幼稚園時代「何組」でしたか?

世界史について少し不安な部分があります。
中国史の変法運動からの動きについてですが自分の認識の仕方があっているか確認をお願いします。

光緒帝らの立憲君主制を目指す変法運動が起こる。
これに対し保守派の西太后が巻き返しを図り、光緒帝幽閉。(戊戌の政変)
義和団事件が起こる。
清朝存続のため、西太后はかつて抑え込んだ立憲君主制の改革を進める。

という流れだと思うのですが、義和団事件の影響で西太后が立憲君主制を進めていくというのは
列強の威力を感じ、自らもそのような体制への改革を必要と感じたから
という理由で合っているでしょうか?

A 回答 (1件)

違うのではないですか?


光緒帝は確かに、日本流の立憲君主制を目指したが、西太后はそれを潰した・・・それはそのとおり。
義和団に西太后は加担して日本を含む欧米列強に敗北した。
講和等で、欧米人と付き合わざるをえず、一次排斥した欧米人を身の回りににおくようになった。
西太后のやったのはそういうこと・・・洋務運動と言ったのではないか。
中国が立憲君主主義をとったことはありません。
康有為等の光緒帝時代の運動が立憲君主制を目指した運動ではあった・・・それ以上ではありません。
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この回答へのお礼

立憲君主制には至らなかった。ということですね!
ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/10 16:18

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