われがあるだって?
そんなものはあるもんか。
あんたは そういう言葉の遊びで騙されている。
まぼろしを見ているだけだ。目を覚ませ。
と言われて反論するには:
もし わたしは欺かれているとしよう。そうしたら
その欺かれていると気づいたわたしは 存在している。
われに還っている。
なぜなら 存在していないなら 欺かれないのだから。
また わたしは欺かれることを欲していない。
このように宣言するわたしは
たとえ誰かに具体的なものごとで欺かれていたとしても
けっきょく 存在としては何ものによっても欺かれない。
欺かれ得ない。
あやまつなら(欺かれるなら) われあり。
( Si fallor, sum. ≒ If I err, I am. )
わたしは わたしである。存在である。
思考と想像のつばさを思いっきり伸ばしてみて思い浮かぶあなたご自身の見解を
どうぞ。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは。
この論法はデカルトじゃないですか。
省察
MEDITATIONES
神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての
DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.
省察2
(前略)
何か神というもの、あるいはそれをどのような名前で呼ぶにせよ、何か、まさにこのような思想を私に注ぎ込むものが存するのではあるまいか。しかし何故に私はこのようなことを考えるのであるか、たぶん私自身がかの思想の作者であり得るのであるのに。それゆえに少くとも私は或るものであるのではあるまいか。しかしながら既に私は、私が何らかの感官、または何らかの身体を有することを否定したのであった。とはいえ私は立ち止まらされる、というのは、このことから何が帰結するのであるか。いったい私は身体や感官に、これなしには存し得ないほど、結いつけられているのであろうか。しかしながら私は、世界のうちにまったく何物も、何らの天も、何らの地も、何らの精神も、何らの身体も、存しないと私を説得したのであった。従ってまた私は存しないと説得したのではなかろうか。否、実に、私が或ることについて私を説得したのならば、確かに私は存したのである。
しかしながら何か知らぬが或る、計画的に私をつねに欺く、この上なく有力な、この上なく老獪な欺瞞者が存している。しからば、彼が私を欺くのならば、疑いなく私はまた存するのである。
そして、できる限り多く彼は私を欺くがよい、しかし、私は或るものであると私の考えるであろう間は、彼は決して私が何ものでもないようにすることはできないであろう。かようにして、一切のことを十分に考量した結果、最後にこの命題、すなわち、私は有る、私は存在する、という命題は、私がこれを言表するたびごとに、あるいはこれを精神によって把握するたびごとに、必然的に真である、として立てられねばならぬ。
(後略)
https://goo.gl/si9WQ4
そして、デカルトのこの論法の淵源はアウグスティヌスにまで遡れるのでしたね、確か。
デカルトは「知らなかった。読んだことがない」と強く否定していたようですが、古典に精通しているデカルトが知らなかったとは思えない。
ところで、
「存在としては何ものによっても欺かれない」は、
「他者に騙されうる私がいる、そして、騙されたと気づく、または、気づきうる私がいることは否定できない。このことは何人によっても欺かれない、この事実は否定されえない」
という意味ですか。
このことが気にかかりましたので質問いたします。
ご回答をありがとうございます。
ううーん。
◇ この論法はデカルトじゃないですか。
☆ あの《わたしは考える。ゆえにわたしはある》――この命題の・デカルト本人
における意味も一般の受け取りとは異なっているようなのですが――とは 別だと
思います。
《わたしは欺かれたけれど それはわたしが存在しないなら欺かれることはないと
考えられるゆえに・その理由ゆえにこそ そのときにもわたしは存在する》と言う
のとは 微妙に違うはずです。
コトの起きたあとでの論証と コト・つまり欺かれたという事件が起きたというコ
トとは別であり 存在の――相対的な――根拠は後者にあると考えるからです。
前者を根拠とするのは:
▲ 私が或ることについて私を説得したのならば、確かに私は存したのである。
☆ と推理する場合です。
したがって次のうたがいは 晴れると思います。
◇ 「他者に騙されうる私がいる、そして、騙されたと気づく、または、気づきう
る私がいることは否定できない。このことは何人によっても欺かれない、この事実
は否定されえない」 という意味ですか。
☆ 誰にせよ自分について《わたしはある》と捉えるのは 《騙されたときそのコ
トに気づきそのコトを思う》からではありません。また 《そう気づき得る私がい
ることは否定できない》という議論をしているのでもありません。
そうではなく:
☆☆ われがあるだって? そんなものはあるもんか。
☆ という命題を承けて 反論しているわけです。
《あやまちは人の常》と言うように わたしは間違いをおかす。けれども 間違い
を侵すことは そのコト(行為)にあってそのコト(行為)をおこなった存在がい
ないのなら あり得ない。――と推論しているわけだと思います。《そんなものは
ある》のだと。
推論し《考える》のは 或る命題について考え反論するということであって それ
をわたしが存在することの根拠としているのではないと思いますが どうでしょう。
ええ。アウグスティヌスのおこなった思想です。(わたしの思想は アウグスティ
ヌスにさからった内容のものも アウグスティヌスをとおして得たものですので・
つまりパクリ以上のべったりですので 盗人猛々しいありさまを呈しています)。
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☆ この質問への回答をわたしは 寄せています。
その№5が まづひととおりの内容を述べていると考えますので どうぞ。
つまり アウグスティヌス先行説などについてです。
再考です。
☆☆ ~~~
もし わたしは欺かれているとしよう。そうしたら
その欺かれていると気づいたわたしは 存在している。
われに還っている。
なぜなら 存在していないなら 欺かれないのだから。
~~~~~~
☆ この書き方は 舌足らずであり 重心の置き方がまづかったですね。
《欺かれたコト》および〔そこから時間を隔てて〕《欺かれたと気づくコト》
というふたつのコトがあるとまづ言うべきでした。
いづれのコトについても その行為主体があると言わなければなるまいから・
そしてその行為にかかわったわたしがいないのなら そのコトは起きないと言
わなければならないのだから その限りで わたしは存在しているのだと。