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放送されたのはだいぶ前だと思いますが、NHKのBSテレビ番組「クールジャパン」で、日本人は定年退職した後にも、働きたいと云う人が結構いて、その理由に生きがいになる、するのが当然、社会と繋がっていたい、などがありボランティア活動をする人もいると、紹介してました。

さらにシニア向けの職業訓練校に通う人や、ホテルマンや接客の為の授業を受ける人、公園や駅前の汚れた銅像を洗って回るボランティアの姿を映像で伝えてました。

これを見て外国人の一人は爆笑したそうで、さすがの司会者・鴻上尚史さんはムッとしたそうです。
そこで本気になって「何がそんなにおかしいの」と、聞いたそうです。

それに対して、社会と付き合う前に自分の家庭と付き合うべきだ、定年後は自分と家族の為に時間を使わなければ、人生を楽しむことが苦手なのでは、と云う意見が次々と返ってきました。

なぜ、家族に求められる人間ではなく、他人に求められる人間に成ろうとするの、とまで問われて司会者は返事に窮したそうです。

★ ヤッパリ日本人は家庭を疎かにする国民なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 西欧を悲観して見てますが、ボランティア精神は「神」との繋がりに依っていると思えば、他の回答者にあるように、社会とのかかわりを重視している一面のある事を、理解できるのではと思います。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/27 15:12
  • 西洋にあっての労働は【働かされている】という感覚が、根っこにあるのですね。

    対して日本人は自ら進んで働こう、と云う意識があるのかも知れません。
    とても勉強になりました。

    皆様、有り難うございました。

      補足日時:2023/09/28 08:02

A 回答 (9件)

私たちの理想の姿として「晴耕雨読」と言う言葉がありますが、これは労働を労働それ自体に価値を認め、一生涯働き質素に生きる姿を現しています。

そして、宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず・・・・」にも通じる所があり、これは日本的精神の特徴であり、日本的仏教感が大きく影響していると思われます。
鈴木正三の「四民日用」によれば日々の仕事=修行と位置付け、正三は「あなた達の行う仕事は仏教の修行としての意味をもち、それを一心不乱に行っていれば成仏ができる」と語ります。「農人日用」では「農業則仏行なり」と答え、「商人日用」では「それに従事する者が、仏行として、それを行なっているか否かが問題」とし「世俗の業務は、宗教的修行であり、それを一心不乱に行なえば成仏できる」とします。
つまり、労働する事それ自体に価値が有るわけです。
余談ですが・・・
山本七平氏は日本に於ける「職業は修行である」という、この職業観に対して、近代資本主義的精神を発見します。
外国人がこの精神を理解できない事は、当然かも知れませんが、同時に、近代資本主義を発展させた西洋の禁欲的なプロテスタンティズム精神が、失われてしまった事を意味します。この為、その精神を欠いた今の西欧資本主義は、金融のみ強欲資本主義であり、本当の近代資本主義ではありません。よって、今後の発展は見込めないでしょう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

鈴木正三をwiki見、ちょっと見、しました。
武士から禅僧になったお方ですね。

昔から、日本人は仕事に対して仏道的な気持ちを抱いていたのですね。
変な言い方になりますが、こうした心持の根は深いのでしょう。

たぶん、理屈を通してではなく、精神の感覚(情)が繋がっているのかもしれません。

お礼日時:2023/09/27 15:03

定年後も外に出て働きだかるのは性的ギャップの為に男女同士で友人のような付き合い方が出来ないので男女同士である夫婦の場合それによってお互いが一日家にいて顔を突き合わせるようにするとは用事以外で話すことがなくて気まずくなるのがお互いストレスになるのでそれが嫌だからです。

それと職場で同性の仲間がいるからです
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この回答へのお礼

一理あり、と云う事で。

お礼日時:2023/09/27 09:30

『自分と家族の為に時間を使う』という人なんて、日本にもいくらでも居るでしょう。


ウチでダラダラ暮す人なんて山ほどいますよ。

私はプロファイルに記した通りの在米の隠居爺です。
なので私の場合はアメリカですが、当地にも『自分と家族の為に時間を使う』以外にボランティアをしたりする人はたくさん居ますよ。

それが全て『家庭を疎かにする』というわけじゃないと私は思います。

ボランティアの最たるもんは、HOA(住宅地の自治会)の役員とか市のカウンシルなんかじゃないですかね。
日本だと皆嫌がってなる人が居ないと聞くHOAですが、当地では立候補者は結構いて、選挙になったりもしています。

私はしていませんが、私の仲間の何人かは、リタイアした大学教授で、彼らはコンサルタントで今も仕事をしています。

私も時々ですが、身につけた専門知識やウデ・ワザを利用して、州の博物館の展示品の整備や、新たに入ってきたレストア品の修復や整備のボランティアをしています。

これ、思いっ切り楽しいです。
これが『人生を楽しむ』でなくて何だと言うのでしょう。
子どもたちや孫を連れて行くこともあり、彼らと楽しい時間を過ごせるので立派に『家庭を大事にしている』と言えると思います。

それを『家庭を疎かにする』なんて言われたんじゃ心外です。
それこそ『何を言ってるんだその外国人たちは』と私は言いたいですね。
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この回答へのお礼

成程、です。

私が参考にした記事は、10年前に出版された本を取り上げてのものなので、テレビ放送されたのはもっと前と云う事になります。

だから、時の経過による社会の変化により、そのころと今とでは現象と云う点に於いて、多少の違いが起きているのかもしれません。

ただ、国民の“性向”としては、どちらも変わりないのではと思っています。

お礼日時:2023/09/27 09:29

日本人は精神的に進んでいて自分たちの為よりはみんなの為になることを尊ぶのだ。

そしてそれは正しいことだ。まだ野蛮人の地位にいる白人どもが何といっても気にすることはない。個人主義は私欲の世界であり個人主義でいる限りは奴らは幸せな社会は築けないだろう。
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この回答へのお礼

見せかけでも良いから、もう少し日本人らしく、余裕ある控えめな姿勢を見せてほしいです。

お礼日時:2023/09/26 21:58

>ヤッパリ日本人は家庭を疎かにする国民なのでしょうか?



いいえ、違います。「家族」という意味が欧米人と異なるのと「労働」という概念が欧米人(というか世界全般と)違うのです。

まず「労働」の概念ですが、日本以外の国には「奴隷」という制度がありました。「奴隷」というのは労働の概念からいえば「労働の対価が自分に支払われない制度」です。

つまり、自分がいくら労働をして利益を出しても、その利益は全部主人の利益になる、という制度を言います。

奴隷制度は世界のほとんどの国にあったので、世界中の人々が「労働=対価が発生するもの」と考えます。対価の発生しない労働は「奴隷」であり「搾取」という認識なのです。
 だから欧米人を始めどこの国に行っても、日本のように愛想がよいサービスはしてくれないし、サービス残業なんかもしません。

ちなみに日本の学校で行われる児童・生徒による掃除も「子供を対価なく労働させる」という認識で反対を受けることが多いのです。対価がない労働は「搾取」だからです。

ところが日本だけは「労働は美徳」という考え方を持ちます。「働き甲斐」などの言葉もあるように、日本では「労働することは自分のためになる」と考える傾向が強いのです。

これはなぜか?
というと「墾田永年私財法」ができたことに始まるといえます。

墾田永年私財法は「自分で開墾した田畑はずっと自分(と自分の子孫)のもの」という法律で、これは現代でも日本の法律の根幹にあるのです。

なので、実際中世の日本は、他国のように「王族や貴族が土地を所有し、小作人や農奴から年貢を取った」という形をとらず、幕府や藩はあくまでも《徴税権をもってるだけ、土地は百姓自身の持ち物》だったわけです。

つまり日本では「働いたらその分全部が自分の財産になる」というのが《労働の概念》の基本にあるのです。

だから、サービス残業も《自分のため》と誤魔化す上司がでてきますし、働いている本人も《これだけ努力すれば、結果的にいいことがある》と思い込めるわけです。

もし「対価の無い労働は搾取」という概念なら、サービス残業=搾取ですから誰もやらないわけです。サービス残業を搾取だと認識していない日本人は多いわけです。

このような「労働の美徳」という概念が強い日本ではという、定年後も「働きたい」という意欲が強い、ということになるのです。

そういう意味では外国人が言う「他人に求められる人間に成ろう」というというのはちょっと違っていて「他人から求められる自分は、優れた人間でありそれこそ労働の対価だ」と考えている日本人が多い、ということです。

>社会と付き合う前に自分の家庭と付き合うべきだ、定年後は自分と家族の為に時間を使わなければ、人生を楽しむことが苦手なのでは、と云う意見が次々と返ってきました。

外国で「奴隷」があったのは、結局「異民族に支配される歴史」があるからです。異民族が支配し、土地や財産を押さえてしまうと、自分達に残されたのは「搾取」だけになるからです。

そのような「搾取される生活」で最も大切なのは「家族」であり《自分達の民族がいつか独立して、自分の子孫が楽しく自由に暮らせること》になります。

だから欧米に限らず、ほとんどの国では「子孫を残し、次の世代につなげる」ことを念頭に、家族と共に過ごす時間を大切にするのです。それこそが(場合によってはそれだけが)自分の人生の目的になるからです。

しかし日本は先ほど書いたように「自分が頑張って労働する」ならそれだけ資産が増えます。異民族が攻めてきて、自分の土地や財産が奪われるということは、少なくとも戦国時代以降は皆無になったわけです。

だから日本人にとって「労働し財産を作ること」はそのまま「家族が幸せに暮らせること」につながっているのです。

だからこそ、昭和のお父さんは家庭を顧みずにモーレツに働いたし、今でもサービス残業をする人たちが後を絶たないのです。

これを「家制度」の名残り、という言い方をするのは簡単で「家制度は捨てるべき」という意見も理解はしますが、根本的に世界の各国とは違う、日本的な「労働という概念」を意識すべきだと思います。
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この回答へのお礼

成程!
優しく、丁寧に、そしてコンパクトに教えていただきました。

ただ、私には付け加えたいことが有ります。

〖向こう三軒両隣〗という言葉が有りますが、これは“お互い様”の精神の表れで、この“おかげさまで”の心と“他者を思いやる心“が勤労につながり、定年後も働きたいと云う気持ちになるのではないか、とも思うのです。

お礼日時:2023/09/26 21:54

ああ、実は最近一番多い「シニア社員になって段階的にリタイアしていく」パターンを外国人は知らないんですね。


(1)フルタイムの勤務から急に無職になっても、暇を持て余す。
(2)少なくとも体力のあるうちは、現役時代に引き続き趣味に金を使いたい。

というあたりの事情があるかと。
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この回答へのお礼

そうした日本人に“特有さ”を感じるらしいのです。

なぜ、家族との絆を深めようと思わないのかと。

お礼日時:2023/09/26 20:55

>それで木造さんは、定年後も働くことで社会とのつながりを持っていたい、と云う日本人の性向を笑う外国人に対して、さもありなんと思ったのですか?



私は雇用の延長(60歳から65歳までの5年間)を2年で辞退して、自由市民の身分を獲得しましたよ。
長年西洋哲学をやっていると発想が西洋人に近くなるのかもしれない。

長年西洋哲学を学んできた結果として、私は社会のつながりよりも自由に重きを置く考えになりました。自由であり、健康であれば、あとはあまり要らない。

とくに人間関係などには全然固執しない。去る者は去る。それでかまわん。
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この回答へのお礼

有り難うございます。

木造さんに、このような回答を頂いて、とてもうれしいです。

お礼日時:2023/09/26 20:17

司会者・鴻上尚史様が世界を知らなすぎるというエピソードですねwww.



日本人は労働を「契約による拘束」ととらえる側面がすくなく、社会のために自主的にやって、その結果、多少の報酬をえていると考える向きが多いのですよ。
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この回答へのお礼

それで木造さんは、定年後も働くことで社会とのつながりを持っていたい、と云う日本人の性向を笑う外国人に対して、さもありなんと思ったのですか?

お礼日時:2023/09/26 19:38

私は嫌ですわあ!年寄りらしく、のんびりしたいです。

無理無理、若い人と同じ土俵など。
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この回答へのお礼

もちろんそうした人もいますね。

ただ、どうして働きたいと思う人が多いのか?の意見が聞きたいです。

お礼日時:2023/09/26 17:26

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