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私は映画のジャンルとしては、アクション物とか戦争映画が好きです。特に、邦画より、洋画が好きです。特に、アメリカ物が迫力があって好きです。
私の子供の頃は、コンバットという戦争ドラマを、毎週水曜日の8時だったでしょうか、待っていたようにして、親子でシーンとして見ていた記憶があります。
そこで、アメリカの戦争映画を見ていて感じることなんですが、
1.下の兵隊が、上司に、気に障ったことを言われたときは、噛みつく(反論する)。まあ、結果的には、上司に従うのだが。これ、日本の軍隊であれば、絶対服従で、はい、はい、でしょう。
2.戦闘中でも、休憩中(おかしな表現ですが)、タバコ吸ったり、ガム食ったり、缶詰(こんなマズイもの食えるかと言いながらも)食ったりしている。これって、各兵士に支給されているってことでしょう。
3.戦闘に戻ってきた時の、キャンプで、個人または、数人で、ウィスキーや、ワインなどを、ボトルごと飲んでいる。これって戦場でも、これらの物資が補給されており、割と自由に酒が飲める状況であるということじゃない。
以上、一人の監督の作品であれば、どうかなと思いますが、いろんな監督の作品で、こういったシーンが見られます。監督である以上、戦争当時の状況がどういったものかは調べているはずです。ということは、そういった状況であったということですよね。いいか悪いかは、全く論外として、というか、けっこう、豊かなな状況下で、アメリカ兵は戦争していたのだなあと感じます(悲惨さは同じですけど)。
今の日本であれば、なんでもないことのように感じますが、当時(太平洋戦争)の日本兵はといえばアメリカ兵と較べ、差があり過ぎるでしょう。
こんなことも、戦争映画見ながら、つい思ってしまうんですけど、実際はどうっだったのか詳しい方のレスが聞きたいです。

あと1点、最近の戦争映画は、CGを駆使しているので、戦闘シーンが超リアルですよね。だから、自分が戦争に行けと言われたら、とてもじゃないけど、戦争は嫌だと思えてきます。(これは、余計な発言ですが。)

質問者からの補足コメント

  • 「ワインなどを」は「ビールなどを」です。

      補足日時:2016/05/31 21:56

A 回答 (5件)

日本の軍隊の困窮具合も、太平洋戦争終盤と、それ以前では全然違ったかと思います。



ただ、豊かさの話で象徴的に覚えている話をすると
自分が高校時代の日本史の先生の話で
戦後、アメリカの戦闘機の背もたれに2センチ以上の鉄板が入っていたという話を聞いて
勝てるわけがないと思った、という話です
日本はそのころ、材料不足や、少しでも軽くして機動力を増すための作りをしていたり
特攻隊なんかをやっていたわけで。
戦闘員の命を守ろうとしていたアメリカとはかなりの差があった、と。
燃料不足で、小学生たちを使って海辺の松の木から松脂を集めてみたり
かなり厳しかったようです

もう一つのエピソードは、数年前のニュースですね。
アメリカの映画を入手した日本軍のそれを分析する立場の人たちは
あまりの豊かさに「これは日本を失意に落とすために作った嘘だ」と判断した、っていう証言ですね
ちょっと今見つかりませんでしたが、そういうものを読んだ記憶があります。

ただ日本も国民のレベルからしたら、軍人さんは待遇がいいほうだったと思いますよ。
米もせっせと送っていましたし。
昔、日本と英米文化を比較した評論で、そういう話もありましたね
煮炊きで煙が上がる、水が必要という戦場や行軍に向かない米を
「戦場の兵隊さんにおいしいものを」とせっせと送っていた日本と
そういう時には缶詰やビスケットで済ませる欧米、みたいな比較の文章でしたね。
ほかの方も言うように、カレーも陸軍食から家庭にひろまったものですし
肉じゃがも、海軍の船上でビーフシチューに似たものを作ろうとしてできたレシピです。

ちなみに質問者さんが気にしておられるような嗜好品の支給については
「加給品」と呼ばれて、支給されていました。
が戦争が進み、物資に事欠くようになってからは支給は無理だったでしょうね。
軍内では酒保という呼び名で、嗜好品や日用品を取り扱うところがありました。
そこで購入できたのです。

仕事中にガムなどを噛むというのは、日本にはない文化だったと思います
野球などでも少なくとも一昔前は嫌がる人もいたのですよね
集中力が増すとか、リラックス効果で力を出せるみたいな話が入って来てから
国内でも急速に広まりましたが。
少なくとも国内で数十年前に歩き食べ、なんかもあまり歓迎されない倫理観でしたから。
文化的な背景があると思います。

過酷な戦場になる前のサイパンなんかだと
のんびり酒を飲んで上官と将棋を打ったり、南国のフルーツを楽しんだりした
なんて話も聞きますし

元もとの国力や資源の差、国際的に孤立したことでさらに資源が入らなくなったこと
その状況で戦争を続けて困窮していったこと…。補給路も苦しくなったこと
無い袖は振れぬ、状態だったのでは。
アメリカとやりあってるころっていう頃は既に苦しい時期でしたよね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。No.3の投稿者さんの奨めで見ました
「NHKスペシャル 太平洋戦争」にその辺の事情が詳しくありました。

お礼日時:2016/06/01 11:08

映画の世界は、しょせん映画の世界。


娯楽的要素をふんだんに盛り込まないと、誰も見てくれないはずです。

だって、娯楽として映画を楽しむのが、映画本来の意味じゃないでしょうか。

それをリアルに表現したら、それは映画ではなくドキュメントとなるのでは。
また、実際の戦争を映像として出したとして、果たしてどれだけの人たちが見たがるでしょうか。
実際の戦争は、みんなが見たがるほど、綺麗なものじゃないし、娯楽として当然楽しめるはずもありません。

と、いうのが私の感想です。
したがって、実話とされる映画であっても、真実は半分程度。
残りの半分は、映画としての要素である娯楽が盛り込まれる。
だから、その半分と実話半分を見たくて、見る人は楽しむんではないでしょうか。

なので、アメリカ兵の映画の中での行動やせりふの多くは、娯楽的要素として戦争というシーンを楽しませるために作られた作り話してきな要素が大きいといえると思います。
ただ、すべてが嘘とは言い切れません。
なぜ、そのようなシーンやセリフが生まれたかというと、実際に、そんな感じの似たようなシーンがあるからだと推測できます。
まあ、私は戦争など体験したこともないし、軍に所属したこともありませんから、憶測でしか語られませんが、発想や思い付きで、映画内のあのシーンは生まれてこないと思います。
また、実際の戦争を基にしてシーンが作られたともいえると思います。

ただ、何度も言いますが、映画の世界での話。
そして、映画とは娯楽的要素の多い楽しむもの。

その意味がなかったら、見る人は見ないし、面白くないものをあえて見る人もいないかなと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ドキュメンタリーではないので、
大げさな脚色もあるでしょうね。

お礼日時:2016/06/01 11:01

こんにちは、私もテレビでコンバットをリアルで見ていた世代です。


アメリカ軍の補給に関しては、親や祖父母から終戦直後の話を聞いた限りではそのように豊かだったようです。
日本軍についても初戦は結構豊かな状況だったようですが(規律に関しては別のようですが・・)、国内の資源に限りがあったことと、一気に戦線を拡大しすぎて補給が追いつかなくなったのは確かだと思います。
個人的な意見になってしまいますが、やはり国力に差がありすぎたのではないでしょうかね。
以前に放映された「NHKスペシャル 太平洋戦争」が結構参考になると思いますよ。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/mov …
ご参考程度まで
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ご紹介の「NHKスペシャル 太平洋戦争」見ました。相手国(米国)の国力を甘く見て開戦を決断したことも、敗因の一つだったんですね。

お礼日時:2016/06/01 11:16

日本の戦場の話は、戦争末期の補給が途絶え、本土爆撃を受け始めた昭和19年末から翌20年の終戦のエピソードであって、


戦争初期のイケイケドンドンの時期は、ちゃんと飯食えてましたよ。
地方出身者の軍隊への誘い文句は、「白米腹いっぱい食えるぞ」ですから。実際一食二合、一日六合飯の配給です。田舎の水呑百姓はまだ稗粟の雑穀を粥ですすっていた時代です。
特に陸軍と違って海軍は、現地調達じゃないので、しっかり糧食を積んでいかないと海上で餓え死んでしまうので、海軍の方が飯を食えるというような訛伝されていました。
大和にはボイラー排出の二酸化炭素で作ったラムネソーダ製造機が搭載されています。

軍隊食といえばカレーですが、日本の洋食や肉食は、日露戦争、日清戦争の軍役で食べた軍隊食を地元に持ち帰って普及した経緯があります。
ジンギスカンなんてのが北海道で普及したのは、軍服の防寒着にウールが必要で「緬羊百万頭計画」が持ち上がって、臭い羊肉の匂い消しのレシピを官民共同で開発した料理。
日本初の洋食レシピ本と呼ばれる軍隊調理法(昭和六年刊行)が現代語になおしてネットに公開されています。
http://www.gokoku.gr.jp/cooking/index.html
これを見ると、シチューとかハンバーグとかサラダとか羊羹やココアのレシピまで載っています。
色々作ってみましたが、初めて見聞きする料理なのに、結構食べたことのある味があります。
この本の料理は、大人数用の配給食なので、学校給食や病院食に採用されて戦後に残っていて、家で一切作らないのに、子供の頃に学校で食べたり、入院してた時だけ食べたことのある料理が結構この本に載っています。
豚豆煮は、豚肉と昆布と豆のケチャップ煮なんで、おそらく家で食べたことはないと思うんですが、チリコンカンに昆布を入れて出汁にしているだけなので、昭和の給食なら学校で出てきたことあるんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。日本の家庭料理に軍隊食の影響があるとは知りませんでした。しかも、たくさんありますね。
「再現!大正・昭和の味」というサイト、拝見させてもらいましたよ。作り方も写真付きで大変良かったです。参考にさせてもらいます。貴重な情報ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/01 10:15

見てきた訳ではないので、こうだったとは言えませんが、アメリカ軍と我が国の軍隊(当時)は考え方が根本的に違ったとおもいます。


アメリカ軍は軍人(人間)を大切にしていた。
零戦は非常に優秀な戦闘機だったが、グラマンが圧倒的に劣っていた訳ではない。
乗組員を守るために、重かったのだ。
日本は個人より国!
だから(非国民)の一言で命を投げ出す。
個人の集まりが国という思想がアメリカにはあったのでしょう。
上司に対する認識も違います。
上司は仕事の上での役割の違いとアメリカ人は思ってます。
日本人は仕事を離れても上司は上司ですよね。
そんなこんなで、あんなもんですね。
そりゃ、物語ですから、多少の演出は否めません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。言わんとするところ理解できます。
アメリカ→個を尊重
日本→個より国
でも、国は個の集団で成り立っているんですけどね。

お礼日時:2016/05/31 22:23

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