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「皇帝」と「王」のちがいはなんですか?

あと、神聖ローマ帝国のオットー1世は『王』ということで良いのですよね。そうすると、皇帝は誰だったのですか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    みなさん本当に分かりやすい回答で、どれをベストアンサーにするか決めかねました。。。

    選んでしまいますがみなさんベストアンサーです。。。

      補足日時:2017/03/28 19:13

A 回答 (5件)

王の上位者が皇帝。



神聖ローマ帝国の場合は帝国を構成する各国を支配する王などから選挙で選ばれて帝国全体の統治者となったのが皇帝。

>あと、神聖ローマ帝国のオットー1世は『王』ということで良いのですよね。そうすると、皇帝は誰だったのですか?
オットー1世が東フランク王国の王でドイツ帝国の皇帝。

日本で言えば殿様(王)と徳川将軍(皇帝)の様な関係。
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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど!
すぐに理解できました!(◎_◎;)
分かりやすいです。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2017/03/28 18:54

No.4さんが言われているように、各国(言語)ごとに別の言葉・別の意味で使われてきた言葉を、後に翻訳するときに、この単語を使おうとか、新しく作ったりもして使っています。

なので、それぞれの言語でどのような地位の人だったのか、というのを調べるのが良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

よく考えてみると、そうですよね。分かりました。ありがとうございます!

お礼日時:2017/03/28 19:10

皇帝という定義を知るのは、実は一筋縄ではいきません。

まさのこのようなサイトで質問するのに最適な質問だと思います。

さて、皇帝という言葉には二つの定義があります。漢字で書く「皇帝」は中国を納める支配者の事を主にいい、エンペラーはヨーロッパの皇帝を意味します。この二つの制度の成り立ちは違いが大きいので、「皇帝」「エンペラー」として説明します。

皇帝について
皇帝は中国を納める支配者のことを主に指します。中国皇帝の最初の人物は秦の始皇帝です。中国は非常に広い地域ですが、主に中国とは北京周辺から南京周辺までの大平原の地域を指します。この平原には漢族という民族が住んで居たのですが、その人口の80%ぐらいを一つの国に纏めたのが始皇帝になります。

中国の周辺には当然ですが異民族が住んで居ました。日本もそのうちのひとつでしたが、中国は古くから文明があったため、日本を含めた異民族に比較的寛大な態度で接していました。基本的には朝貢外交で、中国皇帝に臣下の礼を取れば、皇帝はこれを認め、その民族の王を任命する形を取っていました。日本も1世紀ごろから朝貢した記録が残っており、実際に「漢委奴国王印」という印鑑も出土しています。
 
中国の皇帝というのは周囲の民族が自国の支配者よりも、中国の皇帝のほうが一段高いものである、と認めることによって同盟関係を結び安全保障を形成したもので、幕府と各藩の関係に近いものがありますが、実際にはもっと緩やかなものであったとされます。この関係を冊封関係とよびます。

エンペラーについて
エンペラーはローマ時代の支配者のことを言います。中国皇帝とは全く成り立ちが異なります。
元々ローマという国はある指導者が王となって建国した国なのですが、数代経つうちに王は人々から嫌われ追放されてしまいます。その後、ローマは共和政つまり民主主義で何百年もやっていくことになり、人々は君主制を嫌っていたのです。ローマの共和政は、貴族が政治的討議をする元老院とその中から選出される執政官2名、平民の選挙で選ばれる民会と代表の護民官、戦争時にどちらかの執政官が任命されることが多い軍事指揮官、神々を祀る最高神祇官などの役職がありました。

ところが、ローマがイタリア半島だけにとどまらず、地中海沿岸部全体や西ヨーロッパのほとんど、海を渡ってイギリスあたりまで征服して版図におくようになると、民主主義では効率が悪くなっていきます。大きな問題としては、選挙権をもつローマ市民があちこちに点在して、選挙による意思決定が問題解決につながらなくなったことが上げられます。

 これにより100年近くも政治的な危機が続き、独裁者(スッラ)なども現れる状態だったため、ユリウス・カエサルがひそかに「独裁的な権力者」を作ることをもくろみます。
 先ほどの執政官・護民官・最高神祇官そして軍事指揮官を「ひとりで兼務すること」で事実上独裁ができるようにしたのがエンペラーの始まりです。エンペラーという名前は軍事指揮官の名称から来ており、他にプリンケプス(第一発言者)とかアウグストス(尊厳者)、カエサル(カエサルの後継者という意味)という名前もりようされました。

 エンペラーというのはローマ共和国という民主制を維持しつつ、実態としては君主が独裁支配できる政治体制のことをいうのです。

これがローマ崩壊後、東西ローマ帝国や神聖ローマ帝国などの時代に、王よりも広い地域を統治しているものが自称したりして、今に残っています。ナポレオンがなぜエンペラーになったかというと、フランス革命で王位が廃止になっていたからです。しかし、ベートーベンはナポレオンの独裁的な地位に怒り「英雄」というナポレオンをたたえる曲の献辞部分を破り捨てた、とされています。


神聖ローマ帝国のオットー1世は、王として即位した後にローマ教皇ヨハネス12世から皇帝の戴冠を受けていますので、それまでこの地域での皇帝は空位であったわけです。


日本の天皇は大和朝廷開闢後、中国皇帝に習って周辺の異民族を招き冊封関係を結んでいます。これらの故事から天皇は中国の皇帝と位は同じであるとされているのですが、中国や韓国は「皇は中国皇帝のみ」という立場から、天皇を日王と呼んでいます。

逆に近代になって、ヨーロッパ人は中国皇帝をエンペラーとして遇したため、日本の天皇もエンペラーとして遇することになったのだと思います。この時点で成り立ちの全く違う皇帝とエンペラーがイコールになってしまったわけですが、どちらも「王:kingよりは上位の存在」であることは間違いない(中世にエンペラーは王よりも上の概念になった)ので、おなじようなものである、と解釈されたのです。
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この回答へのお礼

助かりました

ご丁寧にどうもありがとうございます。。。感動してしまいました。

言葉の違いを考えると、その言葉の生まれた背景や地域をよく考慮しなければならないとは、やはり言葉ほど奥深いものはないですね。言葉と歴史は切り離せないのですね。

私の頭では、まだ完全に理解したとは言い難いですが、これから知識を深めるたびに再度見返していきたいと思います。(本当です!)

素晴らしいご回答につりあわないお礼となってしまい申し訳ありません。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2017/03/28 19:08

どこの文化圏の皇帝と王のことですか?



他人に聞く前に、自分で調べるという当たり前のことをしていれば、このような丸投げではなく、不明な部分を明確に文章で表現できるはずだと思います。

私は、努力する者の手伝いはしますが、怠け者を甘やかすことを親切とは思っていません。
「世界史:「皇帝」と「王」のちがいは?」の回答画像3
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神聖ローマ帝国とは、「ドイツ」あたりのことです。

王様が統治できる「1日程度で馬で行ける距離」の「王国」が寄り集まって、同じドイツ語を話す王国どうしが「ゆる~い」連合で結びついたのが「神聖ローマ帝国」です。
王国以外にも、どこの王国にも属さない「自由都市国家」(ハンブルク、ブレーメン、ニュルンベルクなど)もありました。

ローマ教皇に戴冠してもらい、「ローマの正統な後継」であるとの「権威」を持たせるための「しくみ」だったのでしょうね。フランスの哲学者ヴォルテールは「神聖でも、ローマでもなく、帝国ですらない」と揶揄しました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%C0%C0%BB%A4%C7 …

日本の江戸時代も、「国王」に相当する「藩主」と、「皇帝」に相当する「将軍」がいました。
現代のアメリカも「合衆国」(合州国:United States)ですから、各州政府(長は「知事」)、50の州を統括する「連邦政府」(長は「大統領」)の2本立てです。
現在のドイツもそうです(正式国名は「ドイツ連邦共和国」)。
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この回答へのお礼

ありがとう

現代の国と中世の国のイメージは違うのですね。そういえば、歴史映画の世界観はまさにそんな感じですね!実感を与えてくださりありがとうございます´д`

>神聖でもなく、ローマでもなく、帝国ですらない

まさに神聖ローマ帝国の全てを表したうまい言葉ですね…。

お礼日時:2017/03/28 19:01

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