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ロシアの国ぐるみの組織的ドーピング問題のように、,大国であっても社会主義国特有の国家ぐるみの不正という意識から抜けきれないのはいったいなぜなのでしょう?

A 回答 (5件)

翻って足下のことを考えると、日本にも「独裁国家」的な要素は根深く残っているように思います。

残っていると言うよりそれが本質です。どこの国でも利害が逼迫すれば権力を集中して国力を高めようとします。悪弊はあってもロシアや中国などはそうして生き残りを図っているのでしょう。さて、その隣国を相手にして日本もまた生き残りたいのですが、その際、権力を集中するのが手っ取り早いし確実、という意見と、外交によって相手の非を正しながら、なんとか自由を守ろうとする意見とがあるのだと思います。戦後は反省から後者の行き方が支持されて来ましたが、その戦後は終わったという宣言なども出されました。国際情勢は確かに大きく変貌しました。

とかく不安や不満を抱え込みやすい時代ですが、ヒステリックに反応するのだけは避け、真田幸村ではないですが冷静さとしたたかさを堅持するのがよいと思います。戦前戦中の日本のことは棚に上げ、相手国を非難するのも一種のヒステリーのように思われます。独裁はその国の発展の過程で選択された必要な国家体制です。自由が良いからとアメリカなどの支援で独裁国家が倒れていきましたが、その結果がどうなったかよく見るべきです。

独裁的国家はたくさんあります。現状ではドーピングの件は、ロシアだけが注目されていますので、ロシア独特の事情があるものと思いますが、スポーツそのものの持つ閉鎖性や非民主的な性格が関与していることも否定できないと思います。

今回の問題を機にロシアはそれなりに反省するでしょう。我々としてもスポーツとは何か、ひいてはオリンピックのあり方について再考する良い機会となりました。
ドーピングはルールに反したという点で不正なのか、ドーピング(肉体改造)自体が不正なのか、とか。肉体の改造は、アニメやSFなどではよく取り上げられている人類の夢ではないのか、とか。
古代オリンピックとは異なり、現代は、スポーツ施設や用具、シューズやスーツに至るまで素材の開発競争が熾烈で、何の競争なのか分からない、とか。
蛇足ながら、アベンジャーズがオリンピックに出たいと言ったら、IOCはどうするか、とか。

きりがないので結論ですが、今回のことは国家体制と切り離してスポーツあるいはスポーツ界の陥りやすい問題として考えておく方がしたたかで冷静だ、と思われます。
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この回答へのお礼

この問題をそのようにスポーツ界の一般的事象として昇華させるべきものではないと私は考えるのです。なぜならそこには単に記録を出すとか、どこまで可能なのか際限を極めるといったものではない国家の為政者のモクロミが根底にあると見えるからです。そしてそのようなモクロミをとらざるを得ないといった状態に陥りやすい全体主義国家とは何なのかとふと疑問が沸いたのです。

お礼日時:2016/08/03 23:22

日本でだった田舎に行けば田舎のルールが存在します。

人の敷地内を勝手に通ったり、等。そういう気質は中々変わらない~変われない。未だに勲章を沢山ぶら下げて胸を張っている軍人が多い国。質感は変えようがなさそうです。残念ながら。
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社会主義というより、独裁的国家から抜け出せないといったほうが正しいでしょうね。



社会主義というのは、本来からして一部の「指導者」に権限が集中してしまう要素が存在します。

計画生産計画分配、これを実現するには、「一度物資をすべて一つの機関に集め、それを公平に再配分する」という過程が必ず必要なのですが、この「公平」部分が公平にならなければ、一瞬で社会主義ではなく、独裁国家となってしまうんです。

再配分する人が、ちょっとでもその物資に手を付けたらどうなるか。
再配分する人が、一気に富むわけです。

再配分する人が、「いい子にしないと再配分してあげないよ」とみんなを脅せばどうなるか。
再配分する人の権力が一気に巨大化します。
物を回してもらえなくなり、飢え死んでしまうよりは、指導者に悔しいながらも従い生き永らえようとする人がほとんどでしょう。

これをやってしまったのが、ロシアであり中国なんですよ。
ロシアも中国もわいろ社会で有名ですね。

再配分する人、つまり政府に所属する人の権力が余りに強すぎて、だれも文句を言えない状況なのが、ロシアであり、中国なんですよ。


国家ぐるみの不正というより、ごくごく一部の国家を所有する人、余りに強力な権力を持つ人々による腐敗なんですね。


ただし、これをあまりにやり過ぎると、暴動ばかり頻発するようなことになり、国として成り立たず、世界からおいて行かれ、極貧国家になってしまいます。
それを防ぐためにやるのが、「ドーピングしてでも、ソ連の選手を勝たせ、自国の愛国心をあおる」とか「マスメディアを全部政府の管理下にして、批判させない」とか「文句を言う人間は早いうちに処刑して、反乱に芽を摘む」、こういうことを行うようになるわけです。


こういう管理体制ができてしまうと、もはやその国の民衆が、日本やアメリカのようにある程度「豊かに幸せに」生きることができなくなります。
軍隊はどんどん強くなり、民衆には管理体制が出来上がれば出来上がるほど、太刀打ちできなくなり、文句を言えば殺される。
もう、独裁者に従う以外に選択肢がなくなるんですね。


独裁的な管理システムが成熟し、民主化がほぼ不可能なところまで来ているのが、今の社会主義国家なんですよ。
それに比べれば、民主主義は建前でも「基本的人権」「国民主権」を謳い、「メディアの自由な報道」が許されている分、まだまだマシなんですよ。
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アメリカは考慮しないの?

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社会主義国に共通していますが、何が正しいかは


決まっている、と考えます。

自由主義国は、何が正しいか判らない。
だから自由な議論や考え方を認め、議論などを
していこう、と考えます。

何が正しいか判っているなら、自由な議論など
不要です。いや害悪です。
他の意見は間違っているからです。

だから自由を認める必要はありません。
その正しいことを推し進めるだけです。
多数決も必要ありません。
何が正しいか、判っているのですから、多数決など
意味ありません。
全員が反対しても、その正しいことをやらねば
なりません。

だから、社会主義国では、どこも自由がなく
独裁になるのです。

正しいことが決まっていますから、その正しい
ことに邁進すべきで、手段は問いません。
そういう傾向が強くなります。
だから、左派や社会主義国では、ウソがまかり通る
のです。

ロシアや中国で、国家ぐるみの不正がまかり通る
のは、こうした考え方から、まだ、抜け出せていない
からです。
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この回答へのお礼

主義主張に関係なく、人間の本質において正しいことというのは一つで違いは無いように思うのですが・・・

お礼日時:2016/07/23 19:18

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