プロが教えるわが家の防犯対策術!

私と同じデイケア施設に通う年寄りの中に、昭和2年生まれの意地悪なじいさんがいます。本人のいうところだと、14歳から兵隊に行き、終戦時に山形の憲兵隊で、中尉だったとかー。憲兵だったことや、実際、戦場に行かなかったことなど、自慢できることはなにもないと思うのに、じいさんは憲兵中尉だったことが自慢で、戦争を知らない世代に吹きまくってます。
そこでおたずねですが、いくら帝国陸軍でも当時18歳の若造を、中尉で遇したでしょうか?、終戦で位階が上がったことは聞いていますが、下士官、兵から、いきなり中尉になれたのでしょうか?、憲兵隊だけの特例があったのでしょうか?
じいさんの言うことをみんなが信じ込んで、伝説になる前に、教えていただければ幸いです。

A 回答 (7件)

数え14歳で兵隊と言うことは陸軍幼年学校入校しか有りません。


3年で卒業すると下士官ですがそのまま陸軍予科士官学校に入校するのが一般的、そうすると2年で卒業して見習士官(准尉)、半年で少尉に任官します。
終戦時に1階級進級するのであり得ますね。
    • good
    • 0

先ず、ウソでしょう。


昭和2年で、当時の旧制中学を、17歳で、卒業し、陸軍士官學校に、入学し、少尉に任官するのに、4年は、掛かりますよ。
爺さんが生まれたのは、1927年です。
旧制中学を17歳卒、士官學校卒で、少尉任官する迄、4年とすると、1927+21=1948年と、成り、日本の敗戦が、1945年に成るので、少年兵位しか、考えられません。
少年兵なら、せいぜい、上等兵位で、下士官にも、なって居ない計算です。
    • good
    • 0

幼年学校出て陸士行っても昭和2年生まれじゃせいぜいが


少尉かな、俗にいうポツダム中尉さんかな?
しかも憲兵でしょ?あの兵科は教育に時間かけたので
無理ってのが一般論、しかも憲兵中尉だったとして
戦後戦犯容疑掛けられているはずですし戦中も一般兵科からは
蛇蝎のごとく嫌われた連中で決して自慢は出来ない兵科です。
ウチの遠戚が憲兵で戦犯逃れで戦後2年間群馬の山の中で隠遁してたって事を
恥だけどと話していました。(とっくに亡くなってますが終戦時憲兵下士官)
まあ他の方も言われる通り爺さんは次第に自慢の妄想が膨らんでいるだけで
恐らく戦中は憲兵に頭が上がらず怖い思いをした人なんじゃないかな。
暖かく見守ってやって下さい。
    • good
    • 0

ご質問者さんは、同じくデイケアに通われているんですよね。

ケアを心得ている介護士は否定をする事はないでしょう。また、他の入所の方々も当時の状況をご存じな方も多い事かと思います。その中で否定されず続けられている行為をどう感じられますか、私から言わせていただければ「どうでも良いこと」「本人が気持ちが良ければよいこと」なんです。それよりもお水を飲んだり、ごはんを食べたり、便秘をしなかったり、笑ったり、喜んだり、皆で歌をうたったり、良く眠れたり等の長生きするために大事な事が沢山あります。ただ相談者さんが不快に思うことはご自分に宜しくないかと思います。まずは「どうでも良いこと」と思われて、それでも宜しくなければ介護士に相談されると良いかと思いますよ。
    • good
    • 1

>じいさんの言うことをみんなが信じ込んで、伝説になる前に


そもそも、お年寄りの物証のない過去の武勇伝を本気で信じる人なんて殆どいませんよ。
周りは「へーすごかったのねー」と表面上は話を合わせてあげているだけです。
細かい追及はしてあげないのが優しさってもんでしょう。
お亡くなりになった後で確かな物証が出てきて、「あれ本当だったのか!」と親戚一同が驚く
(つまり誰一人信じていなかった)なんてこともありますけどね。
    • good
    • 1

原則として「少尉」以上の士官になるには「陸軍士官学校」を卒業しなければなりません。

それ以外では一般大学を出てなるケースもあったようです。

たたき上げの古参兵は下士官止まりで、特に功績のあった者だけ少尉の下の「准尉」になることがありました。
じいさんの記憶の中では、自分はどんどん出世しているのかも知れません。

今度「陸士の何期卒ですか?」と聞いて見れば。
    • good
    • 0

ほんとか嘘かわかりませんが、おじいさんの言うことなので、みんなで誉めてあげればいいじゃないですか

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!