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非常に疑問に思うので質問です。

世界中の人々のほぼ全員(少なくとも99%以上)の人間は人を殺したくないと思っていると思います。
しかし、どうして戦争をしようとする人が現れるのか疑問です。
仮に現れたとしても、そういった人(たち)が一国家の中心にどうしてなりえるのか疑問です。
仮に国家の中心にすでになった人(たち)が戦争をしようと言い出して、どうして国民の賛同を得られるのか疑問です。

そして、今世界のどこかでは戦争が起こっていますが、どうして、「人を殺すのはもうコリゴリだから、2010年の1月1日から世界中戦争一切禁止にしよう」
などといいだしたりする国家(または国連でも)が現れないのか、わかりません。

戦争は群集心理だから起こりえるのでしょうか?
もちろん複雑な要因が絡んでいるのでしょうが、
戦争は主に様様な利権のために起こるのでしょうか?
それにしても自国が大きな土地(地下資源含む)を手に入れることがそれほどお得なのかも疑問ですし、ましてやなぜ人を殺してまで実行に移そうとするのかさっぱり理解できません。

戦争をただの殺人と同じ扱いにするのは間違いとかいわれそうですが、結局のところ物理的には人を殺しあう行為であることには違いありません。
人を殺すのが全く目的外だとしても戦争が起これば自動的に人は死にます。

なんだかまとまりのないよくわからない質問ですみません。
私、あまり頭のよろしくない人間です。
なるべくわかりやすい言葉での回答お願いいたします。

A 回答 (25件中21~25件)

 一人を殺せば殺人者だが一万人殺してくれば英雄だ、という名言がありますがほんとうにそのとおりだと思います。

戦争も殺人者もやっていることは本質的にかわりません。
 ただ、戦争は「ぼくが」「人を殺す」という行為に「国(あるいはその人の属する集団)の命令(意思)で」という項目が加わります。一種の「制度」というか、お墨付きのようなものを社会から与えるわけです。「戦争で人を殺すのは共同体の意思に合致しておるからよろしい。ただし君が個人的に人を殺すのは共同体の意志とは無関係だからダメ」という抽象的存在(国家、民族、宗教……)による価値観があいだに入ることによって、行為そのものの生臭さが消え、なんとなくいいことをしているような意識さえ生まれてくるわけです。たとえばこれは、死刑執行人と死刑囚の関係でも同じです。
 たとえば、専業主婦と働く旦那さんの結婚関係は本質的に援助交際とまったくかわりません。しかし、社会の制度のなかで愛情にもとづく「結婚」というものが認められ、形式としてなりたっており、共同体の承認がえられているために、「結婚」と「売春」はまったく別なものとしてとらえられています。結婚/売春や死刑執行人/死刑囚の場合には、行為の生臭さを消してくれる共同体の価値観がプラスに働いていますが(積極的にいい評価を下す)、戦争の場合には現実のあまりの悲惨さのために、共同体のお墨付きそのものがどこかヘンなのではないかと感じる人が多いだけのことでしょう。オウムという宗教の名のもとで殺人が繰り返されたのも、当事者たちにとってはそれが絶対的な善であり、同様の「消臭剤としての共同体の価値観」がはたらいたためではないかと思います。
 軍隊というのは、とくに末端になるほど「考えずに動く」ことを強要される組織です。それは以上のような「共同体の価値観」を疑うことなく受け入れられるように、あえて人間の個性的な思考を停止させるためであるといえます。
 「人を殺すのはもうコリゴリだから、2010年の1月1日から世界中戦争一切禁止にしよう」という試みは人間の歴史のなかで何度かありました。パリ不戦条約などもそのひとつなのですが(実際には国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄でした)、実際の世界には、その協定による平和を利用して悪心をたくましうする人々がいるわけです。第一次大戦後の世界ではたとえばヒトラーがそうでした。彼の増長をゆるした原因のひとつは、第一次大戦後の平和主義、厭戦ムードであったといわれています。さらに悪質な場合には、そうした「平和の敵の増長」を利用して、「だからわれわれ平和主義者も武力を持たねばならない。平和の敵は先に叩き潰しておくにかぎる」という主張をする人々も登場します。
 平和主義は理想主義です。そして理想主義はたしかに現実世界において無力ではありますが、しかし理想主義がないところに存在する現実主義が理想主義以上にむなしいものであることは言うまでもありません。やはりそれでも「人を殺すのはもうコリゴリだから、2010年の1月1日から世界中戦争一切禁止にしよう」という発想はただしいものだとぼくは思います。
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アメリカの構造的な問題は♯1の方のおっしゃるとおりです。


付け加えるなら戦争の大きな要因は宗教です。
異教徒を自分たちと同じ重さの命であると考えているとはとうてい思えません。
反吐が出ますね。
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あなたと同じような考えの方ばかりなら、世の中本当に平和になるでしょうね。


でも残念ながら、今の世の中はいろんな考え方の人達がいます。
まして、宗教が絡んでくると本当に私たちの常識が常識ではなくなるのが現実みたいです。
自分たちの信じる神の為なら、人をも殺すって云うのが本質みたいです。
それが本当に正義と思っていますから、私たちが「それは間違いだ!」と云っても、聞く耳持っていません。
そういう種族がいるから、戦争はいつまでたってもなくならないのです。
また、宗教に限らず北朝鮮みたく独裁国家などは、一度そういう権限を持ってしまうと歯止めがきかないのでしょう。
何でも自分の思うがままに動くのですから、ある意味これも宗教的ですよね。
そんな地位を捨ててまで平和のためにとはまず考えることがないのでしょう。
こんな感じで本当に世界にはいろんな考え方を持っている人達がたくさんいて、みんなそれぞれ自分の主張を変えません。
自分たちの幸せのためなら、他の主張は排除する。
人類の始まりは一つだったのに。。。
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人類がなぜ戦争を起こすかというと一説によると人口爆発の抑制を本能的起こしているそうですよ。


何かの小動物では数が多すぎるとそれを抑制するためにみずから命を絶つそうですよ!
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こんにちは。


アメリカに限って言うならば、あの国は、政治、経済、文化、技術・・・全て軍事でもってるからです。

日常生活に使われてる技術の開発も全て、軍事開発のおさがりです。
有名なのはアメリカが世界中に売り込んでる原子炉は潜水艦用に開発した物を民間に売り込んでるわけです。

経済は軍事産業でもってますし、文化は「銃の国」ですよね。

文化的には、「フロンティアスピリット」は先住民の虐殺・略奪の歴史ですし、銃規制がうまくできないのは、そういう背景の上に、武器資本の圧力があるからです。

今日、「世界の警察」的な立場を大統領が堅持し国民がそれを指示するのも、そういう文化が根付いているからです。

しかし、こうして蓄えた強力な軍備は、使わないと次が作れません。
なので、何かと口実を付けて他国に戦争をしかけて兵器を消費し、再生産する事で経済を回す・・・という繰り返しになるわけです。
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