上のエピソードを持ち、また、古事記とほぼ同じ登場「人物」を持ちながら、エピソードごと古事記と概ね逆のエンディングになっています。古事記というのは読まれていらっしゃると思いますが、夫婦、兄弟姉妹、相争い、まともに読んだら決して、右の方々が持ち上げるような立派で誇れるような神話とは思えません。あなたたち、本気で古事記を読んだ事があるのと聞きたいくらいです。まあ、その後の皇室の相争う歴史を見れば、然も有何なのかもしれませんが。
これに対して上つ書はまったく異なります。概ねハッピーエンドです。まったくパラレルワールドのように話が展開し、終わりが異なるのに、何故か次のエピソードでは、同じ登場人物、場面設定で話が続いて行きます。でも、実際読み比べると上つ書のほうが圧倒的にボリュームが大きく、古事記は上つ書のダイジェストであり、かつ改竄されたものと思えてなりません。と言うのは、古事記にはよく読むといろいろな話の矛盾点、無理が見つかるからです。
それで、ご指摘の2の部分に至る所が大事で、古事記では、スサノオは高天原で狼藉を行い追放され、一人地上に降り立ち、国を開拓しその子孫が大国主と言う事で、2の話に、いきなり繋がります。ストーリー展開として、大変唐突、アマテラスの身勝手、思い付きという感は否めません。
上つ書では、スサノオは追放されるとき、アマテラスに挨拶に伺います。このとき、アマテラスはスサノオが改心していることを見定めて、スサノオを許すと共に、スサノオにアマテラスから改めて地上の統治を委任されます。(ここで地上の分掌ですが、古事記では三貴神誕生の折、誰にも分担されていません。上つ書ではスサノオに対して最初から分掌されていたので、「改めて」としました。ただ、アマテラスは最高神としてこうした権限を揮えるのは当然と思いますし、スサノオも甘んじてそれを受け入れています。)こう言う経緯から、スサノオの子孫たちは、地上の統治はアマテラスから委任されていることを承知しています。さらに、念の入ったことに国譲りのきっかけは、スサノオのアマテラスへの進言によります。つまり、地上はだいぶ収まってきたから、そろそろ、アマテラスにお返しします、と言う事で、決してアマテラスの気紛れで始まった話ではありません。従って、多少の行違い、誤解によるトラブルもありましたが、概ね問題なく大変協力的に行われています。

こういう話もあるということで、ご参考にしていただければと思います。

ご興味あれば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A8%98

次のサイトは、大変詳しいのですが、上つ書を偽書としている立場です。
http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumi/

http://uetuhumi.web.fc2.com/
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この回答へのお礼

ひるろみさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

残念ながら採り入れない立ち場です。

8. トヨアシハラの中つ国が:
★ 上つ書ではスサノオに対して最初から分掌されていた
☆ これは イザナキからでしょうか? いづれにしまして
もこのアシハラに人は住んでいたのか? が問題になると思
います。

8-1. もしスサノヲへの分掌司令がアマテラスによって
実効性のあるものになったとしても アシハラに先住民がい
たら その時点でアウトです。

8-2. あとで スサノヲがひとりやって来て平和裏にそ
こを治めるようになった。そこでスサノヲは アシハラの国
の人間になったとしても アマテラスからの委任は何の効力
もない。

8-3. やがてスサノヲがアマテラスに直接の統治を進言
する。そのときも アシハラは タカマノハラとは別の国で
す。

8-4. だからこそクニユヅリと成るのでしょう。つまり
《返還》ではないわけです。どこから見ても:
★ アマテラスの気紛れで始まった話
☆ です。

8-5. どうしてもアマテラスの《みことのり》が絶対で
あると言うのでしたら オホクニヌシらは タカマノハラ人
であったのを寝返ったということです。アシハラの居心地が
すばらしかったのだと思います。

9. ウエツフミなどの古文献が 信用ならないのは その
神代文字がニセモノだと考えられるからです。
アイウエオという普通の五十音表に基づいている。ダメです。
サンスリットの文字表に従ったものですから おそらくブデ
ィズムの伝来とともに伝えられたと考えられるからです。
時期が 万葉仮名よりあとだという意味です。

どうでしょう。

お礼日時:2016/05/14 19:06

右にも左にも、ご自分が知りたいことしか知りたがらない方はおられます。


おそらく質問者様は、無窮の知識をお持ちと思いますので、
そうでしたら、私が述べられることは何もないでしょう。
どうか衆愚に質問などされることなどなく、ご自分の信念だけを頼りにこれからも生きていってください。
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この回答へのお礼

そういう問題でしょうか?

知識があるか無いかの問題でしょうか?

いやしくも哲学カテです。

情報交換なり思考や推論の過程について 互いにまなぶもの
が大いにあるというものです。

というよりも あなたの知見は片寄っていませんか?

簡単に言えば 欧米寄り。

お考えに 発展性がない。のでは?

▲ スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」
☆ レジュメを読みましたが 何とも要素還元志向と言います
か。これこれの要素に分けて捉えるのだという解剖学のような
そしてその専門の心理学のような世界への切り込みですね。

味気なくないですか?


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/05/13 16:36

スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」という本をご存じでしょうか。


実は現代は、人類史上もっとも平和な時代だという話です。(異論は出てるようですが)
昔は、対立する民族やグループの中での殲滅戦は当たり前でした。
一見すると現代に近づくほど死者が増えるような感覚を抱いてしまいますが、実際は逆で、
昔はそのようなことが問題にされてなかっただけなのです。
古代社会では、敵民族は人間と思われていませんでした。
ドラクエの世界です。
てるるるるる-。敵が現れた。これです。
モンスターというのは、みんな違う民族の人間のことです。
奴隷制が廃止されたのはつい最近のことです。
人種を越えた普遍的人権、という概念も最近になってから生み出されました。
男女の平等も以前はありませんでした。女性は財産だと思われてました。
原子力はどうでしょう。ちょっと前は疑問にも思われてなかったのではないでしょうか?
自然保護は? 少し前は環境を守れ、と言われても何のことか分かりませんでした。
なぜ木を切ってはいけなのだ? 誰も住んでいなければゴミを捨ててもいいではないか。
戦前の日本人に、戦争がとても危険だという話が理解できたでしょうか?(異論はあるかもしれませんが)
久しく勝った経験しかなかったわけですから。
都市が爆撃されたこともない人たちに、戦争の悲惨さが理解できるでしょうか?
ニュースで悲惨な映像を見てない人たちに理解できるでしょうか?
昔は、人間の成長にとっていくらかの戦争がむしろ必要だ、とさえ思われていました。
つい100年前の話です。
法律の重要性を説いたのは、ローマ人の時代になってから。
科学の重要性を説いたのはギリシャ人の時代になってから。(西洋の話ですが)
公平性が重要なものだと理解できるようになったのは、世界帝国が出現してからです。
初期の世界帝国は、圧政に次ぐ圧政を繰り返し、短期間で崩壊しました。
支配したのだから後は奪えばいいだろう、という素朴な発想です。
次の帝国は、前の例から学び、敗者に寛大に振る舞うことで帝国の長期化に成功しました。
そっちの方が長続きするのです。
こうして公平性の概念が生まれました。
宗教も、かつては対立するグループを殲滅するのが当たり前でした。いつ果てるともなく殺し合っていました。
それが改宗させるようになり、最後には信教の自由が認められました。

いま現在の価値観や道徳律は、みんな失敗した過去の経験から積み重ねられてきたものばかりなのです。
私たちが当たり前のように思っていることは、実は当たり前ではないのです。
先祖が積み重ねてきたことの土台に私たちは立っているのです。

それを原点に戻して、白紙の状態で同じことができる、と思うのはあまりにも傲慢に思えます。

クニユズリは政治的な妥協点だと思われます。このような言い方をすることで、勝者と敗者をひとつの国民として統合する方便だと思われます。
同じことは現代社会でも行われてます。

たとえば日本はアメリカとの戦争に負けて、アメリカから民主主義を輸出されました。
これを現代の感覚で、洗脳である、と言ってしまうのは簡単です。
勝者の価値観を敗者に押しつけただけだ、と言ってしまうのは簡単です。
しかし、当時代の日本人とアメリカ人の間に平和と和解の感情をもたらすのに、他に適当な策があったかどうかは分かりません。
つい昨日まで殺し合っていた、完全に相手が生きる価値のない人間以外の存在だとおもって殺し合ってた人々なのです。
そういう嘘をつくことで秩序がもたらされるのなら、それはそれで文明の知恵というものではないでしょうか。
分かる人には分かってたとは思いますが。
もし洗脳がいけなかったのなら、今でも殺し合っていればよかったのでしょうか?
日本の場合、昭和天皇がそれを率先して受け入れたので、他の日本人も習いました。
アメリカ人も、これで日本人を憎む必要がなくなりました。魔法は解けたのです。

アメリカ人内部でも同じ例はあるでしょう。
今のアメリカ人で、100年前と同じ価値観の人がどれだけいるでしょう。例証は省きますが。

確かに人間の生物としての共通の感性はあるでしょう。
では私たち個人の話はどうでしょう。
小学生のとき、他人に暴力をふるったことはありませんか?
ずるをしたことはありませんか?
嘘をついたことはありませんか?
さぼったことはありませんか?
そういう過ちをしてきて、それを反省したから、いまそれをしないのではないでしょうか?
なのに、子供に向かって「今すぐ大人のように考えられなければ、お前は人間のくずだ」と主張するでしょうか?
そう言われても、子供はおそらく訳がわかりません。混乱するだけでしょう。
そして大人の暴力におびえ、大人の見ているまえでだけルールを守ろうとするでしょう。

人間が成長するには過程が必要なのです。

道徳とは決まり文句ではありません。その都度、その都度、考えなければならないものです。
決まり文句は道徳にはなり得ないのです。
自分の身をもって経験し、自分の頭で考えたことでなければ、それは道徳とは言えないものです。

善は合理性にもとづいています。人間の社会を維持するために、それが合理的だから新しい価値観が受け入れられる。
必要とされる。
例えば我々は動物を殺しまくっていますが、今日なおその残虐性が問われることはありません。
対応不可能だからです。

私はそのように考えます。
過去の人々に、現代の価値観をもって断罪するような視点を抱くのは、
インディアンを見て「こいつらは野蛮人だから文明化してやろう」と考える人の発想と同じです。
要するに自分の視点しか尊重してないのです。
例え平和主義者であっても、その根底には差別思想があります。
異質なものは、自分と同じように考えないものは、劣っていて当たり前、という前提があるのです。
自分たちがもっとも優れていて、それ以外のものは劣っている。
その中心原理にとらわれています。
人類の歴史はその繰り返しですから、見ればすぐに見当がつきます。

そうではないでしょうか?
つらつらと自分の意見をのべてしまい、ご迷惑でしたらお詫びいたします。
乱文雑文、失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 実は現代は、人類史上もっとも平和な時代だという話です。
☆ 《異論》が出るどころの話ではないと思います。

縄文から弥生へと時代が変わりつつあるとき 死者の墓におけ
る副葬品に格差が現われ始めている。稲と鉄(農耕など)が輸
入されて来ている頃です。

ドングリを穴を掘って貯蔵するといったように余剰を持つよう
になった・その他その他の事由によって格差が出て来たのであ
ろうと考えられます。

そしてその頃に 矢が刺さった髑髏も出て来る。いくさがあっ
たと考えられます。

つまり それ以前には 戦いがあったかどうか。分かりません。
いわゆるブッシュマンの間では 近年まで必ずしも戦争は起き
ていないとも言われます。

弥生人の間では 環濠集落が発展して来ており これは 敵の
襲来を防ぐためのものと見られ 戦争が起きて来ています。

★ 人権・奴隷制・男女の平等
☆ 仲間やそれを超えた人間の世界について 自然をも交えて
ひとは《もののあはれを知る》ということがあります。また
共通感覚(センスス・コムニス)ということも言われます。そ
の意味では 感覚やイメージのようなものとして 漠然と現代
の《人間観》を持ち得たのではないか? とは考えます。

日本人の負け戦としては 白村江の戦いが大きいでしょうね。
近江への遷都があったくらいですから。

★ クニユズリは政治的な妥協点だと思われます。
☆ それは 帝国主義者の側の論理です。共に生きよという思
想を持った人びともいたのでは?

★ アメリカから民主主義を輸出されました。
☆ 人権や権利と義務といった論理を別として 人と人との言
わば《情感の共同性》としての縁起共生は もともと根づいて
さえいました。

強ければ戦わなくとも ともかくの平和な関係でいることがで
きます。弱いから 主戦論があります。なら 人殺しをせずに
済む非戦論で行こうとしたのが クニユヅリをしたイヅモです。

★ 過去の人々に、現代の価値観をもって断罪するような視点
を抱く
☆ のではありません。《天皇》あるいは《靖国神社》は 今
現在の問題です。

《独り善がりの〈あの島を奪え〉なる神勅》が現実として尾を
引いている。と言っています。

そこへもし現代の価値観を当てはめるならイヅモへ大政奉還し
なさいとなります。

お礼日時:2016/05/13 16:10

そりゃそうだ。

神話なんだから。
古代社会には今みたいな共通の価値観なんて無い。だから戦いの連続だし自分たちを正当化しなければ社会を維持できない。
もともとの社会の前提はそんなものだ。
それが戦いのコストが大きくなりすぎたから、価値観のすりあわせをおこない、それでようやく今みたいな価値基準ができた。

神話に今の価値観を当てはめるのは、3歳児にジョブズ名言集とかを読ませるようなものだ。
ああいうのは一周回らないと意味が分からない。
何かの価値基準が生まれたり理解されるのは、それに先立つ段階とか経験というものが必要なんだ。

・・・と思いました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ そりゃそうだ。神話なんだから。
☆ そうでしょうか?

★ 古代社会には今みたいな共通の価値観なんて無い。
☆ 人間であることにまつわるもろもろの出来事などなど
について《もののあはれを知る》のは――共通感覚(セン
スス・コムニス)としても―― 共通の思いであったろう
と考えます。

《価値観》は そこからやがて――ただしその土地やそこ
に住む人びとそれぞれにおいて――形作られて行ったでし
ょう。

まだ共通の価値観ないし世界観は持たれていなかったとし
ても:
★ だから戦いの連続だし自分たちを正当化しなければ社
会を維持できない。
☆ という一面を人間とその社会形成についての全面的な
話として欲しくない。

なぜなら 《あたかも神のごとく如何なる者の下にも立つ
まいと誓った人間が おのれのしたい放題のことを仲間と
ともにおこなって行く》というとき・
つまりは よその人たちの上に自分たちの支配のチカラを
敷こうというとき:

それに対して主戦論で応じるのではなく どちらも人間の
弱さから来るのであれば 人殺しをしない非戦論で行くと
考えた人びともいた。
のですから:
★ 戦いの連続
☆ だと断定するのは 早すぎる。《くにゆづり》をした
人間たちがいるのですから。

★ それが戦いのコストが大きくなりすぎたから、価値観
のすりあわせをおこない、それでようやく今みたいな価値
基準ができた。
☆ という世界観を初めから持っていた人間もいた。ので
はないでしょうか?

なぜなら このクニユヅリは その後の歴史をつうじて今
の時代にまで 連綿としてつづいている。のではないか?
と考えるのですが どうでしょう?

お礼日時:2016/05/13 13:31

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