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人を勧誘したり、人に何かを推薦するとき、よく「だまされたと思って○○してみな!」などと言います。「だまされてない」と思ったら勧誘にのってみてもいいのですが、「だまされた」とわかっていたら誰が勧誘されるものかと思います。いったい「だまされたと思って○○やってみたら!」というのはどういう言い回しなのでしょうか。

A 回答 (17件中1~10件)

よく考えるとおかしな言葉ですね。



本来は、自分が自分の決断した事に対して後悔しない為の
言葉ではないでしょうか?

例えば、「この料理は旨いか不味いか判らない。でも食べなくてはいけない。
あの人が勧めるのなら、騙されたと思って食べよう!」 ・・・など。

もし不味くても騙されたと思えば、自分で決めた事の
後悔が多少は減りますよね。

勧誘でこの言葉を使うのは、
「もし騙されたら私のせいだと思っていいから!」、という意味を
含んでいると思いますが、
相手に上記のような決断を暗に促しているような気がします。
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この回答へのお礼

「もし騙されたら私のせいだと思っていいから!」なるほどなるほど、「自分の決断した事に対して後悔しない為の
言葉」ということですか。だんだんわかってきました。

お礼日時:2004/08/01 11:45

> 毒リンゴを食べれば死にますが m(^^;  命がかかっているのに「騙されたと思いながらも食べるの」でしょうか?



毒りんごだからとか命が掛かっているとかいうのはこの話題では本質じゃないです……。

> でもどうしてそれが「だまされてあげるんだから」となるのでしょうか?それがわかりません。「ここまで言うのだから信じてみよう」なら話がわかりますが。

「AさんがBさんのいうことを信頼する」ことを「AさんがBさんに騙される」と《表現》しているのです。
「騙す」という言葉は、「自分のいうことを相手に信じ込ませる」という意味です。

12番回答 > 毒りんごだと思っているAさんに「りんごはおいしい」と思い込ませることが(Aさんの視点から見ると)騙し。

「りんごはおいしい」とAさんが思い込んだ時点で、AさんはBさんを信用していることになります。Aさんにとって、Bさんを信用することとBさんに騙されることは同じなのです。

この回答への補足

補足がヘンなりました。「信用する」と「騙される」では意味が逆ではありませんか?「信用している」のになぜ「騙される」と表現するのですか?

補足日時:2004/08/01 16:53
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この回答へのお礼

本当にわからないのです。どうして・・・
「AさんがBさんのいうことを信頼する」=「AさんがBさんに騙される」と《表現》←これがわからない。
「りんごはおいしいとAさんが思い込んだ時点で、AさんはBさんを信用していることになります」
??? 逆ではありませんか? おいしいと思いこんだ時点で「信用した」ことになりませんか?

お礼日時:2004/08/01 16:51

no.9 最後の補足とします。

(質問自体が削除されそうな予感がします。)

>「あなたを騙そうと、まずいものをおいしいと言っているのではないよ」なのにどうして→「あなたを騙していると思ってももらって結構ですから」となるのでしょうか???

私の文章をよく読んで下さい。
「騙されたと思って」はなかなか信用しない相手を説得するための常套句です。相手が信用しそうにないから
「あなたを騙していると思ってもらって結構です→騙されたと思って」となるのです。すぐ信用してくれた相手には使いません。「騙されたと思って」試してみなさい、つまりbelieve me の日本的表現ともいえます。

この回答への補足

(質問自体が削除されそうな予感がします。)
この質問がgooの担当者によって削除されることがあるのでしょうか?それは困ります。疑問をすっきりと晴らしたいのですが・・・

補足日時:2004/08/01 15:13
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この回答へのお礼

「相手が信用しそうにないから」→「あなたを騙していると思ってもらって結構です→騙されたと思って」となるのはおかしくないですか?「相手が信用しそうにない」のなら「信用するように努力」すると思うのですが。もともと信用しそうにない相手に「あなたを騙していると思ってもらって結構です」などと言ったら、もっともっと疑われると思います。

お礼日時:2004/08/01 15:13

ご質問の文を言い換えれば「あなたの価値判断はとりあえず保留にして、わたしを信じて○○してみてくれ」ということになると思います。


下の方へのコメントを引かせて頂きますが、

> 「騙されてない」と思ったから食べようとするのではないのですか?

これは違います。聞き手側は、だまされているかもしれないけど(=結果がいいか悪いかわからないけど)、行動に移すわけですね。ここにあるのは話し手への慮り(あるいは信頼)ですね。結果が悪いかもしれないけれど、この人がここまで言うのなら、というような心の動きがあります。
一方「だまされたと思って」という話し手の根底には「案ずるより産むが易し」「百聞は一見に如かず」という気持ちで言っています。話し手にとっては、結果の良さには確信があるわけです。話し手の善意が存在することが前提になります。そして、その善意を聞き手もわかってくれているという微かな甘えも含まれると思います。

つまり本来は、仲の良い人間関係に限って機能する言い回しではないでしょうか。
まったく知らない人から「だまされたと思って~」と言われたら、まあ場合によりますが、ワタシなら「なんでアンタにだまされてやらなきゃあかんねん」と言いたくなるような気がします。
言いませんけどね。相手の善意がわかるような場合は。
逆にしつこい訪問販売員などがそんな風に言った時は、きっぱりと「だまされたくありません」と言いたい……いや、まだそういう経験はないんですけど。

人間には色々な場で差異がありますから、
「だまされたと思ってこれ食べてみて」と言われて食べたものが美味しいとは限りませんし、
「絶対面白いから、だまされたと思ってこの映画見てみて」と言われた映画が面白いとは限りません。
が、もし結果として不味かったり面白くなかったりしても、最初から「だまされてあげるんだから」と思っていたら腹も(それほど)たたない。という背景もあると思います。

なかなか味のある言い方ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「この人がここまで言うのならうのなら、というような心の動きがあります」これはわかります。でもどうしてそれが「だまされてあげるんだから」となるのでしょうか?それがわかりません。「ここまで言うのだから信じてみよう」なら話がわかりますが。本当に「???」です。
「だまされたと思ってこれ食べてみて」と言われて食べたものが美味しいとは限りません:それは当然のことですし別の問題です。

お礼日時:2004/08/01 15:09

> 「騙されてない」と思ったから食べようとするのではないのですか?



AさんはBさんの強い主張に観念した(屈した)のです。だからこそ騙されたと思いながらも食べるのです。
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この回答へのお礼

毒リンゴを食べれば死にますが m(^^;  命がかかっているのに「騙されたと思いながらも食べるの」でしょうか?

お礼日時:2004/08/01 15:03

毒りんごだと思っているAさんに「りんごはおいしい」と思い込ませることが(Aさんの視点から見ると)騙し。



Aさんにとって、「りんごを食べよう」と思うことは「Bさんに騙される」ことと同値なのです。つまりAさんが「食べよう」と思った時点で、Aさんは「私はBさんに騙された」と考えるわけです。(これはまだAさんがりんごを食べる前の段階です。)

そして、Aさんが実際にりんごを食べた後、Aさんは騙しではなかったと悟るわけです。
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この回答へのお礼

「食べよう」と思った時点で、Aさんは「私はBさんに騙された」と考える・・・「騙されてない」と思ったから食べようとするのではないのですか?

お礼日時:2004/08/01 13:39

AさんはBさんにりんごを食べるよう勧められたが、Aさんはそのりんごは毒りんごではないかと疑っている。

しかし、Bさんが「このりんごはとてもおいしいよ」と言い張るので、Aさんは観念してりんごを食べることにした。りんごはBさんの言うとおりとてもおいしかった。
この考えでは、毒りんごだと思っているAさんに「りんごはおいしい」と思い込ませることが(Aさんの視点から見ると)騙し。Bさんの視点から見れば、別に騙しでも何でもない。そして、Aさんは騙されたと思っただけで、実際に騙されたわけではない。
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この回答へのお礼

「りんごはBさんの言うとおりとてもおいしかった」のに、どうして「Aさんは騙されたと思った」のでしょうか???そこがさっぱりわかりません。

お礼日時:2004/08/01 13:03

なるほどもっともです。


おそらくは「だまされてやろうと思って」あるいは「どうせだましてるんだろうけどと思って」などが短縮されたんではないでしょうか。しかし薦めるのに騙しているとは言わないだろうことは双方が納得のうえですので、騙すという禁句をあえていうことで「騙そうと思っている人間が自分から騙すなんていわないでしょ」ということなんでしょう。
また「軽率で信じてしまった」のではなく「故意に騙されてやった」と相手が相手自身に思わせるように促し「もし騙されたら惨めだな」との考えを払拭するはたらきもあるのではないでしょうか。
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#6です。

「だまされなくてよかった」は、やらなかった後に、なんらかの結果が自分以外のところで出されて、初めて言える感想だと思います。

もしも、結果が悪いほうだったとしたら、「やっぱりだましたな」という結論。良かったとしたら、だまされたつもりでやってみて、良かったという結論になると思います。
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No5 補足します。



強調表現の一つで良いと思いますが、納得できないようですから違った説明を試みます。

「これは本当においしいよ。疑い深そうな顔をしてるね。あなたを騙そうと、まずいものをおいしいと言っているのではないよ。是非試してください。信じられない?では、あなたを騙していると思ってももらって結構ですから、試して見てください。本当ににおいしいんですから。」

相手を信じない人に向って仮定法で、騙された気になって・・と説得するときに使う言葉であり、相手が直ちに賛同した場合には使えない表現です。しかし、勧誘している人には相手が直ちに賛意を示さない限り、駄目押しとして、このように畳み掛けてくるでしょう。勧誘されている人の気持ちとは関係ないことです。
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この回答へのお礼

「あなたを騙そうと、まずいものをおいしいと言っているのではないよ」なのにどうして→「あなたを騙していると思ってももらって結構ですから」となるのでしょうか??? 英語だと「Believe me!」となるところでしょう???

お礼日時:2004/08/01 12:23

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