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あるところで、「愛とは誰もが持てるとは限らない。それは忍耐と努力とによって創り上げていくものだからです」という文を見つけました。

僕の中に、愛があれば何でも出来る、愛しているならば相手と連絡していないではいられない、愛してるならどんなに忙しくとも会うことが出来る、愛していれば周りは関係なくなる、愛していれば行動で自然と示せる…などという愛の形のようなものを思っています。

しかし、忍耐と努力という言葉を見て、それはどんな忍耐、どんな努力なのか?と思いました。まず思い出したのは、喧嘩した時とか「自分は本当に彼女を愛しているのか」という疑問に直面した時です。そこでは、自分の気持という努力ではどうにでもならないことなのかもしれませんが、ただふとした疑問でしかないかもしれない。ただ精神が不安定になっただけかもしれない。その不安定さに耐えてこれからも恋人と過ごすことなしでは、恋人との深い絆は創られない…などのようなことを思いました。

そこで、僕のここに挙げた例「自分は相手を本当に好きなのか?と疑問に思ったとき」に対する皆さんの考えと、
皆さんが考える「愛に必要な忍耐と努力とは何か」をより具体的に教えてください!

A 回答 (3件)

忍耐しているとか努力している自覚をしてしまった時って私的には愛は冷めつつあるように思えます。


ケンカや相手に譲れないこととか場合でもたやすく自分が相手に合わせられててそれが何の苦痛も感じない自然に出来る時、つまりその時は相手を本当に好きな時です。

で、これって我慢してるとか私が努力しなきゃという気持ちが出た時と「自分は相手が好きなのだろうか」という疑問を抱いた時私の場合はもうその恋愛は終わりが見えて来てます。

実際、彼の50%は好きだけど50%は嫌いだなーと感じるようになったら破局しました。

私の中には恋愛に関係なく忍耐と努力という文字がないので苦痛を感じたらやめるし相手のためにすすんで何でも出来る時それは忍耐でも努力でもないのです。

質問者さんの求めてる答えと多少ニュアンスが違うかも。
それにしても難しいことを考えて「愛して」らっしゃいますね。理屈の通らない、もっと感情にまかせて進んでしまって傷つきあうのも愛じゃないかと思う結婚不適格者でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

>忍耐しているとか努力している自覚をしてしまった時って私的には愛は冷めつつあるように思えます。

そうかもしれませんね。実際僕もそれは思ったりします。冷めつつあるというのは、まだ完全に冷めてないのだから、僕としてはそこで、「あ、(やっぱ)だめだ」みたいに諦めたくない、なんて考えたりします。
しかし、そういう風な考えをしていること自体で恋愛なんて出来ないのかな?とも思ったりします(どうなんでしょうね?恋愛が人生の全てではありませんが)
恋愛なんて所詮…みたいに思っていたり、または人生に対するニヒリズムが自分を支配してるような状況にあったりすると、途端に何に対してもやる気がなくなってきたりすると思います。

>それにしても難しいことを考えて「愛して」らっしゃいますね。理屈の通らない、もっと感情にまかせて進んでしまって傷つきあうのも愛じゃないかと思う

それも愛、これも愛、考えないで思うがままでも、相手のこと自分のこと合わせて(ある意味打算的に)考えるというのも、どちらが良いとは言えないけども、どちらが良いのだろう。僕は恋愛自体に興味があるようです。恋に恋してるのかな?

お礼日時:2004/09/26 22:51

くだらない例ですが、極端な話。


大好きな人があなたの前で、おならをしたら
しかもとびきりくさい、激しい音のヤツを。
初めてそれを目の当たりにしたとき、あなたはどう思うでしょうか。
とりあえず、うげぇ~くっさー!!最悪!
とか思いませんか?
だからといって生理現象は仕方ない。
(ここが忍耐にあたります)
くさいけど、責めるほどのことでもない。まぁ仕方ない、許そうと思うようになりませんか?
(これが努力にあたります)
すべてはこんな思考の延長線上にあると思います。
単純に考えすぎでしょーか。

こんな下品な例はおいといて、この人なら許せる、この人がそうして欲しいなら我慢しよう、こうしてあげよう、と思うことが「愛のための忍耐と努力」ではないかと。
要は自分がどう思っていても、たとえ正反対のことを望んでいても、自分より相手を優先できるかどうか、ということではないかと。
でも自分の選択ですから自分の責任を自覚しなければなりません。そこら辺のものさしが、相手に対する愛の大きさなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

解りやすい例で、何が忍耐、努力か解りました!

お礼日時:2004/09/27 16:39

「愛とは誰もが持てるとは限らない。

それは忍耐と努力とによって創り上げていくもの。」という言葉、日頃思っていることなので強く共感しました。

私は一人でいるのが一番楽です。そういう方も結構多いのではないでしょうか?忙しい人ならなおさらだと思います。「それでも一緒にいたい」と心から思える相手を私は愛せると思います。なので、恋愛には「一人で行動できて楽」な状態から相手に合わせる「努力・忍耐」が必要だと思います。

自分の日常生活に他人が入ると合わせることが必要になってきます。電話をかける、定期的に会うなど自分の時間をさくことが多いです。私にとって、それは「努力」です。その努力の積み重ねが信頼をともなった今につながっているなとつくづく思います。

私は学生なので、課題がある、試験がある、学校行事があるなど、いっぱいいっぱいの中で彼と会います。社会人の彼もすごく忙しい人なので平日、休日共にスケジュールはびっしりうまっているのですが、それでも相手を思いやって、会う約束をしたり、お互いの健康を考えて会うのをやめたりと常にバランスを考えてます。バランスを維持するのもこれからの二人を考えての努力です。

「愛があれば何でも出来る、愛しているならば相手と連絡していないではいられない、愛してるならどんなに忙しくとも会うことが出来る、愛していれば周りは関係なくなる、愛していれば行動で自然と示せる」というyourvoiceさんの考えは本当に素晴らしいです。「自然に」そういう行動がとれたらどんなに素晴らしいかとうらやましく思います。私は、「我」が強いのかもしれません。

どんなに疲れていても、離れていても、「一緒にいたい」ためには私には努力・忍耐が必要だなって思います。

色々な愛の形があっていいと思います。というか形なんて限定できません。yourvoiceさんの形も素敵だし、私の形もありだと思います。そんなにこだわらずご自分の感覚を信じてはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

そうですね、僕も孤独が好きなので、社交性を求められる場面で、忍耐と努力が必要ですね。

色んな愛の形があると思います。しかし、その形に当てはめようとするのではなく、結果的にこういう愛の形になりました!(当然こう告白しませんが)みたいであるべきだなと思いました。

お礼日時:2004/09/26 22:55

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