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武家の名門清和源氏は源頼朝の代で鎌倉幕府を開き、続く室町幕府など武家化した源氏の中で最も大きな力を持ち、守護大名なども輩出し、一部は竹内家が堂上公卿となっていますが、清和源氏は源頼朝以前公卿を輩出したのが源頼政の従三位だけというのは間違いですか?清和天皇の皇子である源長猷と源長猷の異母兄弟である源長鑑が公卿であったと調べたら出てきたのですが、清和源氏の皇子であるのにかかわらず従三位の公卿でも非参議というのはかなり低い扱いだとありました。その後清和源氏は、摂関家に接近して力を伸ばしていきますが、清和源氏の皇子でも非参議が多かったというのは、清和天皇の子どもである陽成天皇が事実上退位させらていたからでしょうか?

A 回答 (1件)

清和源氏でも経基流武士源氏(実は陽成源氏、説が根強く有り)と皇子源氏を分けましょう。


武士源氏(中央軍事貴族)で頼朝以前に殿上人になれた者は頼政だけです。
因みに清和源氏で最大の実力者公卿は源氏長者、淳和奨学院両別当となり、太政大臣を経て後小松帝の下で事実上の院政を敷いた足利義満でしょう。
浅学のため清和皇子源氏は詳しく知りませんが、有力皇子源氏は嵯峨源氏、村上源氏など実力ある帝から多く出ています。
非参議が多いのは陽成帝以外にその辺が要因では?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/11 22:14

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