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60歳超の老人の脳科学、思考回路についての質問です。

老人になると、自分では一切行動に移さない、実行しないものの、口出しや評価だけは積極的にしたがったり、本人つまり自分自身のことにはアバウトでガサツなのに対し、他人に対しては神経質で非常に細かくなる傾向があります。付け加えますと「自分は完璧である」という認識に達しているようです。
団塊世代前後をトップとした少子高齢化の中、私自身、60代半ば~70代前半の人達と日々付き合っていますので、尚、感じています。

補足としまして、東京西側~神奈川東部で生活していますと、ゆとり世代、氷河期世代、バブル世代においても、奇抜な人が多々いますので(俗に言うマナーや常識に欠けていると思われる人。私も何かと欠如していることを前提に)、今回、近年バッシングされがちな団塊世代前後を指摘、否定するものではありません。

この手の専門家の方や、詳しい方がおられましたら、ご回答をお願いします。

A 回答 (3件)

86歳の義母は中程度のアルツハイマー型認知症を患っています。


つい先日、要介護2の認定を受けました。
身体的衰えは認めますが、義母の現在の精神状態が認知症に寄るものなのか、元々の性格が起因しているのか、家族によって判断が分かれるところです。
嫁の立場である私や義姉は実のところ、夫や義兄ほど驚いていないんです。
会う度に「昔からああだったよねえー」と確認し合います。
さて前置きが長くなりましたが、今回の質問に対する私の回答は「老齢になったからではなく元々そういう性格だった」になります。
尊大な奴、捻くれた奴、嫌味な奴は若い頃からだったはずです。
老齢になり認知機能の衰えから更に強固になったのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「昔からああだった」はそうなのかもしれません。

実は、特に問題だなと思う人がおりまして、一方、その特に問題の人を昔から知っている臨機応変な人がいます。結論から申し上げますと、「今になって始まったことではない。あいつは昔からなんだよね」とのことなんです。

貴方様と同様に挟まれていまして、私も人格が破綻しそうなのですが、少なからず、反面教師にして行こうと考えています。

お礼日時:2017/12/16 00:39

私はそろそろ70歳、おっしゃる通りだと思いますが、そこからは逃れられないので許して下さい、仲間も同じです。

理由は簡単でその年になると政治家以外仕事が無くなり、責任も無くなる一方で力を発揮する場所が無い、老犬の遠吠えするしか無くなるのでうるさいのです。特に若いとき優秀だったのにアラばかり探す人に化けるのは悲しい。過去の栄光にしがみつき保守的になるのは先が無いからで、長寿の家系の老人はのんびりしていて、シルバー人材や市役所・区役所の下請けに活躍しています。お金があると狒々爺に化けたりもします。団塊の世代は世界的に突出しているため、経済が老人からの収入を当てにする様になり、医療も介護も大規模になってきました、年金財政が青息吐息になるのも受給者数がやたらに多いからです、我々が二十年後に通り過ぎれば大きく変わるでしょうが、もしかすると三十年後にならないとダメかも。何しろ百歳超の人口が既に一万を大きく超え、三十年後には十万を上回るでしょう、モルヒネでもくれと言いたいですが、ダメみたい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰る通りの傾向があるのかなと再認識しました。

失礼で生意気な話ですが、貴方様のような尊敬できる先輩ってやはりいます。派手に飾らず、一方では経験を基に物事を公平に分析、判断されているイメージ、印象というのでしょうか。若者、冴えない中年であっても、そういうところって良い意味でも悪い意味でも、冷静に見ていると思います。
私にも若い部下や後輩がいますが、私自身の偏ったこだわりを語らないようにしています。私自身も見られていますので。特に近年、中年層が無駄に「ゆとり世代、ゆとり世代、ゆとりの若者、ゆとりの馬鹿物」と叩くことが大嫌いです。

人口の推移やインターネットという情報化社会の中で、団塊世代がピックアップされやすいだけで、戦後世代等、一回り、二回り上の方でも同じ傾向があったと思います。正直なところ、団塊世代前後の方が60歳を過ぎている今、昔の60歳超の人達と比べて、むしろ優しいと思っています。
生意気なことを書いていますが、こんな私も擦れてきていますので、60歳を過ぎた頃にどうなっているかは自信がありません。

団塊世代前後の先輩方が他界する頃には、都市部においても、廃墟が増えることを予想しています。今後、新たなベビーブームが起きない限り、これまでと比べて、寂しい世の中になるだろうなと考えています。

お礼日時:2017/12/16 00:33

年寄りと若者の一番大きな違いって何だかご存知ですか。



その答えは、年寄りは若かったことがあるが、若者には年を取った経験が無いという違いです。この違いは決定的です。年寄りには若い連中が見ている世界が見える。そして、自分が繰り返しの痛い目の経験から、若者が思いつくようなやり方がその人を痛い目に合わせることを知っている。一方、若い者はそんな経験がまだ無いから、頭の中の理屈をこねくり回して、自分のやり方でうまく行く訳では無いと年寄りが経験で分かっていることでも、経験不足で、それがうまく行くと思い込んでいる。だから、親切な年寄りは、見るに見かねて、若い者に、自分のやってきたばかな経験をさせたく無いとの一心から、口出しや評価をしたがったり、若者に対しては神経質で非常に細かく忠告をする傾向があります。

勿論、若者はそんな年寄りのやって来た失敗経験が無いので、年寄りの忠告や警告を理解できず、うるさい年寄りだと高をくくって、結局、その年寄りと同じ様な失敗を繰り返す。そして年を取ってから、あの時の忠告を聞いておけば良かったと後悔を繰り返しているのが、世の中です。だから、それをうるさがっている若者もそのうち年を取って、口出しや評価をしたがったり、若者に対しては神経質で非常に細かく忠告をするようになります。俺は馬鹿だったけど、あんたも俺と同じ失敗をするなんて、忍びないじゃ無いかってな心境です。

でも、世の中には捻くれた年寄りも時々います。若い者が未熟ゆえに馬鹿なことをやり始めて、そのやり方では失敗することが年寄りには見えているのに、何も口出しや評価をぜず、若者に対しては神経質で非常に細かく忠告もせずに、その若者が奈落の底に落ち込んでいるのをニコニコしながら眺めている年寄りもいるようです。

人間、小言を言われているうちが華。年寄りにが匙を投げて、何も口出しや評価をぜず、その人に対して神経質で非常に細かく忠告されなくなったら、その人は誰にも相手にされなくなったのだと観念してください。
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この回答へのお礼

老人代表の意見をありがとうございます。

「馬鹿な若者を支えてあげている年寄り」とお答えになられているようですが、そういう立派な人も見ています。

一応断っておきますが、私は若者でもない中年です。経験のある立派な年寄りと、愚かな若者の中間なのです。
非常にフェアで、バランス感覚の取れた立場にあるかと思います。

私が挙げている年寄りは以下のようなタイプです。
・自分さえ良ければ何でも良い。
・やらなくてはいけないことを着実にこなさない。楽をすることが最優先。
・己の利権が全てで、己の利権のために悪知恵ばかり働かせ、何の責任も取らず逃げる。
・相手のことを少しも考えてあげることが出来ない。
・いつまでも己が現役代表と考え、足を引っ張る
・「若者、若者」とバッシングし、世代交代や文化継承を行わず、己が目立てばそれで良い。
・柔軟に対応せず「俺のやり方」をひたすら貫く。発生したトラブルをフォローしているのは現役の中年なのです。
(以上、表現が重複しているところがあります)

年功序列の時代ではなくなってきており、役割上、年寄りが中年や若者の下につかなくてはいけないケースが増えてきております。更に、年寄りや中年が「何も分からない若者の下へ」というケースが大企業で起きています(この例は、やりすぎと感じていますが、実在するのです)。

「人生の先輩である年寄りを労われ」「俺がアルバイトであろうが、下っ端の仕事には参加しなくて良い、俺は年寄りであり、年寄りの俺が正しい判断をしているのだ」「若者正社員の判断なんてどうでも良い。年寄りアルバイトの俺が決めるのだ(ただし権限のある者にはその姿を見せない)」「入社時の雇用契約の内容なんて今は関係ない。俺の居心地と判断が最優先だ」と。

以上のような人って、どういう経験からこうなるのでしょうか?
以上の内容に対してのみのアドバイスをください。挟まれる立場なので辛いのです。

お礼日時:2017/12/08 23:22

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