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努力ってなんですか?
よく、「努力に勝るセンスはない」とか「努力は裏切らない」とか綺麗事をよく聞きますが僕は絶対に「センスに勝る努力はない」と思ってます。
僕はスポーツや勉強に惜しみなく努力したことはありません。
でもゲームに関しては惜しみなく努力したと自信があります。
でもセンスがある奴には勝てません。
昨日今日始めた奴でもセンスがあると僕は負けます。
結局、努力は裏切らないとか綺麗事言ってる奴はたまたま「センスがあることに努力することができた」っていう偶然の産物だと思いませんか?
ひょっとしたら僕は勉強のセンスがあるかもしれない。
ひょっとしたら僕はスポーツのセンスがあるかもしれない。
でも、嫌いなんです、努力したくないんです、できないんです。
そうすると結局、プロや偉大な人ってのは好きなこととセンスがあることがたまたま一緒だった偶然の産物だと思いませんか?
だから、そんな人が偉そうに「努力は裏切らない」とか「努力を超えるセンスはない」とか言うのは変だと思いませんか?
人間、誰だって優れていたいと思うんです。
優れられないんです。
そんな一般市民を見て、上から目線で「努力は裏切らない」とか言うのってムカつきませんか??

A 回答 (18件中1~10件)

よく天才という方がいます。

ただ、天才の方は努力しないでも出来るんで、
最初はすごいなと思ってました。でも、他のことをおろそかにしてたんで、
退学になってしまいました。私はセンスがあるとか天才肌ではないので努力しました。

お陰で、総代になりましたけど、一生自分は努力しないと駄目な人間だと
認識しているので、いつでも頑張っています。
私がイチロー大好きなのは、日々の努力を甘くみないで、自分に厳しい面です。
そういう人間に近づきたいと励まされます。

努力はそれぞれの認識の中で培っていけばいけば良いんじゃないかなと。
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例えば細い木と大木を柱にしようとします。


大木は加工すればそのまま柱に出来ますが、細い木は添え木をして太くしないと使えません。
この場合前者が天才がする努力であり後者が凡人のする努力です。
このように凡人は天才よりも時間と手間をかけなければいけないのです。

現実的な話をすれば使う側は当然大木の方を選ぶでしょうし、そのような手間をかけて作った細い木の柱を選ぶというのは特別な事情でもなければまずありえません。
しかし、程度の差はあれど木はそのままでは柱に使えないのと同じく人も努力しないで結果を得る事は出来ないのです。
過程にこだわることなく優れたものを選ぶ心を人にも持ってもらいたいと思っています。
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才能があっても 努力しない人 良く見なさい


必ず行き詰まります

何故か
社会は一刻一刻変化しています
とどまる事はなく流れています
時に応じ 場所に応じ 人に応じ
才能は古くなり通用しません
どんな才能も知恵を働かせてこそ 生かされるのです

誰が何を言っても 
常に 一歩前に出る事を心がければ たいした才能がなくても
大成します

救いようの無い愚か者 と言われた 画家のスザンヌは
わたしは 毎日進んでいます と言いました
そして 大成したのです

才能のある奴
恐れない 強がる 時に無謀となり失敗する
才能がなければ これ必要ない 
震えながらでも 一歩前に出る努力が必要です
これを勇気と言うのです
この練習が いざと言う時 本当の力がでるのです
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やらずに出来る力も努力が出来る力も両方先天的な才能だと思います。


ただ努力出来る才能の方が専門分野の才能よりも応用力があることと切っ掛けで開花する場合が多いことから努力が美徳とされているのではないでしょうか?
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テレビゲームみたいに努力が経験値として数値化されてたりセンスが(ゲームによくある意味での)スキルとしてステータスに表示されてたら分かりやすくて良かったんですけどね。


ちなみに私も努力という言葉には疑問を覚えたりします。

例えばマラソンランナーとか走る競技の人で
①子供の頃から走るのが好きで好きでたまらなかった人
②家が貧しく電車やバスに乗るのも節約せざるをえなくて走り続けた人
③血反吐を吐きながらトレーニングの苦痛に耐え鍛えられた人
上記3人か同じ位、偉大な記録を出した際…誰々は努力したから尊いとか、誰々は努力してないとか、誰々は向き合い方に真剣さが足りないとか…周りが努力やセンスを語るのはナンセンスだと思うからです。
ですので私も成功者目線で努力を語る人はおかしいと思いますよ。
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相手に負けた理由を「センス」と言っていることこそが、「努力していない」ことの証明です。



「努力」を「ただ単に時間をかけること」だと思っているのなら、それは誤解です。
努力には「考えること」「工夫すること」を含みます。
それぞれの「負け」について、なぜ負けたのか、相手と自分で何が違ったのか、よく考えることが重要です。
「なぜ負けたのか」は具体的に考える必要があります。
あなたはそれを具体的に考えるのが面倒くさいので、考えるのを諦めて「センス」で片付けてしまっています。
それは「あいつは守護神に守られているから勝てた」とか「あいつはラッキーだから勝てた」とか言っているのとあまり変わりません。
科学的ではありません。

多少の偶然はあるでしょう。
しかし勝率が高い人には、なにか必ず「理由」があります。
それを冷静になって分析するべきだと思いますよ。
そういったことも含めて「努力」と呼びます。

また私の個人的な感覚から言えば、ゲームが「とてもうまい人」は勉強もできる人が多いように思います。
「勉強は嫌い。努力する気が起こらない」と言っておられますが、「嫌いなことはやらない」って言っている時点で努力を放棄していませんか?
「苦しくても頑張る」ことこそが努力ではないのでしょうか?
「苦しいことはやらずに、好きなことだけやる」ことを「努力」とは言わないと思いますよ。

ぜひ頑張ってみて下さい。
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そうですね、いじめですね。

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いや同意しません。

 社会は研究も、勉強も、プロ選手も、会社の仕事も、センスが有る人が努力して成り立っています。
センスだけで一流、二流にはなれません。 あなたの言うセンスとは、反射神経、直カン、才能の事ですか?
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たしかにセンスは大事ですよね。


もともと持っている力ってそれぞれ違うし、合う合わないもあるでしょう。努力すればそれだけの成果が平等に出てくるのは違いますよね。

だから上から目線だと思うのはわかります。
ただ、もともとセンスのある人たちも努力してきたのでしょうから、自分人生の中では、努力は裏切らないという言葉が出てきたのでしょうね。
逆に言えば、その人も万能ではないでしょうから、他の苦手な分野に関しては何もこなかったんじゃないですか?
わかんないですけど、野球一筋!勉強なんて知らない、とか。努力が報われないこともある経験はしてこなかったんでしょうね。もちろんそれはそれでありですが。

なので、それはそういう人が言っている、と割り切っていいのでは。
努力の受け止め方は人によって違います。何にどの程度努力するかも。あなたの価値観で割り切ればいいと思いますよ。

努力は裏切ることもありますが、努力することで可能性は自分で広げることはできますよね。
どの程度を目指すかで達成感が違うのだと思いますが、私は努力をすることで、少しは現状が良くなる経験をしているので、前向きに生きるためにも努力は必要、と個人的には思っています。努力しなかったことで後悔することには、たとえ報われない可能性があっても挑んでみています。
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あなたは努力ないのではなく、相手の努力に増していないのです。

だから、負けるのです。
また、相手が勝つのも負けるあなたがいるから勝つのです。
努力は達成のではないので、人生が終わるまで、ずっと努力です。なにかで終わるのではりません。努力を本当にする方は、死ぬまで努力します。それが、努力です。
あなたが、相手の方より努力をすれば、必ず勝てます。努力が単に相手より足りないだけです。
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