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極度のあがり症で落ち込んでいます。
社内ミーティングなどで、発言しないけばならない
時があるのですが、頭が真っ白になってしまいます。
本日同様な場面があったのですが、頭が真っ白になり、
「何をどう説明していいのか○×△・・・」的な
ことを言ってしまい。結局何を話したのかは覚えていません。
まわりもなんとか最後にフォローしてくれたのは覚えているのですが。。。
「「緊張している人」を見て、まわりは「がんばれよ」という気持ちになることはあれど、決してその人の人格を否定したり嫌いになったりするわけではないから、思い悩む必要なない」的なことを「あがり症」克服サイトで読んだことがあります。その通りだと思います。
ただ・・・やはり「痛い人だなぁ・・・」とか「頼れない」、「ちょっとバカにしてしまう」ことはあると思います。

とりあえず下記のことを克服できれば、道は開かれると思うのですが、
なかなか難しいことです。

■まわりの目を意識しないようになる。
※話そうとするとき、「まわりからどうみられるか」をすごく意識してしまい、話すべきことに集中できず、頭が真っ白になる。これが一番の緊張の要因だと思います。

■失敗してしまったあと・・・
落ち込まないで済む方法。かなり引きずってしまい、恥ずかしさと恐怖で3日くらいは夜眠れません。仕事にも集中できません。自意識過剰かもしれませんが、自分が緊張した場にいた人たちからは「悲しい人・・痛い人・・」と思われているようで、意識してしまいます。そして次回このような場面に遭遇したとき、同じ失敗を繰り返すのではないかと恐怖に襲われます。

今、仕事を辞めたい、とまで思ってしまいます。(明日も会社に行きたくない)
泣きたい気分です。自己嫌悪でいっぱい。
でもこのままで一生を終えるのは嫌。
「あがり症」の自分とうまく付き合っていける方法が見つかれば、と思っています。

「こうすれば克服できる」的な読み物ひとおおり読みました。色々と試しています。
まず、「まわりからどうみられるか」というのを過剰に意識しないようにするにはどういう方法があるのか、をアドバイスしていただけたらと思います。「緊張する」こととは別に、常に「人から嫌われたくない」「否定されることを言われると異常に傷つく」自分がいて、それがまわりからの評価でしか、自分の価値を決められない部分になっていると思います。つまり、自分に自信がもてないのです。この性格はもしかしたら「あがり症」とリンクしている部分があるのかと。

ずどーんとした文章になってしまいしたが、、、
普段は明るい性格で「かなり気をつかう」タイプだとは思いますが、
対人恐怖ということはなく、初対面の人とでもうまく話せるほうだと思います。
むしろ、仕事がらみでよく知っている人、「この人はかなり頭がよく理路整然とはなしができる」すごい人だな~と思う人と同席したときに緊張します。

支離滅裂な文章になってしまい申し訳ありません。ただ悲痛な思いを聞いてもらいたかっただけのような感じになってしまったかもしれませんが。。。

同じ症状のある方、どのようにうまく「あがり症」とつきあっているか、等教えていただければ、と思います。また「あがり症」でないかた、「あがる人」を見て、どんな印象を受けますか?

何でも良いのでご意見いただけると嬉しく思います。

A 回答 (7件)

自分も以前は極度のあがり症でした。



一番酷かったのは中学校~大学2年くらいまでで、以下のようなことがありました。

・部活の部長、クラスの代表等に推薦されたが、壇上で話すのがいやで全部辞退した。
・一度だけ代役で全校生徒の前でしゃべったが、最初の一言目が出ずに失笑をかった。続けて出た言葉もわけがわからなかった。
・国語の朗読の時間に、読むのが嫌で順番が近づいてきたらトイレに逃げたことがある。
・大学のサークルの自己紹介でうまくしゃべれず、おもいっきりひかれた(と思う)。

そして今はというと、以前の自分からはびっくりするほど克服できてます。
克服方法は、「場数を踏むこと」でした。

私が大学時代に所属していたゼミでは、卒業時に必ず外部の学会で発表しなければなりません。
そのため、本番まで5~6回の発表と発表練習をしなければなりませんでしたし、
ゼミ生30人くらいの前で毎週、進捗状況を報告しなければなりませんでした。

最初は本当に苦痛で、ゼミを移るか大学を辞めるかまで考えましたが、
耐えて毎週発表をしていたら、だんだん苦痛じゃなくなってきました。
あがらないコツというか、どうしゃべったらどもらずにしゃべれるか、
どのくらいのスピード、音量でしゃべればいいかがだんだんわかってきました。
じぶんは緊張するととにかく早口になってしまうようで、「ちょっと遅すぎるだろ」
と思うくらいゆ~っくりしゃべるようにしたところ、1年後には
あがりに関することを全く意識せずに発表することができるようになってました。
学会発表も、一度も噛むことなく緊張も(あまり)せずに行うことができました。

非常に苦痛でしんどいかもしれませんが、私の経験からいえることは、
苦しくてもとにかく場数を踏んでトレーニングして克服するのがいいのかなと思います。

むしろ、初対面の人とでも気軽に話せる質問者さんのほうがうらやましいですよ。
自分は人見知りなのでなかなかうまくいきません。
そっちのスキルのほうが社会生活では大事だと思うので。
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この回答へのお礼

areddin711さん回答ありがとうございます。

>最初は本当に苦痛で、ゼミを移るか大学を辞めるかまで考えましたが
そこまで辛かったことなんですね。

でもそれを克服したareddin711さんはすごい。

実は昨日、ほかの人にも相談してみましたが、確かに「ゆっくり話す」だとか「あとは話す際の姿勢」ですが、だらしなく見えない程度にくずすとかいうことで緊張がとける、とききました。

場数を踏む、ということは、たんに場に慣れることだけではなく、areddin711さんが書かれたように、
(どのくらいのスピード、音量でしゃべればいいかがだんだんわかってきました。)
自分が落ち着いて話をできるコツみたいなのをつかんでいくことができるかもしれないということですね。

ひどく落ち込んでいたのですが、ちょっと希望がもてました。
ありがとうございました!

お礼日時:2008/07/11 16:57

心療内科に行き、相談したら良いと思います。


社会不安障害と言って、あなたのような症状で悩んでる人が、飲まれる薬が出されます。
かなり、辛そうなので、ぜひ行ってみられてはいかがでしょうか。
私は調子がよくなりました。
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この回答へのお礼

mousouさん、ありがとうございます。
実は既に診療内科に通院しています。
緊張を緩和する薬を処方してもらっていますが、
あまり効き目がありません。
セカンドオピニオンを求め、近々に別の医院へも行ってみようと思います。

mousouさんは調子よくなられたんですね。
私も色々な視点から解決策を探してみます。
(専門家に診てもらって、正しい処方やカウンセリングをしてもらうのは重要ですよね)

お礼日時:2008/07/18 02:11

あがり症をどうにかしたなのならば、あがってもいいと思うようになる


ことです。

あがることはいけないことだと思っていれば、実際にあがってしまえば
自分はいけないことをしてしまったと自責の念にとらわれるだけです。
あがっていいと思っている人があがったとしても特に何も問題にはなら
ないはずです。
ある問題を自分にとっての重大な問題にしてしまうのは考え方にあると
思います。

失敗してはいけない、あがってはいけない、上手く話せなければいけな
いなどと思っていることが問題を解決出来ないようにしているのです。
失敗をしていいし、あがっていい、上手く話せなくてもいい。
でもそのままでいなければいけない理由はないので、少しずつ出来るこ
とを改善していくだけです。

まわりからどうみられるか気になるときは、お好きなようにどうぞ見て
くださいと思えば意外と気にならなくなると思います。
相手の頭の中で起こることは自由にさせてあげて、それについて関知し
ようとしないことです。
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この回答へのお礼

hamakkotarouさん、ありがとうございます。

「あがり症」がいけないこととは思っていないのですが、
やはり「格好悪い」「恥ずかしい」と考えてしまう自分がいます。
「いい格好したい」という想いが先行してしまうというか・・・。
そんな自分が嫌いです。

>まわりからどうみられるか気になるときは、
>お好きなようにどうぞ見て
>くださいと思えば意外と気にならなくなると思います。
>相手の頭の中で起こることは自由にさせてあげて、それについて関知>しようとしないことです。

達観しているhamakkotarouさんはすごいなぁ、と思います。
是非そうなりたいのに、なれない自分がいます。

>でもそのままでいなければいけない理由はないので、
>少しずつ出来ることを改善していくだけです。

そうですね。慌てずに・・・ゆっくりと前進できれば良いと考える努力(すぐには難しいですが)をしようと思います。
「まわりのことを気にしなければいい」という意見だけでは無く、「少しずつ改善する」という言葉をかけていただいて本当にありがとうございます。

お礼日時:2008/07/18 02:20

貴方は「上がり症」という事ですので『神経症』の治り方という事で説


明してみます。神経症というものは人によって様々な「症状」が在りま
す。貴方は「書徑」というもの、又は「吃音」そのほか「不安障害」そ
の他にもいろいろと在りますが、ご存知でしょうか?

それらのものは『症状』は全く違って見えますが、その根本原因は皆同
じです。貴方の上がり症とも、全く同じ原因から症状が出てきていま
す。それは『心の対立と矛盾』からです。

普通誰も自分は自分一人と思っています。処が「心は絶えず相談や、言
い争いや、反対の事を考えている」という自分の心に気が付くと思いま
す。この事は説明していると大変な時間が懸かりますので、説明はやめ
にします。

上がり症の克服方法にいきます。神経症というものは『意識』した事が
そのものズバリと「症状名」になっています。『意識』するという事が
「辛さであり症状名であり、生き難い想い」と言う事です。そうしてそ
の「症状」を取ろうという心の動きが『症状』を本人の心にしっかりと
固定させています。

ですから「神経症」の症状は『無くそう』と思う事によって返って『意
識の上に昇ってくる事になります』自分の症状を意識してなくそうと、
考える事事態が『症状を作っています』心のジレンマ、心の悪循環にな
ってしまいます。

神経症を直したいと考えるなら、『症状』は不問ということになりま
す。症状は治らないものとして『諦めてしまうのが』近道になります。
症状は有ったまま生活を続けてゆくのです。そして学ぶ事が在ります。

始めに「人間の心のクセ、心のカラクリ」というものを学ぶ事です。其
れには『森田療法』というものを学ぶ事が良いと思います。貴方と同じ
事で悩んで克服してゆく人達が載っています。そうして有る程度判って
きたなら、次の段階です。

その次にもっと『心の自由』というものを望むなら『禅』というものを
学ぶと良いかと思います。意識した事から離れられなくなるのが『精神
疾患』というものです。禅の中には『生死』の問題にさえ左右されない
ほどの『心の自由』が在るからです。

その中には『精神疾患』というものの『完全解決』というものが有るか
らです。『心の矛盾』の解決です。自分の中の自分を悩ませている者と
の出会いの事です。自分自身を知ると言う事です。それが出来たなら貴
方なら『上がり症』の完全解決という事になります。

そのために『症状というものは無視して相手にしない』
人間の心というものを広く学んでゆく事。
そして『人間はどうして悩み苦しむのか』と言う事を学んで下さい。

その答えを知る事があなた自身の問題を解決する事になるからです。
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この回答へのお礼

tumaritou1さん、回答ありがとうございます。

奥深い意見で・・・専門家の方でしょうか?
ちょっと難しい箇所もありましたが(自分の理解力の無さ故、すみません)、確かに、自分はひとりではない。自分の中にもうひとつの人格がいるように思います。

「森田療法」聞いたことがあります。
調べてみます。

その上で「自分自身を知る」ということ、「心の矛盾」について今一度考えてみようと思います。

再度、ありがとございました。

お礼日時:2008/07/18 02:29

質問を読みました。

私も【超あがり症】になってしまいました。と書きますが、10年くらい前までは、単なる【あがり症】でした。当時私は、やるべきことはやる!言うべき事は言う!という人間でしたが、あるとき、会議で発言したことに対して、多くの批判をうけました。そのキッカケを作ったのがウチの上司です。それは周囲の人も驚くほど集中砲火でした。勢いあまって『お前!』呼ばわりされました。
そうです、ウチの上司に相談こそして、意見を聞いていたのですが、会議に間に合わず、上司の意見を無視した発言をしてしまいました。無残なもので、部下の前で、また他の部署の人間の前でボロボロになりました。困り果てた私を周りの人間は笑っていたのを良く覚えています。

それがキッカケで、上司の目や周囲の目が気になったり、言葉を選ぶようになったり、そのうち、黙り込むようになってしまい、何か発言しようとすると、妙に緊張して、声が震えたり、裏返ったり、恥ずかしい限りです。最近では、ドモリも出るようになりました。
病院に通院してます。

私もあなたと同じように会社に行きたくない日がほとんど毎日です。
特に会議の日には----。辞めたいと思うこともシバシバ。
改善策はありません。今私はその【トラウマ】退治をしようと考えています。うまくいけば良いのですが。

全く参考になっていないと思いますが、質問者もそんなトラウマがあるのでは? 参考にあることがあれば幸いです。
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この回答へのお礼

kumajiro4さん、ありがとうございます。

辛い思いをされたんですね。お気持ち察します。

私のトラウマは・・・やっぱり「しっぱい」ですね。
大勢の人の前で頭が真っ白になった状態がトラウマになっていて、
悪循環です。

トラウマを退治するには「しっぱい」を克服しかない気がします。
お互い辛いですが、何とか打開策を見つけたいですね。

お礼日時:2008/07/11 16:44

お気持ちよく判ります。


私の場合、ずいぶん前ですが、小、中学生の頃の、歌やリコーダーのテストの時がひどかったです。
普段は大声で歌えたりするのに、「人前でテスト」となると、
緊張で呼吸がうまくできず、もちろん声がまったく出ないような状況になってました。
リコーダーも息が苦しくて吹けませんでした(^^;)

そんな私も、大人になるにつれ、カラオケに行くようになり、少人数ながら人前で歌えるようになりました…。
他の方がおっしゃるように場数を踏むのは大事ですよね。

とはいえ、未だに大勢の前で「話す」事は苦手です。
私も質問者さんの性格にそっくりなのに加え、もともと話も下手なので、
緊張に拍車がかかります。
やはり、場数なんでしょうね。

今は苦しいでしょうけど、数をこなしていれば、
きっと前には進んでいると思いますから、めげないでくださいね。
私も頑張ります。
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この回答へのお礼

場数はおっしゃる方が多いですね。
とりあえず、場数をふんでみます。気持ち的にはしんどいですが。

Sachi_53さんの文章を読んでいて気がついたのが。。。
実は私もカラオケが嫌い。
本当は謳うのが好きなんですけど、人前で歌うならちゃんと「うまい」と思われないと・・・みたいなプレッシャーが。
そんなくだらないプライドが、「あがり症」を助長させているのかもしれませんね。

まず、カラオケを人前で歌ってみる、とかもちょっとした場数のうちに入るのかも、って思いました。

経験談等もありがとうございました!

お礼日時:2008/07/11 16:50

長いので、全部読んでいません。

申し訳ない。
私も極度のあがり症です。
私の克服法は、壇上などに立ったら、ゆっくりと聴取者を見渡すことです。じっくり時間をかけていいです。あがりの原因は焦りです。それと、うまくやろう、という気持ちです。じっくり見渡してください。そして、気がつくのです。案外人の話を聞こうとしていない人もいるんだなと。
聞いてなければしめたものです。気にしてないんですから、失敗しても何のソノです。
その次は、話を聞いてくれそうな人を探すのです。アイコンタクトです。その人に語りかければ、案外うなずいたりしてくれるものです。その人も立場上必死になるのかな?
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この回答へのお礼

r-utsugiさん、ありがとうございます。

たしかに話をきいてない人も結構いたりしますよね。
大勢対1ではなく1対1のつもりではなせばよい、というのも何かで読みました。

実は。。。私は大勢の前だとそれはそれでかなり緊張はするものの、、逆に少人数の会議の場での発表とかがさらに苦手だったりします。

お礼日時:2008/07/11 17:01

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