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昨夜(2016年8月6日)のNHKスペシャルを見て、原爆投下が明確な指示もなく(投下指示書の下書きしか残っていない)、恣意的な報告のもと実行されたということに衝撃を受けました。
もちろんひとつの意見であり全てを鵜呑みするつもりはありませんが、ある程度事実も含んでいるのでしょう。イラク戦争開戦とも共通する点があります。大虐殺がこんな稚拙なやりとりで実行されることへの憤りと共にとても驚いています。

そこで質問なんですが、
このような経緯のもと原爆投下は実行されたということは、今までも検証されていたのでしょうか。歴史に詳しい方の間では共通の認識だったのでしょうか。

<概要>
・原爆計画担当者は莫大な予算をかけて開発した原爆を是が非でも投下してその威力を証明する必要があった。莫大な無駄遣いとの批判を受けたくなかった。
・トルーマン大統領の「女性と子供の犠牲を極力回避したい。投下は軍事拠点に限るべき。」という考えを受けて原爆計画担当者は広島を「一大軍事拠点」と報告した。
・トルーマン大統領はホワイトハウスに帰って広島原爆投下の写真を見て初めて自分の認識と違うことに気づき3発目以降の投下の中止を指示した。(その半日後の長崎投下は回避できなかった)

A 回答 (4件)

ご存じのように、当時この両市はそのように見られても仕方がない状態でした。



そこには全国から旧制中学の生徒たちが動員され、武器製造などに従事させられていましたから。

現在でもその時の手記などが、全国の高校の図書館の片隅に眠っていると思います。

子供らしく汗と油、ノミやシラミの話題が多く、泣けてきますけど。


当時の国内で、規模から言って、こんな所は、ほかには無かったと思いますよ。

だから標的にされたとしか言いようがない。


史料が公開され、精査されなければ、検証はできません。NHKは近年の学会の成果を踏まえて

あの番組を制作したものと思います。検証は徐々に進んでいた、ということです。

ただ誤解を恐れず言えば、歴史は存在しません。目の前の現実と歴史ふうの物語があるだけです。


トルーマンは(ニクソンでもブッシュでも)その時点で可能な限りのベターな判断をしたと思います。

絶対は無いです。そこがつらいところです。美空ひばりも歌っています「人間て哀しいものですね」。


志賀直哉「城之崎にて」のネズミのような、そういう悲しさ、どうしようもないものを抱えて

それでも必死にもがく姿に落涙してしまう。英霊という言葉がありますが、頭を下げるのは

そういう思いからです。

尊い犠牲のおかげで、とか、英雄だったから、とか、ではありません。


人間の判断は、確信に満ちているときでさえ、恣意的な部分を含んでいると思いませんか?

私は、5万円程度の株取引でも、ポチッとするぎりぎり寸前まで、不安に苛まれます。


もしアメリカの浅薄を憤るのなら、日本に対しても同じ目を向けてみて欲しいのです。

戦争を顧みるとき、人間についても顧みて欲しいと思いました。

戦争が無いことを祈っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

最終候補となった 広島、長崎、小倉、新潟
いずれも軍事拠点だったのでしょうか?

お礼日時:2016/08/07 11:01

番組は未見で、これまでの定説とはやや異なる内容なので、


新情報があればやや異なる見解になるかもしれません。


・大統領の決断について

膨大な開発費に対する批判を避ける点はそのとおりです。
一説ではマンハッタン計画に使用された予算は国家予算の20%
これが無駄になっては、選挙に勝てません。

トルーマンはヤルタ会談などでソ連が対日参戦することが決まり、
夫人に対して「これで戦争が終わる」と手紙を出しましたが、
7月21日のトリニティ実験の成功を受け、戦後の影響力でアメリカが
ソ連より優位に立つべく、原爆使用に傾注したとされています。

この時、主な軍人と共和党(トルーマンは民主党)は大反対。
反対理由は、「日本がソ連を通じて終戦工作をしている中で、
大量殺戮兵器を無警告で使用することは無意味である」などでした。
アイゼンハワーやマッカーサーも反対、ニミッツは都市部ではなく
島への示威行為を示唆するなど、ほとんどが反対意見です。
それを押し切って投下命令を出しました。
(正式な承認の記録がないことも以前から指摘されていました)

明らかに民間人を巻き込む戦略兵器と承知していて、
反対意見を容れずに承認したうえ、婦女子への被害については
実際の被害を見ても「全くこころが痛まなかった」というくらいで、
批判をかわすための発言だと考えます。



・投下場所の選定について

軍事拠点というのは後付けです。
(ただし、ポツダム会談後の日記には、婦女子の被害を避け、
 軍事拠点に限定するよう陸軍長官に指示したことになっています)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
投下基準は「大都市」「爆風の効果がある」「爆撃されていない」等で
絞り込まれた候補地は京都、広島、横浜、小倉の4か所。
その後、紆余曲折があって直前に候補となっていたのが、
広島、小倉、新潟、長崎です。
ちなみに、横浜は候補から除外された直後に空襲されています。

広島は、かつては大本営が設置されたこともあり、
第2総軍の司令部が置かれるなど、軍事拠点といえば拠点です。
よく、近くに海軍の一大拠点である呉の存在が指摘されますが、
行ってみればわかりますが、かなり離れています。
長崎は軍事拠点というより、地形的要件で選ばれたと考えます。
余計な事ですが、本来の広島の次の目標は小倉。
当日は視界不良だったので、急きょ目標が変更されました。



資料の検証は現在も行われています。
アメリカの新聞報道で、トルーマンが日本に18個の原爆投下を承認する
証拠が出てきたとか、インタビューで他の2都市(新潟・小倉)
について「破壊される運命にあった」と答えたとされるなど、
いろいろな史料と解釈があります。
歴史は資料の公開などで認識が大きく変わることがありますが、
提示していただいた内容は、ほとんど知られたことです。
おそらく、番組の内容は製作者の解釈と思われますが、
全て否定するものではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
止めるチャンスも意見もあったのに、止められなかった・・・無念です。

お礼日時:2016/08/07 22:47

No.2 です。


だから、小倉・新潟は3番手4番手です。12とは比較になりませんが駐屯地があります。

この2市が北向きなのは、北からの侵攻を恐れたからではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/07 15:13

まぁあり得ない話ではないですね


巨大な機構と膨大な予算があれば、内部で様々な思惑や考え方が産まれて
外的なもの(大統領の指示や考え)よりも、内部(軍、計画関係者)の事情が優先されるのは時代や国が違っても同じ様なものです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時の原爆投下の最高責任者が前任の急死で突然大統領になったトルーマン。「外交に自信がない、戦争がどういう状況か報告がない」と弱気な発言が残っているトルーマン。もはやとめる気概も力もない…。

お礼日時:2016/08/07 09:20

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