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小説を書いてます。
中世ヨーロッパを題材にしてます。
当時の銀行やら、国や都市ごとの貨幣の発行や在り方など、大方は調べたらわかりました。
しかし一般の人々は、流通していた貨幣はどうやって貯めていたのか? まさか家の箱に無造作にお金をしまっておいたわけではないと思うんですが……。
金持ちはいわゆる銀行に預けていたそうですが、一般の人々はどうだったんでしょうか。
一般市民といっても、街と農村では違うでしょうが、ざっくりとでいいのでご存知の方がいたら教えてください。

A 回答 (3件)

中世は庶民まで貨幣経済が浸透していませんでしたから、物々交換で取引していたはずです。


ですので王侯貴族ならまだしも、一般人がお金を貯めるのはとてもできなかったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一番単純で分かりやすかったです。

お礼日時:2017/08/10 00:06

家に置くとは言っても、そこは今と同じで、”家の中に隠す”という意味合いの方が強かったでしょう。


ですから、普段は小袋に入れて肌身離さず、仕事に勤しむ。
 (→家計的には、豚や牛を飼うのも、やがて業者に売って金に変えたりするので、いわば動く倉庫=財産的な意味合いも強かった。
  宝石や金の粒などは、持ち運びやすいので、(旅先や難民化したときなどの)いざという時の換金に重宝された。)

 やがて、お金が貯まると持って歩くのが大変になるので、家の中に隠す。
 (→錠前技術が発達する。)
 当時の銀行とは言っても、いわば両替商みたいなもので、入金を記録し、その記録を遠方の取引先に持っていき、お金を払うといういまの為替制度みたいなものでした。
 (→そういった大金の一時保管所として、欧州の銀行は発達しました。ですのでほとんどがいまでいう投資銀行です。典型がスイスの銀行でした。あそこでは預金者の身分は厳重に確認され、手数料がかかります。)
 やっかいなことに、当時のお金は諸侯によってバラバラに発行されていましたから、値打ちも違い、その結果両替自体が利ざや稼ぎで、ビジネスになりました。
 
 ただ、家がない人もたくさんいました。当時の仕事は家族総出がほとんどで、職人や商人は遠方へと行ったり来たりしました。

 商人ならば、噂に聞いたような活気のある市場(イチバ)をめざしますが、逆にいえば戦乱などで市場が機能停止しようもんなら、あっというまに商人や一般の客たちがいなくなり、一夜にして廃墟になります。なので市場を管理する諸侯たちは、そういった場所を守るために、戦い慣れた連中を雇い、守ろうとしました。日本史で名高い楠木正成の出自(荘園のガードマン)ではないかと言われています。

 職人ならば、石工のようにでかい石を仕入れるというわけにはいかなかったので、何かの大プロジェクトの噂や御触書(←大金持ちしかできない)の場所へ行って、職人のカシラと交渉します。(こんな場合当座の寝る場所が森の中だったりします。)
 ケン・フォレット「大聖堂」では中世の生活の一端がわかります。

 +;この形態は大航海時代になってもあまり変わらず、船に乗りたいものはその船へ行って船長の許可で乗船します。そういった情報は、中世の職人などは、酒場やメシ屋でしたが、豊かになったイギリスでは昼間からコーヒーを飲みながらタイムスを読むハイソな生活が始まり。そういった人が集まる場所に、遠洋航海のお知らせなどが掲載されるようになります。それが現在のロイズ(ソサエティ)の元になります。
 ちなみにそういう船を建造するお金をだした大金持ちに発行する債権が「株」です。
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はじめまして


当時の庶民がどの程度余裕があったかわかりませんが、鍵付きの貯金箱があったそうですよ。

鍵付き貯金箱(中性ヨーロッパ・金属)
http://www.amashin.co.jp/sekai/p1.htm
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