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私の出身地は栃木県真岡で、旧姓は「浅野」と言い祖父母から「広島、赤穂の浅野とは親戚だ」と言われていました。

私自身、色々調べてみましたが、浅野家の人が真岡藩主だったこと、広島や赤穂の浅野と家紋が同じなことくらいしか、わかりませんでした。

何かわかるかた、いらっしゃいましたらよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

浅野家自体は清和源氏の庶流とされていますが、


注目されるのは、ねね(おね)が秀吉に嫁いだことで親戚になり
浅野長政が義兄弟となることで秀吉の出世とともに出世していき、
五奉行の一人になりました。
浅野家はその後、長男浅野幸長が継ぎ、関ヶ原で活躍したので
初代和歌山藩主となり、その後は広島に入封され、
明治まで続きました。
つまり、こちらが本家(宗家)になります。

真岡に縁があるのは長政の三男である浅野長重。
秀忠の小姓を務め、関ヶ原での武勲で真岡を与えられました。
ただし、10年後には浅野長政の死去に伴い
長政の隠居地であった真壁に移り、真岡は返上しています。
大坂夏の陣で活躍した時の部下が大石良勝で内蔵助の祖先。
その後、加増されて笠間藩主となりました。
その子長直が赤穂藩主の不祥事の処理をしてそのまま国替えとなり、
長直ー長友ー長矩(内匠頭)と続きます。
真岡に浅野家の縁者が残ったかどうかは判りませんが、
真岡を領有した家が忠臣蔵の赤穂の浅野家です。
こちらは分家になります。

少し豆知識
赤穂事件後、内匠頭の弟浅野長広(大学)は広島の宗家に預かりとなり
その後の恩赦で安房の平群で旗本に復帰するまで広島の宗家から仕送り
してもらっていました。
赤穂事件で内匠頭が勅使饗応役で不慣れだったと言われますが、
実は饗応役は2度目でした。

ちなみに、忠臣蔵サミットは「義士ゆかりの地」で、
現在は全国で32自治体が加盟しています。
関東では笠間市、桜川市、安中市、藤岡市などがあり、
大田原市は義士の一人である大高源五(大高忠雄)の本家の地で
父母の供養塔や源五の位牌がある(月江山)実相院がある町。
申し訳ないけど、あくまでも義士にゆかりがある縁なので
浅野家とはあまり関係ないと思います。
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義士親善友好都市というのが有ります。


義士親善友好都市交流会議(通称:忠臣蔵サミット)が1989年(平成元年)に創設されています。
全国30を超える市区町自治体が加盟。- 赤穂市の呼びかけで、全国の「赤穂義士ゆかりの地」となる自治体が、
親善と友好を深めながら情報を交換、地域の活性化と発展向上のために相互協力していくことを目的に創設されました。
その加盟自治体の一つに、 栃木県大田原市 があります。
この当たりに、何かヒントがあると思いますが。
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます。まさかの大田原!かなり北ですね(汗)
赤穂と大田原の関係も調べてみます!

お礼日時:2019/03/26 22:09

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