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森田療法で有名な鈴木知準先生の考え方を誰か知っている方がいれば、教えてください。

A 回答 (1件)

2か月間だけですが、入院森田療法を学んだ事が在ります。

26歳の頃だと記憶しています。毎日の作業は日記を書かせて読む事によって把握していたようです。

26歳と言っても、神経症になって12年後の事ですが、考え方がアマちゃんだったように思います。生き方の全てが甘いような感じだったと思っています。

ですので世間的な常識が良く理解出来ていない事が多かったように思っています。

作業と言っても、犬の散歩(ルイちゃん散歩)と呼んでいたもの、とか食事の後の茶碗洗いとか、庭の掃き掃除くらいだったと思います。

時々『講和』と呼ばれる時間がありました、折に触れ先生が参考になると思われる本を持って来て、読んで聞かせてくれるのですが、必ずいう事が在りました。『今は分からないだろうが、聞いて置くように、分る時が来たらピタリと分かるようになるから』というものです。

そうして、剣道の免許皆伝といった話とか、弓道の話で、弓は『自分が射るのではなくて、”それ”が射る。といったような話が多かったと思います。

そうして時々言っていた事が在ります、それは、『私の話は信用しなくとも良いですから、君達は、今までどのようにしても神経症が治らなかったものですので、試みに私の言うように動いて(作業をして)下さい。

もう一つは、ノイローゼは悟りを開かないと治らない。というものです。その当時は『ちんぷんかん』という感じでした、先生の話はほとんど理解出来ないでいましたが、先生の戸棚に『鈴木大拙博士の著作集』が沢山置かれていたのを目にしました。

退院してからは『鈴木大拙博士の本を買う様にして、時間がある限り読むように努めました。』そうしたらその6年後、自身の無意識の意識に出会うといった体験をいたしました。

私の症状は離人症でした、14歳から、死に対する恐怖症になってしまって、死刑囚の気持ちで過ごしていたものです。今になって思うなら、『自分が死刑囚になっている事自体を、受け容れられるはず等無い事』は明白だったと思います。

まるで夢でも見ているようでしたが、生きた心地などしなくなっていたものです。

自分の無意識の意識に出あった事によって、一瞬にして『ノイローゼが治った事を覚えています。』鈴木知準先生が言っていた事を体得した事を意味します。ノイローゼは知的理解では治らない、体得する以外は治らない。と言っていました。

死に対する恐怖症が治った経験をもう少し詳しく書くなら、自我意識は『死刑囚としてのわが身を認めたくない一心です。』言い替えるなら『永遠の命を希求しています。』こういった心の中の矛盾を『苦しみとか、生き難さとして、或は症状として』感じていたものですが、無意識の自分は『永遠の存在』だった事が出会いによってわかりました。

逆に言うなら『無意識の自分が、永遠の命を知らしめるために、或は希求させていた事に付いての、保証という型で、有限の自分を抱きしめようとしていた事に対して』その手を振り切ろうとしていた事が『自身の生き難さの正体』だった事を理解します。

自分が最も希求していた『永遠の命』を既に自分の中に持っていた事が理解出来ました。逆にそう言った救いの手を『自分で遮っていた事が。自分の苦しみだった事』が理解出来ます。

自分の肉体とか、お金とか、地位とか名誉とかには余り価値を感じなくなります。自分の命の価値とかには余り興味は無くなってしまいます。その代わり今まで余り価値として認めてこなかったものが、光り輝いています。

家内の笑顔とか、周りにいる人の笑顔とかに興味が移って来ます。

人生の目的が『余り自分だけの個人的な喜びだけではなくなってしまいます。』とは言ってもそれはそれで大事とは思いますが。

人間は死によっては滅ぶ事のない存在であって、実は『永遠からやって来て、肉体が滅んだとしても、魂はまた元の永遠に帰って行くだけ』という事が『身体で分かる体験』が、鈴木知準先生が言っていた『悟りを開かないとノイローゼは治らない』の裏に隠されていたと思います。

死によっても遮る事の出来ない、本当の安楽が、一切皆苦の後に控えていた事は、釈迦の教えとか禅の教えとか、或は究極の心の癒しの姿が宗教の中に存在している事を、鈴木知準先生の教えの中に存在していた事を貴方に報告して置きたいと思います。

今69歳になりました、32歳からだと神経症が治って既に37年が過ぎた事になります。毎日毎日有り難いと感謝しながら生きています。
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