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1. 【Q:認識論における《コペルニクス的転回》の成否を問います。】は
《空間》編です。

2. この《時間》編は カントの文意がなかなか捉えがたく そこで次のく
だりについて それをどう読むか? そのよい読み解きはどうなるか? おし
えを乞いたいという質問です。

3. ▲(カント:時間は アプリオリな認識形式である) ~~~~~~~
4. それだから(☆ 省略)我々は 時間の経験的実在性――換言すれば
およそ我々の感官に与えられ得る一切の対象に関する客観的妥当性――を主張
する。

 ☆ 4-1. 《時が流れる》という素朴に実在的な感覚が われわれ人間
   にはある。と。

5. 我々の直観は幸いに感性的であるから 我々の経験には時間という条件
に従わないような対象は決して与えられ得ない。

 ☆ 5-1. 《感性》は その《時の過ぎゆくこと》を感じ逃さないとい
   うことだろうか?

6. しかし我々は 時間が絶対的実在性を要求することをいっさい拒否する。

 ☆ 6-1. 《絶対的》なる表現は問題だが ただし その拒否の心はい
   かなる内容か?

7. かかる実在性は 我々の感性的直観の形式を無視して 物の条件或いは
性質としてそのまま物に付属することになるからである。

 ☆ 7-1. それは 《絶対的》と むしろカントが先に一方的に条件づ
   けた表現をおこなったからではないのか? 
   
   7-2. だが 例の《物自体》を仮設するからには 《絶対性》は必
   要であって それによってどうしても《経験ないし現象》とは切り離す
   ということだろうか? ――次のくだりからは どうもそうらしい。

8. 物自体に帰せられるような性質は 感性によっては決して与えられ得な
い。

 ☆ 8-1. 感性は――たとえば恥ぢ意識ないしヤマシサ反応として――
   天与の《良心》というハタラキの成せるわざであり得ると考えられ そ
   れは 《物自体》とかかわっていることではないのだろうか?

9. これが時間の先験的観念性(主観性)の主旨である。

 ☆ 9-1. 《絶対性》を想定するかぎりで 《先験的・アプリオリ》で
   あることは そのままそれとしてみとめられよう。定義の問題である。

   9-2. ただし その《先験的・アプリオリな〔言ってみれば〕超主
   観性》に《時間》というものが入っているのか? 

   9-3. 入っている・つまり《時間なる形式》が 良心と同じように
   われらが自然本性に確かにそなわっている・・・として そうだとした
   場合 けれども その《アプリオリなそなわり》は 感官がそこから刺
   激を受ける対象のほうにも――経験世界なる場として――同じくそなわ
   っているものではないのか?

   9-4. 《時間の先験的観念性(主観性)》は 《時間〔および空間〕
   が経験世界において――それは 四次元の座標として分かりやすく捉え
   られるようなその――場と 互いに呼応していると言わざるを得ないの
   ではないか?

   9-5. なんで人間の主観のほうにだけ認識の形式としての時間〔お
   よび空間〕が 対象たる世界〔との接触〕より先にすでにはたらいてい
   る・・・と言えるのか?

(I.カント:『純粋理性批判』Ⅰ・第一部門・第二節 時間について 6
これらの概念から生じる結論 ( c ) 篠田英雄訳 1961 )
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10. 《コペルニクス的転回》は 時間・空間という形式が 生まれつき人
間にそなわっているというだけではなく さらにそのハタラキが 実際の時空
間なる経験世界とわれとの接触に先行する能力だと言えなければ 成り立たな
い。はずではないか?

10-1. その《先行性》は 時間的なあとさきのことであるよりも われ
われが対象を認識するときに 主導性を発揮するという意味であるらしいから。

10-2. 経験事物たる対象やその経験世界にわれわれがあい向かい合うこ
とによって 時間や空間をわれわれが認識するということ(その意味での天動
説)ではなく すでに初めに先にわれわれの身心たる存在の側に 時間空間な
る認識の形式がそなわっていて その物指しのごとき・人間の側の形式によっ
て世界を捉えるもの(その意味での地動説)であるからこそ 人間による認識
というものが成る。・・・ということであるらしい。

10-3. どうしてそんなことが言えるのか? いわゆるヒラメキや良心の
呵責といった心の動きは おそらく人間の側の――意志による――ハタラキだ
けなのではなく それ以上に何か経験事象を超えたチカラがかかわっているよ
うに思われることがある。あたかもそのような直観と同じように――時間なる
形式について――推し測ることが出来るだろうか? 知り得ようか?

10-4. そうだとしても――出来る・知り得るとしても―― それは 対
象たる環境世界〔が時間や空間として成り立っていること〕と 同時一体なの
ではないか? (=9-3や9-4)。

A 回答 (1件)

そういえば時間を経験することはなんなので物販僧ね。


時間を体験。デモ老化はする。

藻が南穴よ。
指定だの先生だのもみ上げだの

揉むだの。

カントの話だそれより。
数学的経験という本は有るの今検索したらスクロールシア。
とか現象学とか南アのd章ね。
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