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中学歴史です。日中戦争で戦争が長期戦になったのは、何故だかわかりやすく教えてください。

あしたの期末テストに記述問題で、出そうなのでうまくまとめていただけたら嬉しいです。お願いします。

A 回答 (4件)

清国との戦争に、勝った、日本は、更に、満州での権益を争い、ロシアとぶつかり、日露戦争の、結果、日本の大勝利でした。



日本が、中国えの、列強に、負けまいと、遅蒔きに、中国えの侵略を、強め、1930年代に、日支事変を起こし、
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>何故だかわかりやすく教えてください。



あなたの知識がどれだけあるのか不明なので「わかりやすく」の程度が判断できません。



以下の回答ですが、私は努力して「わかりやすく」したつもりです。
私は、「わかりやすさ」=「簡単(短い文章)」ではない と思っています。
(賢明なあなたは、無知な者でもわかる言葉を使うほど、文章量は増える事は理解していると思います)



>日中戦争で戦争が長期戦になったのは、何故だかわかりやすく教えてください。


憲法9条が大好きで安倍政権を憎んでいる教師が担当なら、満州を侵略した日本が、更に中国を奪い取る為に戦略も補給も考えずに「進出」して、精強な中国軍に負けたからだと答えればよいと思いますが、そんなものは誰かが答えていると思います。


回答:(日本の真珠湾攻撃前から)アメリカも日本に戦争を仕掛けていたから。
アメリカは国民党(≠毛沢東、八路軍)のみに支援をして、日本には資源の禁輸等の制裁をしていました。

このような質問は、うんざりするくらいされています。日中戦争を日本の侵略と騙る意見もあったようです。

しかし、日中戦争は以下の経緯によって起きたものです。
その目的も、侵略ではなく満州の安全保障の為です。

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
そして、当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識が持たれていました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、日本人も犠牲になっており現場の緊張は極限状態に達していました。
満州事変はこのようなこれらの結果、現地の部隊が暴発し独断で行動を起こした為です。
これを侵略とするなら、その原因となった中国の行為も侵略であるはずです。

当時の中国領ですが、多くの国が投資しており、日本人以外にも在中外国人が多数住んでおり、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

共産党が勢力を伸ばしており、日本はその脅威も受けていました。

満州国の独立は、以上のように国防上の為のものでありましたが、同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
当時の鉄道は、最重要のインフラです(軍事的にも)
(満州事変以前の国境線のままだと、中国のテロや破壊活動から守れません。)

満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。
しかし、その統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です)
そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。
(というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います)

日本が統治していた満州国は治安が維持されていた為に各地から人口が流入し繁栄しましたが、
再びそれを狙った中国が、またテロ活動が始めました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。


↑の日本の行動について、アメリカは「侵略」と決めつけて、蒋介石に支援をする一方で日本には↓のような経済制裁を行いました。

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

これにより紛争が長期化し、大東亜戦争に発展します。

上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」

と述べています。

パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。


《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》


対米戦争については、日本がだまし討ちの真珠湾攻撃は始まりだと言う意見をよく聞きます。
しかし、私は以上の事から、戦争を仕掛けてきたのはアメリカの方だと思っています。


アメリカが日中戦争に関与した理由は、蒋介石に協力する事で世界で最後に残った「市場」としての中国と、欧州戦争に参加する理由を得る事です。

欧州については、それにより連合国は勝利できました。
しかし、アジアでは戦後に中国が共産化してしまい、アメリカの計画は失敗しました。
更に朝鮮戦争が起きて、戦前の日本が共産主義とも戦っていた事に(今更のように)気が付きました。
アメリカと戦勝国は、その選択の後始末を未だに続けることになってしまっています。
「中学歴史です。日中戦争で戦争が長期戦にな」の回答画像3
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日本には、中国のような広大な国土で戦った経験も戦略も有りませんでした。

そして中国軍は、アヘン戦争や日清戦争の頃の兵士ばかりで、戦意は低いと侮っていました。しかし日本の貧弱な経済では、中国の面の占領も、主力軍の補足も不可能で、拠点を占領する事が精一杯でした。

一般に言われている、「八路軍強かった」は、全くの嘘で、ゲリラ戦しかできず、日本軍と雌雄を決するような軍事力は持てずに消耗を避ける襲撃しかできませんでした。米英に支援された国民党の軍隊は、戦意も高く日本軍を翻弄したのです。この為とうとう重慶までは攻め込めませんでした。

米英の援助は、長大な陸路によるものでした。海路と陸路では、量的な輸送は大きな隔たりが有ります。あの日露戦争では、シベリア鉄道では量的に補給が出来ない為に、片側通行を行い、帰りの貨車はシベリアに打ち捨てたのです。険しい雲南の陸路をトラックで輸送など知れていますが、それでも日本は決定的な戦勝が出来なかったのです。貧しい援助を上回る中国軍の戦意だったのです。本当は中国軍は、強かったのです。これは回答者が多くの復員者から聞き取った事実です。

とテストで答えれば、点数は余り高くは無いでしょう。歴史を歪めてでも高得点を狙うのであれば、

1、日本の経済力と軍事力では、拠点を占領するのが精一杯でした。
2、米英の軍事援助は、日本軍を悩ませ、日本に決定的な勝利をもたらす事を不可能にしました。
3、共産党軍の八路軍は、各地に出没し、補給路をズタズタにして日本軍を恐怖に陥れました。この結果日本軍の戦意は著しく低下し、戦線拡大が不可能になりました。
4、主力の国民党軍は、奥地へと拠点を移し、徹底的に日本軍に対抗しました。
5、米英蘭仏豪の経済封鎖は、日本を益々疲弊させ、中国戦線を維持するに留め、無謀な太平洋戦争に突入させ、日本の敗戦に至りました。
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昭和12年末、中国軍の敗北がはっきりしてくると、ドイツが仲裁に乗り出してきて、蒋介石から休戦を申し込んでくると言う、和平の最大のチャンスがあったが、日中が和解して手を組むことで、日本が更にに強大化することを恐れた英米が蒋介石を支援するとうまく丸め込んで戦争を継続させたため。

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