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仏教徒が、神社の祭典に参加している事はありますが、仏教徒は神道ではないのに、参加しているのは変ではないですか。

同様にして、神社の祭典に、キリスト教徒や、イスラム教徒や、神道と関係のない他の宗教徒が参加している事は、変ではないですか。

もし、祭典関係者から、参加強制されることがあった場合、信教の自由が認められていますから、参加強制は拒否できると思いますか。

それでも、参加を強要したならば、人権の問題や強要罪の罪になりますか。

A 回答 (7件)

神仏習合の歴史を勉強しなさい 神社とお寺が一緒のところはたくさん残ってます

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

私の周りにいるキリスト教徒の家族は神社の鳥居は潜らない、行事には参加しない。

創価学会の人はお寺に入れない。結局のところ信仰心の強さかなぁ?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

クリスマス、ハロウィン、正月。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

クリスマス、ハロウィン、正月。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

比叡山では宗教サミットが30年も続いて居ます、


キリスト・イスラム・仏教・神道・近年世界中の宗教者
1000人からの集まりの様です、
世界平和を願ってのサミット。

それぞれその道の指導者の集まりの様です。
此れを見ても解る様に、専門家でも依存無し、 

我々庶民は地域の仕来たりに付き合う方が
軋轢なく住み易いと思って居ます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

元々日本では神仏混合といって神道と仏教は区別していません。


なので古いお寺の敷地内に神社が祀ってあったりするのです。
これは日本の神道の考え方では自然崇拝だったので、山・海・森・川・大きな木や
大きな石等等なんでも神様を感じて崇拝していたのが基本です。
ですから有名な風神・雷神といった神様が描かれているのです。
こういうたくさんの神様を総称して「八百万(ヤオヨロズ)の神様」と言うのです。

仏教の考え方も如来や観音や菩薩などという大勢の神様がいるので、日本人には全く
違和感なく神様として受け入れてしまい神道と仏教は一緒に信仰されていたのです。

仏教と神道を違うものとして分けたのは明治政府です。
1300年以上問題なく一緒に信仰していたのに、たった150年前に勝手に分けられた
だけですよ。
キリスト教やイスラム教とは全く別物ですが、仏教と神道は日本では本来は一緒に
信仰されていたということをご理解ください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

結論から言うと祭典関係者次第です。


ですが参加強制はまずありえませんし、よってその流れで参加拒否も起こらないと考えます。

ところで日本では仏教徒の定義は曖昧で良くわかりません。
お坊さんは間違いなく仏教徒でしょうし、檀家もそうでしょう。ではそれ以外の一般人は?

その時に応じて様式を変えてしまうのは現代日本人の特性というか、
それが当たり前になりすぎて、ところがそれが寛容さになっているのだとすれば満更、悪くはありません。
八百万の神という考え方をすれば、全て等しく見ることができるので、
そういう感覚を祭典関係者が持っていればトラブルは起きないと思います。

ところで排他的と思われるイスラムのコミュニティーにもラダマン体験を出来るところがあります。
決して他の宗教や文化とは交わってはいけないというわけでもないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/08/14 14:52

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