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太平洋戦争時、旧日本軍兵士が使用していた銃は自動小銃(マシンガン)だったのでしょうか?
たしか、米軍は自動小銃あり、火炎放射器ありで、装備は旧日本軍よりはるかにまさっていたと記憶しております。
お詳しい方、どうぞよろしくお教えください。お願いします。

A 回答 (7件)

おそまきですが。


 旧日本軍兵士が使用していた小銃は主に38式・99式と言われる1発撃つごとに槓杆を引いて次弾を装てんするボルトアクション式ライフルでした。それぞれ各種派生型がありますが、38式シリーズが340万丁、99式シリーズが250万丁ですのでいずれも日本の歩兵の主力小銃といっていいと思います。特に38式歩兵銃は他の国の小銃よりやや小さめの6.5㎜口径の弾を採用しており、反動が小さく、弾の直進性も高いため他の国の小銃と比べると命中率はかなり優秀という評価を受けています。
 
 アメリカ軍が主力銃として採用していたのはM-1(半)自動小銃で、最初に槓杆を引いた後は1発発射するごとに次弾が自動的に装てんされる小銃です。マシンガン(機関銃)とは違います。設計が行われたのが1920年代ですから、原型が1890年代である38式とはひと世代新しいものになります。
 ただしM-1も米軍が前線にいきわたらせることができたのは1942年以降であって、それまでは日本軍と同じボルトアクション式ライフルでした。アメリカ以外、イギリス・ソ連・ドイツ等も日本と同じ1900年代末に採用されたボルトアクション小銃が主力で、特に日本軍が遅れていたというわけではありません。半自動銃は弾の消耗が激しいため、脅威的な輸送力を持つアメリカだけが採用できたということです。

 ちなみにアメリカ軍の歩兵小隊の兵器はM-1小銃が基本、将校がM-1カービンとよばれる小型の半自動銃や拳銃、BARという自動小銃(軽機関銃に近い)が数丁という感じだったようです。対する日本軍の歩兵小隊は38式(もしくは99式)が基本、これに加えて軽機関銃数丁、擲弾筒という一種の手りゅう弾発射機という構成です。一説によれば軽機関銃+擲弾筒のおかげで中距離での撃ちあいでは日本軍の方が火力密度が上回るケースもあったとか。旧日本軍は白兵突撃専門で火力軽視なんていう人もいますが、実際には日露戦以降は歩兵小隊の火力は軽機関銃が中心であったことがわかっています。ただ弾がなかっただけのことで。

 火炎放射器は歩兵小隊の装備というより、基本は工兵が使用する兵器だったようです。これは日本軍も日中戦争の頃から使用しており、米軍だけというわけではありません。
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この回答へのお礼

大変わかりやすく回答くださりありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2017/10/06 15:14

三八式小銃は1905年(明治38年)の仮制式制定(採用)を経て、翌1906年(明治39年)に制式制定されたものです。

 因みに、武器の場合、「採用」することを「制式制定」すると言います。 九九式短小銃、九九式軽機関銃、九九式狙撃銃は、昭和14年(皇紀2599年)に仮制式制定されました。 九九式とは皇紀2599の下2桁を取ったものです。
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この回答へのお礼

皇紀2600年とは、昭和15年(1940年)のことですね。
大変助かりました。

お礼日時:2017/10/06 15:18

零戦は、正しくは「零式艦上戦闘機」と呼びます。

ゼロ戦では無く、昔の人は「れいせん」と呼んでいました。こんな呼び方をする日本人は間もなく死に絶えます。戦前の日本は皇紀を信じていました。神武天皇を信じていたのです。そして昭和14年は皇紀2,600年だったのです。零戦は、昭和14年に制式戦闘機となり、初陣は中国戦線でした。90代の名前がついているのは、全て皇紀と考えて良いでしょう。勿論99式歩兵銃は、昭和13年制式銃となったのです。

つまり日中戦争頃の兵器は皆皇紀で呼ばれたのです。即ち零戦=昭和14年制式艦上戦闘機になったという事です。しかし三八銃の由来は、明治38年なのです。日本の民族主義が信じられないほど高揚して、遂に皇紀から数えだされたのですが、明治はまだ冷静だったのでしょう。自衛隊の兵器は西暦から名付けられていますが、これが変化するとやはりやばいと考えられざるを得ません。三八短小銃は、第一次大戦で、カイゼルの軍隊の立てこもる、青島のドイツ軍攻撃だと伝わっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/06 15:15

自動小銃は、マシンガンとは言いません。

オートマチック小銃です。マシンガンは、普通機関銃と呼び、軽機関銃と重機関銃があります。小銃は、手動式のボルトアクションの単発銃や、自動式の単発銃、連発銃が有ります。機関銃と自動小銃は、使用目的が異なるため、明確な発射速度の違いが有ります。現在のM16は理論値900発/分ですが、実用350発/分程度でしょう。大戦時ドイツのMG42は、1200発/分と言われていますが、実用には900発/分と考えられますが、2000発ぐらいで、銃身が焼けるので、映画の様には撃ちません。

三八式は、先の回答者様の回答された通りです。米軍のM1は三八式と同時期に開発された半自動銃で、引き金を一回引くと1発発射出来る単発銃でした。ボルトアクションではなく、自動拳銃と同じような仕組みで、遊底がスライドして発射のたびに槓桿(ボルト)を操作する必要がなく、弾倉がが尽きるまで遊底操作は必要ありません。日本には半自動の銃は制式銃としては有りませんでした。勿論半自動銃も自動小銃です。銃弾はM1ガーランドが7.62mmであったのに対し、三八式は、6.5mmとやや小さめでした。三八式は火薬量が多かったのか反動が強く、発砲時注意しないと肩に怪我をしたそうです。又戦闘で三八銃を連続して速射すると、120発程度で熱くて銃が持てなくなったそうです。発車時薬莢は膨張するため、ガス圧で作動する自動銃は、ボルトアクションより信頼度が低く、二次大戦では、自動銃を主力にしたのは、米ソ二国でした。そしてソ連の自動銃は、殆どジャミングを起こさず、現在では泥水に浸けても発砲が可能とも言われています。

マシンガンと呼ばれる軽機関銃は、ドイツではシュマイザー、アメリカはトンプソン、イギリスはステンとありましたが、ソ連の通称バラライカは、自動小銃の部類に入ります。基本的には小銃は狙撃用なので、自動小銃には単発とは別に連発で2点バーストや3点バーストの機能が付加されているもの多く、現在主流の様です。そして先に述べた軽機関銃は、有効射程も短くて市街戦用で命中精度は期待出来ないものでもありました。野戦用の旧軍九六式軽機関銃は、三八銃と同じ弾薬を使用して、陸海軍の主要機関銃となりました。米国の1941軽機、イギリスのブレン軽機、ドイツのMG42、BZ26チェコ銃等傑作軽機は多く、各国の歩兵銃やマシンガン携行兵士には恐れられました。付け加えれば携行マシンガンは、ドイツ流のマシンピストルと言った方が区別しやすいと思います。

旧日本軍と米軍との戦闘は、ジャングル戦が多く戦われましたが、日本陸軍の主力は、中国大陸で戦っていて、命中精度の優る長距離射程の三八銃が利便性を発揮したため、自動銃の開発が遅れました。つい最近まで自衛隊の儀仗兵が使用していた九九式歩兵銃は、多くは生産されずに敗戦を迎えました。銃身を短くした99式は、日本人の体格に良く合致したボルトアクションでしたが、やはり米国のM1ガーランドや、カービンに発砲速度は大きく劣り生産数もわずかで、戦局を変える事は有りませんでした。

火炎放射器に至っては、日本軍の抵抗が制圧されてからの兵器で、抵抗力殆ど無くなった降伏しない日本軍には有効でしたが、その他の戦線で活躍したとは聞きません。ペリリュウー島では、濡らした毛布を洞窟に吊り、火炎放射器を防いで反撃したとも言われています。しかしながらこの兵器を使用されたと言うことは、銃砲撃で圧倒されて使用を許してしまったと言う事で、質問者様の言う通りです。
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この回答へのお礼

詳細にわたる懇切丁寧なご回答をありがとうございました。大変助かりました。

ところで、38式とは明治38年製造の意味ですね。ならば99式とは何の意味でしょうか?
その由来がわかりません。どうかお教えください。お願いします。

お礼日時:2017/10/02 15:59

歩兵銃の場合は、米軍でも半自動(M1ガーランド、M1カービン)ですから、全自動は第2次世界大戦で使用している例は少ないです。

(ドイツ軍はアサルトライフル(StG44ーMP43、MP44)や軽機関銃(MP-40)などは使用しています)
なお、第2次世界大戦においては、米軍以外は、ボルトアクションが主流なので、特に日本が遅れていたわけでは無いです。(ドイツは開発はしていましたが、量産が遅れたので、主力ではありません)
全自動は、設計が悪いと、ジャミングした時に、復旧に時間がかかりすぎるので、実戦投入には、相当のノウハウが無いと難しかったと言う事でしょう。
そういう意味では、ボルトアクションはある意味、確実性の保証があります。
M16などの、アサルトライフルでは、コッキングレバーで、弾丸の装填や、排莢動作を行いますが、ボルトアクションライフルほど頑丈なものではありません。
全自動は、どちらにしろ、反動の制御が難しいので、設計が悪い場合は、射撃姿勢によっては、命中精度は著しく落ちますから、実戦でも半自動で使用する方が多いと言えます。(弾薬が豊富にあるなら、命中を狙うより、威嚇で撃ちまくると言うのはありえるかもしれません)
日本軍は、それほど弾薬は豊富ではありませんから、三八式歩兵銃で十分との判断だったのでしょう。
機関銃自体は、歩兵銃としてでは無く、重火器として使用しています。
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この回答へのお礼

詳細にわたるご回答をありがとうございました。よくわかりました。

ところで、38式とは明治38年製造の意味ですね。ならば99式とは何の意味でしょうか?
由来がわかりません。どうかお教えください。お願いします。

お礼日時:2017/10/02 15:57

旧日本軍兵士が使っていたのは、ボルトアクション方式の三八式小銃です。

 この小銃が長く使われたのは、日本人向きに適した性能だからでした。 3.75Kg(1貫目)6.5mm銃弾と軽く故障も少なく、その割りに長銃身で命中精度がよかったからです。
自動小銃や接近戦で活用される短機関銃は各国では活躍しましたが、日本では研究も活躍も芳しくありません。 100式(1940)短機関銃がパレンバン油田への空挺部隊に使われたほか、空挺作戦には多少使われましたが、肝心のジャングル作戦に使われた様子はありません。 自動小銃や短機関銃は大量の銃弾を消費しますが、残念ながら当時の日本にはそんなに大量の銃弾を製造供給する工業力がありませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ところで、38式とは明治38年製造の意味ですね。99式とは何の意味でしょうか?
どうかお教えください。

お礼日時:2017/10/02 15:54
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/02 15:25

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