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人間は強い自我を持ち生まれてきて、自分を中心に環境を認識し
作ってゆくものであると言えると思います。
野生の動物などにとって利他性は死を意味します。
ですから、人間にとって利己的に生きるということは自然なこと
のように思えます。

しかし、エゴのみであれば、人間社会は殺伐とした、永続性のな
いものになるでしょう。利他性(愛)により、豊かで美しいものに
なりうると思います。

人間にとって、利己性と利他性をどのように理解したらいいので
しょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

#7の追記:



文化によっては、対等な関係と言う概念が理解できない文化があるそうです。自分が相手より上か下かという認識以外に人間関係を理解できない。そんな文化では利己的か利他的という対比以外に人間の在り方を理解できないのでしょう。
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この回答へのお礼

日本の文化のことを言っているんでしょ?

お礼日時:2016/06/07 16:59

自分が得か、他人が得かと言う以外に、状況を把握する捉え方ってあると思うんですが、質問者さんは何故そのような捉え方があり得ることに気がつかないんでしょうか。

不思議です。
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この回答へのお礼

私の質問文を見て、何故私が利己的か利他的かという対比でしか
人間関係を理解できないかと思うのか、全く不可解です。

主体と環境の関係性のなかで、その主体が利己性と利他性を使い
分けているのではないかという考えがあり、その理解のための質
問でした。

お礼日時:2016/06/07 17:07

利他性は利己性の為でもある。


情けは人の為ならずですね。
動物の習性でも利他性と呼ばれるような行動はあると思います。
コバンザメが大きい魚にくっつくのも魚が群れをなし群れを崩さないようにするのも、昆虫や植物の世界でも相互補助的な事沢山あると思います。
人間が利他性と呼んでいるとだけで、それも習性の1つなのかもしれない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「情けは人の為ならず」ですか‥
確かに「持ちつ持たれつ」と同様に、環境に適応するための習性というか
知恵だと思います。
しかし、人間ですのでより高い精神性のものがあるような気がします。

お礼日時:2016/06/07 16:43

社会的生命にとっては、自己の生存は社会の順調な営為に


依存し、そこにおいて利己の過程に利他が介在する。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

tanzouさんと同意見ということですね。

お礼日時:2016/06/07 16:28

人間は社会をつくります。



社会が無いと、人間は人間ではいられなく
なります。
社会で育たなかった人間は、二足歩行すら
出来なくなります。

人間と社会は密接不可分なのです。

この社会の存在のため、人間はある程度利他的
にならざるをえません。

利己に徹したのでは社会から排除されてしまう
からです。

つまり、利他も結局は利己の為の利他
なのです。


ちなみにですが、結婚は利他に徹するほど
上手く行くと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「持ちつ持たれつ」ですか?
これも、利他性といえるのでしょうが、私の定義では
狭義の利他性からは排除されます。
だって、これは愛ではないですもの。

お礼日時:2016/06/07 16:26

「利他」と「利己」を対立する概念として分けて考えることは疑問です。


「政治」とは究極の「利他」的機関に他なりません。それは全ての国民の、「健康で文化的な生活」を護る義務がある。
でも実際には「人のため」「社会のため」「あなたのため」という甘言のもとに、どれだけ「排他的」な行為が行われているか?
「利他」の美名に隠れされた「利己」

「あなたの靴を履くことはできてもあなたが立っている場所に立つことはできない」存在である以上、人とは所詮利己的なものであるという身も蓋もない事実から発して、それを苦くかみしめることから何かが始まるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仰る通り、私は「利己」と「利他」は対立といいますか、対極の
概念であると考えます。

また、政治をはじめ国の主要な機関は「利他」の精神を失ってい
ると思います。

人間以外の自然界では、自身の命をもって「利他」の行為を、自
然の摂理によって「強制」させられている、といっていいと思い
ます。
しかし、人間はこれに関しても自由なわけで、選択できるという
こと、また、あまりやりたくないことであること、が興味深いこ
とだと感じます。

お礼日時:2016/06/07 10:11

こうして自分の知りたい欲求を質問することが利己性で、ボランティアで誠意ある回答をすることが利他性です。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かにそうですね。
で、あなたはボランティアなんですか?

お礼日時:2016/06/07 06:42

利他は利己であり、利己は利他になる、この様に考えるのが良いかと思います。



自分を損なう利他は利他にならず、他人を損なう利己も利己にならない。

他人の所為で自分が不幸になるなら恨みも起きるでしょう。自分の所為で他人が不幸になるなら、悔いが残る。その様にならないのが正当な利益ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

基本的な心構えとして、仰る通りだと思います。

しかし、利他は「自己犠牲」がともなうものだと思います。
特に現代は「人情」というものが枯れ始めているので、人にかけた
「情け」が返ってくることが、極めて少ないだろうと思います。
となれば、嫌な気持ちばかり残り、自分のためになるとも思えない
から、そんなことはせず、見返りを期待した偽善的なことばかり考
えるようになっているのが、今の世相だと思うのです。

それでも、利他の行為はすべきなのか?そうであるなら、その理由
は何なのか?
あるいは、見返りが期待できる範囲にすべきなのか?
疑問は広がります。

お礼日時:2016/06/07 06:37

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