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ソ連の崩壊を以て、社会主義は資本主義に負けたと言われますが、第二次世界大戦の後に、世界中で社会主義国家が成立し、完全な資本主義国と言えるのはアメリカと西欧と日本だけになりました。

70年前にソ連の周辺国を始めとして世界のあらゆる場所で社会主義国が成立し、中国やベトナム、キューバでは資本主義が社会主義に敗退する結果になったのは何故なのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 70年前に社会主義国が世界中で成立した頃の話を聞いているんですけど。

    今でも社会主義の体制をとっている国はありますので、机上の空論ではありません。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/05/13 08:11
  • それは鄧小平が改革開放政策をとった後の話ですね。
    その前のことを聞いているんですけど。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/05/13 08:26

A 回答 (12件中1~10件)

理由は「植民地支配から独立する時に左翼主義者を共産国が応援したから」です。



フランス革命とアメリカ独立はどちらも18世紀後半のことですが、この後ヨーロッパは20世紀初頭にかけて、民主主義革命が相次ぎます。もっともこれには立憲君主制も含みますが、今までの絶対君主制が崩壊していくわけです。
 
これがヨーロッパで進んだ背景にはイギリスの産業革命の影響もあります。産業革命は農本主義とイコールだった絶対君主制に風穴をあけ「資本を投下する自由」ということで、階級社会よりも資本を持って居る人を優先する「資本主義社会」への変革を推進したからです。

資本主義社会は階級にかかわらず「資本を持っていれば自由に経済活動ができる」ことを要求し、その結果として富の再分配システムでもある政治システムが民主主義(多数決主義)に変わることを推し進めたからです。

しかし、主に19世紀の資本主義への変革は農民を労働者に変えただけで、君主による搾取よりもひどく、再分配システムはうまく機能していませんでした。また民主主義社会への転換は革命によるものでしたので「革命的手法による民衆の幸福の追求」は権利とされていて、そこにマルクス=レーニン主義が入って、1917年のソビエト革命につながっていくわけです。
これにより、ロシアとその周辺地域は社会主義的な体制になっていきます。

重要なのは、20世紀の初頭、第2次世界大戦までは意外に共産主義がうまく機能したことです。理由は様々ですが、現代ほどには自由経済ではなかったし、農民を労働者に変化させる工業化も各国で中途半端だったために「モノを作って生活を成り立たせる」ということが資本主義でも共産主義でもあまり違いが出なかった、からでしょう。
生産性に違いが無いなら、共産主義的な労働のありかたも一定の評価を受けていたのです。

ですから第2次大戦前の共産主義国は非常に強大な経済力も、人民動員力もあり、近代国家としてかなりの力をもっていたのです。そのため、ソ連は多くの国へ共産主義を広げる機会を狙っており、中国でも毛沢東の人民解放軍はソ連から軍事的援助をもらっていました。

第2次世界大戦の結果は誰でもご存知だと思いますが、ここで問題なのは「西側諸国の荒廃」と「日本の敗戦」です。
日本が敗戦したことにより、ソ連は朝鮮半島に容易に進出し、中国も人民解放軍が優勢になって手本主義側である国民党軍を大陸から追い出すことに成功しています。

つまり日本が抑えていたアジア大陸の共産化に歯止めが効かなくなり、結果としてアメリカは朝鮮戦争・ベトナム戦争とアジアの共産化に対応することに迫られることになるわけです。

同様に、それまで植民地支配していたヨーロッパ各国も戦争で荒廃したため、植民地統治能力を失い、各地で植民地が独立していきます。イギリスはインドを失いますが、この地域はソ連から見ても中国から見ても中央アジア山脈が邪魔をしているので、共産化には至りませんでしたが、中国大陸と接していたベトナム、ラオス、カンボジアは日本撤退とフランス再統治に反対してインドシナ戦争を行い、その結果フランスが撤退すると、今度は民主主義国か共産主義国かで独立のための指導権争いを行い、激しい内戦に突入していきます。

同様に、ヨーロッパでも第一大戦の結果ドイツの敗戦により、オーストリア=ハンガリー帝国が弱体化し、事実上この地域がヨーロッパを共産主義から守ってきた地域だったため、この辺りの国はドイツとソ連で分割されるか、独立時に共産主義政府が樹立されることが多くなり、ナチスドイツの侵攻の結果一時的に王国に戻ったり、明主義勢力がもりかえしたものの、ナチスドイツの敗戦とともに多くの国がソ連の永世国家になっていきます。このように衛星国になったヨーロッパの国を東欧というわけです。


第二次大戦後、なぜ社会主義国が生まれたかというと、その地域を支配していた日本や西洋国という植民地支配国家が撤退し、権力の空白、無政府状態が現れたからです。日本やドイツは占領されなすすべがありませんでしたし、ドイツはソ連に分割統治までされています。

日本国土は、ドイツ分割を反省したアメリカのおかげで分割されることはありませんでしたが、その代り日本が撤退して権力の空白ができた朝鮮半島にソ連がすかさず入って、傀儡国家である北朝鮮を作ってしまいました。

東欧にしてもアジアにしても、日本と戦った地域の西洋国はその後の独立機運を抑えるほどの国力をすでに持っていなかったので、各地が独立し、結果としてソ連から多大な支援を受けた共産勢力が優勢な状態であったといえます。
もっともカンボジアなどはタイが共産国を嫌ったこと(王国なので危機感を持った)、イギリスやアメリカなども積極的に民主勢力を支援したことなどから、逆に激しい内戦を呼んでしまいます。

ベトナムに至っては、大戦中ホー・チ・ミンはアメリカからも援助をもらっており、戦後の独立処理で共産主義の対立の時にアメリカがあまりにも主権を侵しすぎたので、ベトナム戦争になっていくのです。結果アメリカは負け、ホー・チ・ミンですら共産主義をえらんだわけです。

結局第2次世界大戦でアメリカを除いた資本主義国が疲弊し、植民地の支配ができなくなり独立機運の高まりに共産国が援助したことが大きな理由であり、当時のソ連はアメリカと宇宙開発競争ができるぐらい、経済に余裕のある国であったわけです。またソ連は地上を移動するだけでの軍事援助など各国に影響を及ぼすことができますが、アメリカは本国から船で移動しないと影響力を行使できず、それが結局朝鮮戦争での苦難・ベトナム戦争の敗北につながっていくのです。

第2次世界大戦前は、西洋と米ソ、そして日本しか独立国はありませんでしたから、戦争終結で起きた権力の空白が当時強大だったソ連の台頭を許すことになったのです。
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1つの理由として、1960年代くらいまでは、社会主義は資本主義に劣らない、下手をすれば資本主義以上の経済成長を遂げていたからです。

勿論、ここには誇大広告的な宣伝もなかったわけではないですが、それでもこの辺りの時代までは、成長していたことは事実です。

社会主義、共産主義国は、一党独裁、計画経済というのを基本としています。
この体制の一番の強みは何かというと、意思決定の速さです。
例えば、自動車工業を発展させよう、と政府が考えたとします。一党独裁、計画経済の国家の場合、そこに突出して予算を注入し、そこを一気に強化することが出来ます。しかし、様々な資本家が入り乱れ、彼らがそれぞれで成長の糧を考える資本主義国家では、そのような急激な発展というのは不可能です。その結果、経済成長という観点で社会主義に強みがあった、というわけです。
韓国やインドネシア、マレーシア、フィリピン、台湾など、資本主義を語りつつも、一党独裁の「開発独裁国家」が誕生したのも、意思決定の速さというのが武器になる、ということが大きな理由の一つと言えるでしょう。
ただ、これは、当時だから、ということも言えます。

1970年代に起きた石油危機。これが起きるまでは、工業を支えるエネルギー源である石油は、安価で、ある意味、使い放題のようなものでした。共産主義国などにとって、多少、多少、効率が悪かろうと計画経済に基づいて「ここ」というところに予算を集中的に注入すれば、とりあえずの計画は達成できていたわけです。
ところが、この石油危機により、石油価格が変動するような形になってからは、意思決定力の早さよりも、様々な状況に対応する柔軟性というのが必要になりました。こういう状況に、一党独裁体制の共産主義国家というのは対応しきれません。また、独裁者の選択ミスによる被害も明らかになりやすくなりました。結果、開発独裁国家である韓国、フィリピン、台湾などでは1980年代から民主化運動が活発化し、インドネシアなども、90年代くらいには同じようなことが起こりました。また、中国でも、80年代からの鄧小平らによる改革開放へと繋がりました。

社会主義、共産主義国家の一党独裁という状況だからこその、意思決定の速さによる経済成長。それが、第二次大戦後のそれらを掲げる国の台頭の原因。
しかし、一党独裁という状況だからこその柔軟性の欠如による経済的困窮が、その崩壊につながった。
それが、私の見解です。
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つまり労働に対する対価の分配です。

中国人に言わせると日本が、分配の手本だと、皮肉な事ですね。
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マルクスの定義では、社会主義においては、人は労働と必要性に応


じて受け取り、能力において支払うとされています。ここでの労働
は、『資本論』にもありますように、就労時間ではなく、生み出し
た価値すなわち成果です。アメリカ、西欧、日本もマルクスの定義
をおおむね満たしていますから、社会主義の国でもあります。

さらに、社会構造を眺めても、アメリカ、西欧、日本においても、
大きな企業が倒れそうになりますと、国が支えたりしますね。その
代わり、国は企業に様々な要求を突き付けもします。つまり、ある
程度の大きさになりますと、企業の「基土権」は部分的に社会や国
に帰属し、株主の権利は「上土権」に限定されることになります。

ソ連、東欧、中国だけでなく、世界のあらゆる国が、半ば社会主義
化したのです。

社会主義革命の機運が新たに盛り上がることがないのは、すでに、
我々は革命後の世界に住んでいるからでしょう。
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一度中国に行くと良いですよ。

拝金主義と強欲資本主義、金が全ての国ですよ。
夢から覚めにゃ!
この回答への補足あり
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多くの国の庶民が貧しかった時代です。


朝から晩まで働いても生活は楽にならず、一方でお金持ちたちは贅沢な暮らしを送っているように見えました。

社会主義は、貧富の差の無い平等な社会を主張していましたから、きっとそこに惹かれたんでしょうね。

しかし、貧富の差の無い平等な社会では、努力する人としない人も生活は何も変わらないわけで、人々は努力をやめ、いよいよ貧しくなってしまいました。
また、社会の方針を決めるために民主集中制をとったため、指導者の権力が強くなり、新たな支配階級を作ることになってしまいました。
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70年前にソ連の周辺国を始めとして世界のあらゆる場所で


社会主義国が成立し、中国やベトナム、キューバでは
資本主義が社会主義に敗退する結果になったのは何故なのでしょうか。
   ↑
1,当時、知識人の多くが社会主義を賞賛していました。
  日本とて例外ではありません。
  資本論が一番売れたのはソ連ですが、二番目は日本だった
  のです。
  しかし、日本は米国との関係が密接で、天皇制がありました
  ので、社会主義化は免れることができました。  


2,ソ連で社会主義政権が誕生しましたが、その
 ソ連の経済が好調でした。
 不況に悩む資本主義諸国を尻目にして、毎年
 目覚ましい成長を続けていたのです。
 これを目にした途上国は、資本主義よりも社会主義だ、と
 飛びついたのです。
 
 もっとも、社会主義国の経済成長は、後に検証された
 結果、誇大ないしウソばかりだったことが確かめられて
 います。

 ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは、
 社会主義国は、資本と労働を集めただけだから、経済成長
 しても、すぐにダメになったのだ、と説明しています。



3,スピードがあります。
 途上国は何しろ、手っ取り早く、経済成長したいのです。
 そうでないと政権が持ちません。
 もたもたしていたのでは、政権の支持を失い
 転覆させられます。
 
 それで、独裁と親和性がある社会主義を採用しました。
 独裁なら、経済政策に反対することもできないから
 政府の政策がスムースに進むだろう、と考えたのです。
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社会主義経済システムは、紙上の空論!


農業分野では、生産者、生産物収集者、分配者、それを統括者、同じ給与同じ生活水準では、どこかに、不満がたまる。これを国際社会に出すと、競争力「品質」等で全滅する。
この回答への補足あり
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ソ連軍が「開放」した東欧は「ソ連の支配下での政権樹立」なので除外します。



それ以外の地域では、アジア、アフリカ、中東などの多くの国が植民地支配から独立しました。
これらの国では、社会の発展が遅れていたため、産業基盤を「国営」「国有企業」にして保護・育成しながら運営する必要がありました。脆弱な自国の産業を、市場経済・資本主義経済の中で自由競争させることでは生き残れなかったからです。
そのため、国家による計画経済、石油や鉱物資源の国有化、基盤産業の国営化・国有化を推進しました。これは、体制的には社会主義の形態をとりました。
また、第2次大戦以前から主要産業を「先進国」「巨大資本」が支配していたアジア・アフリカ・中南米では、これらの動きの中で人口の大半を占める民衆が立ち上がり、社会主義を目指した国も多かったのです。先進国や巨大資本に対抗するには、「国家」権力が経済にも介入しないといけなかったからです。

インドのネルー、インドネシアのスカルノ、エジプトのナセルなどは、共産主義者ではありませんでしたが、国家としては「社会主義」を標榜しました。これらの国々は、アメリカ中心の資本主義陣営、ソビエトを中心とした共産主義陣営とは独立した「第三世界」を形成しました。
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【回答】


社会主義経済が上手く行っていたからだと思います。
一昔前は「ソ連、北朝鮮はパラダイス」こんな言論が日本でもまかり通っていました。
戦前の日本でも天皇を中心とした社会主義が、論じられていました。2・26事件等が起きた背景もこれに該当します。
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