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バッハのDas Wohltemperirte Clavier曲集が、日本では「平均律」と誤訳され、今日までそれが用いられているそうですが、では最初にこの曲を平均律と翻訳した人は誰なのか。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

バッハの「平均律クラヴィア曲集」という題の初訳者が誰かはわかりません。


専門的な解説書でも、それについて触れているものはまだ見たことがありません。
ただ、ネット上に拡散している「大誤訳」という説明は誤解を招くもので、
実際にはそんなに簡単な話ではないので、「犯人捜し」ということならばあまり意味がないと思います。

「平均律」という用語自体を考案したのは瀧村小太郎(1839~1912)という人です。
http://www.lib.geidai.ac.jp/MPHD/hakuon111.pdf

https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/3 …

「平均律」の訳を当てた語が何だったかは調べられないのですが、
見ていたのはドイツ語の書物ではなく、英語の書物だったようです。
国立国会図書館のアーカイブに、瀧村小太郎の著書が一冊だけ出ていますが、
その中には「平均律」という語は見られません。
明治時代のものとしては、41年(1908年)に出た石垣六三郎の『新撰樂典問答』というものが確認でき、
その中には次のように書いてあります。まだこのような認識です。

(問)風琴または洋琴の如く一個の音にて嬰變共通せるものを何といふか。
(答)平均律といふ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854887/38

バッハの原題にある「wohltemperiert」という語ですが、
「wohl」という形容詞は非常に多義で、ほかの語と複合されて、
「(感覚的に)快い」「良好」「十分」「適切」などあらゆるポジティブなニュアンスを持ちます。
この曲の場合は、24の調いずれを演奏しても快く、美しく響く、という意味ですが、
単に「よく調整された」というだけの主観的な表現であって、
具体的に指し示す特定の調律法があるわけではありません。
そして、24の調全部が演奏可能になるということは、
方向としては平均律に近づくことになるため、
本国ドイツでも、現代の完全な平均律(gleichstufige Stimmung)を、
この良好な調律(wohltemperierte Stimmung)の一種としてそれに含めるという考え方がもともとありました。
ドイツの百科事典ブロックハウスにも、かつては、バッハのこの題名は平均律と同じであると書いてありましたし、
有名な英語の音楽百科事典グローヴも、19世紀末の版では「平均律のことである」と誤った記事を載せ、
それが広まってしまったといういきさつがあります。
しかし、バッハの時代の調律法は、完全な平均律ではなく、調性によって性格の違いが出るため、
完全な平均律とは分けて考えられるようになっていきます。
それがはっきり認識されるのは20世紀半ばに入ってからです。
また、日本語のあるサイトには、ニューグローヴの説明として、
ドイツ語の「平均律」に当たる語は「gleichschwebende」だと記してありますが、
この語はヴェルクマイスターがその著書の中で使った語で、
現代の平均律を表す「gleichstufige」とはまた意味が違うということです。
この辺にもいまだに混乱が続いています。

では、バッハの平均律が日本に伝わったのはいつごろかというと、
今の東京芸術大学の前身である東京音楽学校には、
明治32年(1899年)に楽譜が所蔵されていた記録が残っています。
もしそれから間もないうちに訳されたとしたら、欧米でさえ平均律と同一視していた時代なので、
「平均律」と訳されたとしてもごく当然の成り行きで、誤訳と言うわけにはいきません。
まだ西洋から新しいものがどんどん入ってくる時代で、新しい訳語も考案しなければならなかったので、
特定の個人の訳ではなく、複数の人が係わった可能性も高いでしょう。
誤訳の指摘というのは、通俗的な好奇心を引きやすいのか、
ネット上にはこの話がかなりたくさん見つかりますが、大体はほかからの受け売りで、
自分で十分調べて書いてあるものはほとんどないと思います。
回答No.1の方が張っているリンク先のサイトを書いているのは、
イギリスの大学に籍を置く専門の研究者で、CDの解説も手掛けているので信頼できます。

バッハの『平均律』がキルンベルガー法を前提にしている可能性は、残念ながらありません。
『平均律』第1巻がまとめられたのは1722年で、キルンベルガーが生まれたのは1721年です。
また、キルンベルガーがバッハの弟子であったという記述もあちこちにありますが、
これをはっきり証明できる資料は残っておらず、真偽のほどはわかっていません。
1741年にドレスデンにいたことだけは文書が残っていますが、
その年に数カ月滞在しただけなのか、1739~1741年の間バッハに師事したのかは不明です。
『平均律』第2巻がまとめられたのは1744年ですが、実際にはそれ以前から書き溜められていたと思われますし、
キルンベルガーが自身の調律法を公表しだすのは1766年以降になります。
また、キルンベルガーとその同時代の理論家マルプルクの間で、
バッハの調律法をめぐって論争が起きています。
もしキルンベルガーがバッハの調律法を直接受けついているなら、これも少し不思議なことです。

ヴェルクマイスターについてはどうかというと、これはバッハ自身が書き残した記録があります。
バッハは、ブクステフーデの元でヴェルクマイスターの調律法を知り、自分でも試しています。
そして、「良い調律法だ」としながらも、「3度音程はもう少し純正な方がよい」として、
ヴェルクマイスターそのものは使わなかったように読めます。

バッハ自身がどういう調律法を使っていたかは結局明らかにされていませんが、
「バッハ調律法」として再現に取り組んでいる研究者はいます。
そういう人たちの方法にはある程度共通している点があり、
それは、全音階上の音(ピアノの白鍵)は平均律の5度に近く、
それ以外の半音(黒鍵)は純正な5度に近くなるということです。
また、バッハ自身が楽譜に書き込んでいる渦巻き状の図があり、
それが調律法を表しているのではないかとして解読を試みている人もいます。
渦巻きが1回のところは純正な5度で、2回のところはピタゴラスのコンマの1/12だけ狭くした5度で、
3回のところは1/6狭くした5度で、という解釈ですが、もちろんこれにも異論は出されています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1 …

『平均律クラヴィア曲集』という訳が原題に忠実なものでないのはわかるのですが、
24の調を演奏できるという意味で平均律に近づく方向であることには違いなく、
「wohltemperiert」の元の意味を曲の題名としてスマートに訳すこともかなり無理なので、
「意訳」ということで、このままでよいのではないかというのが私の見解です。
『快適調律クラヴィア』、『良好調律クラヴィア』、あるいは『平均律的クラヴィア』?
正しい訳が必ずしも良い題名になるとは限りませんので・・・
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この回答へのお礼

詳しい回答をありがとうございました。
とても勉強になりました。
キルンベルガーのことを書いたときに年代の確認をしてからにしようかと思ったのですが、面倒だと思って書いてしまいました。キルンベルガー律が好きで彼がバッハの弟子だったらしいので、彼のために書いたに決まっていると自分で決めつけてしまってました。

そこから、では何のためにあの曲集を書いたのか、また興味が出てきました。
子供の教育用に書いたのでしょうかね?
でも当時は♯や♭が非常に多い調で書かれた曲はほとんど無かったと思いますので、子供の教育のためにそれを作る必要は無かったと思うんです。多くても4つですよね。
では単にバッハが何となく思い付いて作ったのか、或いは他の作曲家の同様な作品に刺激されて作ったのか・・・。
でも、曲集の名前を「上手く調律された」としているということは、バッハが何らかの調律法に触発されたか、または興味を持ったのでこの曲集を作ろうとしたのではと思うのです。
じゃないと、わざわざそんな名前にはしないのではと。
ん~、違うかな~・・・。

バッハの調律がベルクマイスターではないという話しも参考になりました。
その3度音程が不満だったとすると現在の平均律と同じものだったという説は排除されますね。
(私は平均律が嫌いでこれを書いているのでは有りませんので。一応念のため。)

ネットに同様の”犯人探し”の記事が載っているというのは知りませんでした。
別に反論したり抗議するつもりは有りませんので、お気を悪くされないで頂きたいのですが、私は誤訳した犯人を探して晒したいなどという気持ちは全くなく、平均律と訳して日本にそれを定着させた人は誰なのだろうか、という純粋に知的な好奇心からの質問なんです。
平均律という言い易さも評価しています。
ですので、”誤訳”という表現は取り下げて、”あのような訳”、と訂正いたします。^^;

最初に出版された日本語の表紙の平均律曲集が分かれば、その著者かな?と思ったり、どこかの音大の先生か研究者が書いた著書に書かれていたのか?と思ったりしましたが、きちんと調べた結果分からないという結論が出ているんですね。

了解しました。
これ以上調べてもダメなようですので、この好奇心はここで打ち切ることにします。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2017/04/22 07:35

お礼コメントをありがとうございます。



まず、「誤訳」についての件は、こちらこそ失礼いたしました。
インターネットができてから、この『平均律』に限らず、
興味本位で誤訳を指摘する書き込みが非常に増えていることを常々疑問に思っていることと、
このようなQ&A系のサイトでも、批判目的の投稿が非常に多いことから、
つい「またか・・・」と思う癖がついてしまっています。

『平均律クラヴィア曲集』という題の訳者については、
調べた結果わからないという結論が出ている、というわけではなく、
少なくとも私が見る限りでは見つかりそうにない、という意味です。
日本で出版された最初の『平均律』の楽譜というのは、探せばあると思いますが、
普通、題名の訳者名は書いてないでしょう。
作曲家バッハを紹介した記事というのは、すでに明治時代の音楽雑誌にあるようなのですが、
国立国会図書館のデータでも出てこないので、『平均律』が紹介されているかどうかも確認できません。
もし訳者が突き止められるとしても、音楽の専門的文献を収めている特殊な機関などに足を運ばないと無理でしょう。

『平均律クラヴィア曲集』の作曲目的ですが、これはいくつかのことが推測できます。
まず曲の題の中に、「熱心な若い音楽学習者と、すでに進歩している人の特別な楽しみのために」という文言があります。
バッハは、過去に書いた作品に常に手を加えていたので、当初は子供の教育用に書いたものをまとめ直し、
より高度なものにしていった可能性もあります。
結果的には、技術的にかなり難しいものになっていますから、
子供の教育のためだけのものとは言えないでしょうね。
また、当時は作曲家と演奏家の分業はないので、息子たちの教育という意味でも、
演奏の練習のためだけではなく、作曲の手本としての意味もあったでしょう。
この曲集には、あらゆる作曲技法が詰まっていますし、
ベートーヴェンは、作曲に行き詰ると『平均律』を見る、と書き残しています。
実際、ベートーヴェンの後期の作品は、この曲なしには考えられません。

24の調を用いたことについては、いくつかの先行作品があります。
その中でも特に、ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャーが20の調を使った、
『音楽の迷宮』という作品が参考にされた可能性があると言われています。
バッハがこの作品そのものを見たという記録はないようなのですが、
息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、フォルケルという人に宛てた手紙の中で、
父バッハはフィッシャーの曲を特に愛し研究していた、と書いています。

ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー『音楽の迷宮』


もう一つ議論の対象になっているのは、バッハが各調性の性格の違いを意識した使い分けを目的にしていたかどうかです。
平均律が使われていなかった時代は、それぞれの調は違う響きを持っていたわけですが、
調ごとに特定の性格を当てはめる考え方は古くからありました。
バッハの時代でよく知られているのはマッテゾンという人で、
ハ長調は粗くずうずうしい性格、ホ長調は死の悲しみ、など奇妙な性格付けをしています。
バッハは、マッテゾンの調性性格論は好きではなかったようで、
『平均律クラヴィア曲集』でそういうことを考えていたかどうかには疑問があります。
フラット5つの変ニ長調で記譜できるのにわざわざシャープ7つの嬰ハ長調で記譜したことや、
第1巻の8番は変ホ短調で記譜されているのに第2巻では嬰二短調で記譜されていることから、
調の性格を考えていたのではないかと考える向きもありますが、
その一方で、調号の多い曲のいくつかは、もともと調号の少ない調で書かれたものをあとで移調しているので、
特に調による性格の違いをめざしたわけではないとも考えられます。

24の調性を用いた目的には、ほかのことも考えられます。
現在われわれが鍵盤楽器を演奏するときは、当然5本の指すべてを使いますが、
バッハ以前の時代には親指は使いませんでした。
クープランという作曲家が、バッハ以前に親指を使い始めていたようですが、
バッハほどではなく、5本の指すべてを使う演奏法はバッハによって完成されたといえます。
5本の指の内、親指と小指は短いので、この2本を白鍵に、間の3本を黒鍵に当てるポジションが一番弾きやすく、
ショパンは、初心者にピアノを教える場合は、このポジションから弾かせました。
しかし、難しい曲になると、常にこのポジションを取るわけにはいきません。
その場合必要となるのは、5本の指の力の均一化です。
もちろん、解剖学的には完全な均一化はできず、
それぞれの打美の特性を生かした指使いを考えることも重要ですが、
出来る限り均一化することは非常に大事です。
調号の多い調性になると、親指や小指で黒鍵を弾かなければいけないケースが出てきます。
指の均一化のトレーニングのためには、すべての調を練習するのが一番効果的なのです。
ショパンも、バッハの『平均律クラヴィア曲集』は常に弾いていて、人にも推奨しています。
現代のピアニストにしても、指の均一化のトレーニングにはこの曲が欠かせません。
バッハが24の調をそろえたのには、もしかするとその効果を知ってのことだったかもしれません。

では、なぜこういう題名にしたのか、という疑問は残りますね。
この点についてもう少し調べたのですが、ヴェルクマイスターは、すでに1681年に、
「Wohltemperierte Stimmung」という用語を使用しているようです。
この時代、すでに17世紀の中全音律に代わって、より多くの調が演奏できる古典調律が主流になっているので、
そういうものの総称としてこの語が使われるようになっていた可能性があり、
バッハもそういう意味で使用しただけで、特別な意図は含んでいないのかもしれません。
またヴェルクマイスターは、1707年に遺作として出た著作の中で、
「平均律(gleichschwebende Stimmung)」を強く推奨しており、
これもまた「wohl temperirt」と表現しているとのことなので、
少なくともヴェルクマイスター自身は、平均律も「wohltemperierte Stimmung」の一つと認めていることになります。
そうなると、「平均律誤訳説」はいよいよ説得力がなくなります。
今まで見てきたかぎりでは、バッハ自身が平均律を使っていた可能性は少ないように思いますが、
そもそも、この題名と特定の調律法を密接に関連づけようとすること自体に無理があるのかもしれません。

前の回答で、バッハがこの曲集の表紙に描いた渦巻き状の模様を、
バッハ自身の調律法を表すものだとして解読した人がいると書きました。
これは、ブラッドリー・レーマンという人が2005年に発表した説で、
もちろんこれに対するさらなる批判もあるのですが、
Youtubeでその復元調律による演奏を聴くことができ、
私が聞く限りではかなり良い響きなので、それなりに説得力があるものです。
下の動画ですが、最初にレーマンが復元したバッハ調律法で、
そのあとに平均律で、そのさらにあとにヴェルクマイスター第3法で演奏されており、
比較することができます。
https://www.youtube.com/watch?v=f8M-JzIwbog

ドイツのサイトで、電子音による各種調律の聞き比べができるところがあり、
そこでキルンベルガー第1~3法も聞いてみましたが、第3は悪くないですね。

深入りすると終わりがなくなりますので、この辺で失礼いたします。
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この回答へのお礼

フィッシャーの曲はオルガンとアンサンブルで演奏したことが有ります。この曲ではなく他の曲ですが。どうでも良いのですがその時は軽いなという印象でした。
マテゾンも何曲か演奏しましたが、バッハと比べるのは無理があるレベルでしたね。

マテゾンや他の人が残している調性の性格については、人それぞれに違う感想ですのでどれが本当なのだろうと昔は思ったりしたものですが、今は「昔は現代と違って広範囲に情報が共有されるということはあり得なかったはずで、したがって音律もピッチも狭い地域内においてのみ同一のものが使われていたのでは」と考えていて、
生まれてから一度も自分の村から出ないで生涯を終えた人が普通に沢山いたと思われる時代ですので、一緒にアンサンブルをする人達とピッチが同じでありさえすれば何の問題も無かったわけですので。実際、バロックピッチに今は415Hz が一般に採用されていますが、実際の古楽器は370~470Hzくらいの中でバラバラです。
音律も同様だと思っていて、様々な地域で様々な音律が使われていたとすれば、人によってある調性を聴いたときの感想が全く異なることはむしろ当然で、仮に、へ長調は快活と書いた人がいたとすると、そのときの音律は何であったかを知らないと意味がないと思うのです。
今まで読んだ本にはそれは全く書かれていませんでしたので、昔の人が言った調性の性格を論議するのは未意味だとおもっています。

音律比較の動画をありがとうございました。
違いがよくわかりますね。
私の好みは平均律ですね。
鍵盤楽器(特にピアノ)には平均律が向いているのか和音が汚く感じませんよね。
管楽器のアンサンブルをすると特に長3度の響きが平均律は汚いですが、だからといって全曲を純正調で演奏するなんて有り得ず、では長く伸ばす音だけを純正音程でとやっても私にはそんなに良くは聴こえない(ウナリは無いけれど力が無い)ので、生まれてから60年以上も毎日テレビなどから耳に入って来ている平均律が身に着いてしまっているのかなーと思ったりします。

最初に平均律と訳した人はだ~れ?、という当初の質問から離れてしまいました。すみません。
回答をありがとうございました。

お礼日時:2017/04/23 09:14

全く詳しくない素人ですが。



あまり頼りにならない Wipipedia には、「かつては、バッハによる原題の「良く調整された」とは、平均律に他ならないと考えられていたので、「平均律」との意訳は特に問題とされなかった」という脚注がありますね。

また、こちらには、逆にバッハの時代にも現在の「十二平均律」に近いものがあったのではないか、という説もあるようです。
http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/essay/wtc1j.h …

なお、そもそもの「平均律」という訳語を作った方は誰なのでしょうね。英語の「equal temperament」と「well temperament」とどう訳語を使い分けるのか、なかなか難しいですね。

ちなみに、一般に「平均律」と呼ばれるものは、狭義には「十二平均律」です。バッハの曲集も「十二平均律」とは言っていないわけで、「転調が自由にできる調律」という意味では、あながち「平均律」も「誤訳」とも言い切れないのではないかと思います。そもそもの「平均律クラヴィーア曲集」だって、法律や規格基準で定められているわけではない「通称」ですし。

音楽用語とか、曲の俗称とか、おかしな訳はほかにもたくさんあります。「交響曲」とか「協奏曲」「狂詩曲」などは名訳だと思いますが。
おかしな訳ではありませんが、「Prelude」は「前奏曲」ですが、これは鍵盤楽器のための「曲種」です。「何か」の前奏ではないピアノ曲の「Prelude」がたくさんあります。バッハも含め、ショパンもラフマニノフも「24の調」を網羅します。

ラヴェルの「クープランの墓」(Le Tombeau de Couperin)の「Tombeau」も、一般名詞では「墓」ですが、音楽用語では「故人を追悼する器楽曲」を指します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3 …

オネゲルの「パシフィック231」の「Mouvement Symphonique」も一般名詞で「交響的運動」と訳すか、音楽用語で「交響的楽章(交響的断章)」と訳すかでまちまちのようです。作曲者は掛詞にしたのでしょうかね。第2番は「ラグビー」ですし。

ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とか、ショスタコーヴィチの第5番「革命」とか第14番「死者の歌」とか、日本名に原題にないタイトルを勝手につけるのも困ったものですが。
http://naxos.jp/special/no_unmei
http://www.dasubi.org/sb.cgi?page=5&cid=14
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
私はバッハの言うところのWohltemperirteはキルンベルガー第3だったのではないかと思っております。
きれいに響く音律ですし、自分の弟子でもありましたし・・。
彼の書いた純正作曲技法を読みましたが、単なる音律研究家ではなく、立派な音楽理論家でした。

私はシンセサイザーで弾く時にはいつもキルンベルガー律にセットします。
その他の音律よりもキルンベルガーのウナリ方が綺麗なので好きなだけですが・・・。

バッハは、平均律曲集以外には♯と♭が沢山付いた曲を書いておりません。
ではなぜ突然そんな曲集を書こうと思ったのかを考えると、愛弟子のキルンベルガーが興味深い調律法を開発し、結構使える調律だったので、その調律法の効果が発揮される曲を作ってやったのでは、と思うのです。

でもそれは想像ですし、どうでも良いと言えばどうでも良くて、世紀の大誤訳をし、それが日本においては今後もずっと誤訳のまま使い続けられるという、稀にみる珍事を引き起こしたその御人とは一体どんな人だったのか知りたいな、と思って質問しました。
どうぞよろしくお願いいたします。

お礼日時:2017/04/21 16:23

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